儀式とアイデンティティ

ロンドンに住んでトータル3年が過ぎましたが、イギリスで驚くのは過去の戦争を振り返るイベントを年中やっていることです。イベントといっても、戦勝記念の賑々しいものばかりではなくて、戦争で「国家のために戦い、命を落とした人」を悼むものも多いです。つい先日もRemembrance Sundayという、二回の世界大戦及びその他の戦争で命を落としたイギリスおよびコモンウェルス圏の兵士を弔うイベントが行われてました。

そして、日本とは比較にならないレベルで報道が行われます。例えば、BBCでは一日中このイベントについてのニュースが流れてます。

近代の歴史を通じて、基本的には戦勝国であり続けていることを考えると、戦没者について国家を守った、あるいは、正義を守った(特に第二次世界大戦ですね)英雄である、と言うふうにストレートに考えやすいのかな、と、日本との比較で感じます。

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これらのイベントを見ていて感じるのは、このようなイベントが国民としての自意識、ナショナルアイデンティティにとってどんな意味を持つのか、ということです。戦争そのものについて云々するのはここでの私の狙いではありません。それよりも、このような振り返りを儀式として繰り返すこのが何の意味を持つのか、ということに本稿は絞って書きますね。

僕は、このような儀式の一つの機能は「国家」の存在および、「国家の一員としての国民」というアイデンティティを強調するということにあると思います。

一般論で言えば、アイデンティティ(自分は何者か)は、人間の心理の有り様における中核的な要素だと考えられています。そして、アイデンティティの一部は、「何かの一員である」という意識(アイデンティフィケーション)で構成されています。

例えば、僕を例にとれば、僕は「元リクルート社員」であり、「LSEの学生」であり、「LSEの教師」でもあり、「コンサルタント」であり、「吉川家の一員」だと自分のことを認識しています。そして、これらに加えて自分のことを「日本人」であり「関西人」だと認識しています。いずれも僕にとっては意味のあるもので、それなりの感情的な思い入れが伴うものです。

これらのアイデンティティは、場面によってどれが表出するかが変わりますし、場合によっては、複数のアイデンティティが衝突を起こすこともあり得ます。たとえば、「ビジネスパーソン」としてのアイデンティティと、「子供の父・母」というアイデンティティが衝突する、というのは、仕事と育児の両立に悩む人の心の中では、少なからず起きているのではないでしょうか。

イギリスの場合は、結構アイデンティティは複雑で、移民が多いこと、そして、連合王国という国の成り立ちから、単純に自分のことを”British”だというふうに捉えている人は結構少ないのではないかな?と思います。スコットランドの人たちの間では、”British”というアイデンティティよりも、”Scots”というアイデンティティの方が強い、という人が多いかもしれません。

両親の代でロンドンに引っ越してきてイギリス生まれのアイルランド系の知人は、自分のことは”British”でも”Irish”と言われても違和感がある、と話していました。どちらかといえば”Londoner”って言われたらシックリくるね、ということでした。

戦争での死者を悼む儀式は、このような文脈で捉えると、国民としてのアイデンティティ強化の機会、と捉えることができるのではないかな、と思うわけです。戦争は国と国が行うことで、「どの地域の出身の人であろうと、国に貢献した人はイギリスという国家のために戦った人たちであり、国家は彼らのことを忘れない」というメッセージがこのようなイベントの根底に流れていると思われます。それを、儀式として重みをきちんと持たせ、記憶に残るように行う、ということは、おそらく国民としてのアイデンティティを強化するように働くのではないかと。

言い換えれば、こうした儀式のばでは、国という単位で、「内」と「外」の境界を強調するメッセージが発信されるわけです。そして、その結果として「内」のメンバーは一つの集団なのである、というイメージ形成(誘導?)が行われる、といえると思います。

国に対するアイデンティフィケーションは、国家の安定の基礎だと思われます(みんなが自分はイギリス人だと思っていないと、イギリスという国家は安定的に存続しにくいですよね。スコットランドの独立投票もありましたし)から、このこと自体は意味のあることですが、一方で、「内」と「外」が強調されるということはまた、「あいつらと俺たちは違う」といった意識につながり得る、もろ刃の剣、とも言えます。

少し話は変わりますが、ちょうど昨日の夜おきた、パリでの事件と、その後の報道を見ていると、アメリカやイギリスなどの欧米諸国が「自分たちはフランスと共にある」というメッセージを出しているのが目に付きます。こういうメッセージは「先進欧米諸国」という集団としてのアイデンティティを強調しているのだなあ、と感じます。もちろん、テロリズムは許し難いですし、被害にあった方を悼む気持ちはとてもあるわけですが、一方でこうやって「境界」が作られ、対立構造が意識の中に作られることが、この後の展開にどのようにつながるのだろうか、と思ったりもします。

実際、今まさに流れているニュース番組のインタビューで、あるフランス人が、フランスという社会の中で「ムスリム」になんらかのレッテルが貼られ、社会が分断されることを懸念している、と語っていました。

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最後に少し、この話を企業に置き換えて考えると、どのような示唆があるか、というのを考えてみます。企業の立場で考えると、従業員に対して「自分はこの企業の一員である」というアイデンティティをどのように形成し、強化するか、そのために儀式をどう使うか、という問いが立てられますね。一般的に、アイデンティフィケーションが強い人ほど、組織のために一歩踏み出した動きをする、離職しにくくなるなど、総じてポジティブな効果がある、と知られています(もちろん、内輪志向による逆効果を指摘する研究もありますが)。

そして、社員総会や、社員旅行、高業績者の表彰式といったイベントは、従業員のアイデンティティを強化するための儀式として使うことができる場と考えられます。が、必ずしもそのような意図を持って設計し、実施している例ばかりではないようにも思います。例えば、高業績者だけを集めて表彰会をしても、あまり招かれた人たち以外には影響がないでしょうし。

「儀式」というと、現代の企業活動にはあまり関係がない、古臭いもの、という風に思うかもしれませんが、儀式は今の社会にもたくさん存在しますし、それなりの影響を私たちに与えていると僕は考えます。企業の経営や人事に関わる方々は、むしろ、きちんと「儀式だ」という意図を持って設計し、実施することが結構大事なのではないかと思います。

また、果たして、「企業」全体の単位でアイデンティティを形成したいのか、それとも、「事業」という単位でアイデンティティを形成したいのか、というのも大きな問いですね。

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投稿者: 吉川克彦(Katsuhiko Yoshikawa)

国際人事・組織論に関する研究者、コンサルタント。PhD (Management, London School of Economics and Political Science)。2017年8月より、上海交通大学安泰経管学院にて、Assistant Professorに就任予定。 主な研究分野は組織論、人材マネジメント論、国際経営論。 Journal of World Businessに査読付き論文が掲載されたほか、Academy of International Business, Academy of Management, Association of Japanese Business Studiesなどの学会にて研究発表の実績あり。また、日本国内でダイバーシティマネジメントについての書籍を出版。また、人事関連の雑誌への寄稿、新聞への論考を掲載。主な研究実績についてはこちら。 コンサルタントとして、様々な業界の日本企業の人事・組織変革を支援。主なテーマは、企業理念の浸透、ダイバーシティマネジメント(女性活躍促進を含む)、人事諸制度の再構築、海外法人における人事体制の確立、次世代リーダー育成、採用戦略の立案など。 1998年にリクルートに入社。人材、組織に関する研究、コンサルティング、サービス開発に 従事。2013年に同社を退社。 1974年 兵庫県西宮市生まれ。京都大学経済学部卒。2011年にLondon School of Economics and Political Science にてMSc. Management, Organisations and Governance 優等修了(Distinction) および、PhD in Management (Organisational Behaviour and Employment Relations Track)を終了。 ご連絡はこちらまで。 katsuhiko78@gmail.com / k.yoshikawa@lse.ac.uk

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