伝統的に日本経済の屋台骨と考えられてきた自動車、電気、精密などの業界でも、経営状況が芳しくない企業に関する報道を聞くことが、この10年くらい続いています。
去年は、三菱グループからの支援を受けて再生を図っていた三菱自動車がさらなる不祥事の結果、日産に救済されましたし、巨額の損失隠し、損失先送りが明らかになった東芝でも、さらなる不祥事が次々に明らかになり、債務超過も近いという報道も出ています。
こうしたニュースが報道されるたびに、「なぜ、会社は変われないのか」「なぜ、社会的に許されないとわかっているのに不正をしてしまうのか」ということが頭をよぎるのですが、本稿では、「組織アイデンティフィケーション(組織への自己同一化)」という観点から、この問題に切り込んでみようと思います。
「自分は何者か」という問いと、会社の関係
人間の心理の根幹にあるものの一つとして「自分は何者か」という概念があります。これをアイデンティティと呼びますが、心理学や組織行動論においては、人間がアイデンティティを定義するやりかたには、大きく3つがあると考えられています (Brewer & Gardner, 1996 参照)。
- 自分の持っている固有の特性で定義する(例えば、「自分は営業のプロだ」など)
- 自分にとって重要な他者との関係で定義する(例えば「自分は〇〇さんの弟子だ」
「〇〇の妻・夫だ」など) - 自分が所属している集団を元に定義する(例えば、「自分は〇〇社の一員だ」「自分は阪神ファンだ」など)
実際には、誰でも3つの方法のいずれのアイデンティティも持っており、なおかつ、それぞれのやり方のなかにも、複数のアイデンティティを併せ持っている、と考えられています。上の例のすべてが同じ人の中に混在しているわけです。
ただし、それらが常にすべて意識されているわけではなく、場面によって表面化する自己定義は変わる、と考えられています。例えば、営業担当者として顧客に訪問する際には、自社を代表して顧客を訪問している、というアイデンティティが強くなるかもしれません。また、仕事中に家族から子供が急に熱を出した、という連絡をうけた際は、子供の親としてのアイデンティティが表出しやすい場面と言えるでしょう。
もちろん、アイデンティティの中にも相対的な強さの違いはあり、「〇〇社の一員」としてのアイデンティティが非常に強く、自分の中で組織の一員であることが重要な位置を占めている人もいます。そして、このように、組織への帰属を元にアイデンティティを形成することを、「組織アデンティフィケーション」と呼びます。
組織アイデンティフィケーションの強い人の特徴には以下のようなものがあります。どうでしょうか?少なからず当てはまるところはないでしょうか?ちなみに、面白い点は、組織を去っても組織アイデンティフィケーションは必ずしもなくならない、ということです。会社を辞めたのに、会社の立場からものを語ってしまう、ついつい会社のいいところを自慢したくなる、というのは、その症状と言えるでしょう。
- 組織が悪く言われると、自分が批判されたような気分になる
- 組織が褒められると、自分のことのように嬉しい
- 組織のことを「我々は」「自分たちは」「うちの会社は」という表現で語る
- 他人が組織のことをどんな風に感じているか気になる
「組織アイデンティフィケーション」のメリット
組織にとって、従業員の組織アイデンティフィケーションを高めるメリットは無数と言っていいほど存在します (Ashforth et al. 2008参照)。
個人は、組織の成功を自分の成功だと感じるようになりますので、自分の仕事の範囲に限らず、主体的に組織のために行動したり、互いに支援し合う、という行動をとりやすくなります。また、顧客に対して組織を代表して行動したり、自分の所属するチームや部門の利害にこだわるよりも、組織全体にとっての利害を考えて行動する、といった影響も知られています。さらに、組織アイデンティフィケーションが強いと、離職意向が下がる傾向があります。
では、組織アイデンティフィケーションを促進する要因にはどのようなものがあるのでしょうか?
一つの大きな要因は、組織に際立った特徴があり、なんらか、優れている、と思えることです。人は誰も、自分について肯定的に感じたいという欲求がありますので、際立った特徴を持つ、優れた組織の一員だ、と感じることには非常に強い魅力があります。よく知られた、ブランド力のある会社であることも、アイデンティフィケーションを促します。また、厳しい採用をくぐり抜けて入社した、ということ自体も、特別感を通じてアイデンティフィケーションを促すのではないか、という指摘もあったりします。
高邁なビジョンを掲げることや、その実現に向けて組織や、そのメンバーが成し遂げたことを振り返り、称え合うことなども、同じような意味で、組織アイデンティフィケーションに寄与すると考えられます。
また、組織的に「その会社の人に染め上げる」ことも有効です。その会社のビジョンやゴールを理解し、その会社ならではの言葉遣い、ものの考え方、仕事の動きを学ぶこと、そうしたトレーニングを、他の部署のメンバーと一緒に受けることなどは、「組織の一員」という意識を醸成する上で有効であることが知られています。この意味で、日本の新卒一括採用と、その上での新入社員教育、また、定期的に行われる○年目研修といった仕組みがあること、さらには、長期雇用で、中途採用も限られるため、その会社固有の言い回しや言葉遣い、書類の作り方など、様々な「お作法」が存在することは、アイデンティフィケーションを促す仕組みになっている、と言えるでしょう。
「組織アイデンティフィケーション」の罪
さて、話が長くなってきましたので、もとのお題に戻りましょう。
組織アイデンティフィケーションには、上記のような様々なプラスの面がある一方で、組織の変革を阻み、不正を生みかねない、といった暗い副作用もあることが知られています。
たとえば、組織アイデンティフィケーションが強いことが、研究開発部門におけるクリエイティビティの低下につながる、失敗しつつあるプロジェクトを見直すことができなくなる、組織変革への抵抗を生む、といったマイナスの影響が報告されています。これは、組織への同一化が強すぎるがゆえに、組織内で主流の考え方とは異なるような外部の考えを取り入れたり、組織の現状を否定するような思考、判断ができなくなる、ということだと考えられます。
また、組織アイデンティフィケーションが強すぎる(over identificaiton)と、組織内における倫理的に問題がある行動について疑問を呈することができなくなったり、そういう行動に対して手を打つ行動に出られなくなる、といった悪影響が指摘されています。組織アイデンティフィケーションが強いと、組織を守ることは自分のアイデンティティを守ることに直結しますから、「組織(=自分)を守りたいがために」目の前の不正を見逃したりしてしまい、結果として、長期的な組織の繁栄のためにはマイナスな行動を取ってしまう、というわけです。
先ほど述べた通り、日本の伝統的な、よく名の知れた企業は、従業員の組織アイデンティフィケーションを促す仕組みが様々に整っています。そのことは、組織メンバーが一丸となって、互いに助け合い、組織のために行動する、といった意味でプラスに働いてきた時期も長かったと考えられます。が、一方で、そうそうたる大企業が自己改革に失敗したり、中からの不正でダメになっていく姿をみると、それが過ぎて、自己改革や、自浄作用が働かなる、といったことがおきているのではないか?とも思えるわけです。
まとめと考察
組織アイデンティフィケーションを強化することは悪いことではありません。むしろ、組織に個人を結びつけ、協働を促す上では欠かせないものだ、と言えるでしょう。ただし、過ぎたアイデンティフィケーションはむしろ害になりうるため、従業員には、「組織の一員」に完全に染め上げるのではなく、それ以外の様々なアイデンティティを育み、発揮する場面を作るのがいいのかもしれません。
最近良く聞く、プロボノや副業などの越境活動で会社以外の場で力を発揮し、人間関係を築くことは、間違いなくアイデンティティの多様化(個人の中でも、組織の中でも)につながると思われますし、男性が仕事に加えて、家族の一員として育児や家事に関わっていくことも、「組織への帰属」を基盤にしたアイデンティティだけではない自己意識につながると思われます。このように考えると、こうした活動は、組織への過度のアイデンティフィケーションを防ぐ、という面で、組織に好影響があるのかもしれません。
<参考文献>
Brewer, M. B. & Gardner, W. 1996. Who is This “We”? Levels of Collective Identity and Self Representations. Journal of Personality & Social Psychology, 71(1): 83-93.
Ashforth, B. E., Harrison, S. H., & Corley, K. G. 2008. Identification in Organizations: An Examination of Four Fundamental Questions. Journal of Management, 34(3): 325-374.