「博士課程学生はメンタルを病みやすい」という恐ろしいデータを示した記事を見つけました。
Why Are Ph.D. Students More Vulnerable to Psychiatric Disorders?
ちなみに、この記事の元になった研究はこちら。
Work organization and mental health problems in PhD students
(Levecque et al. 2017. Work organization and mental health problems in PhD students, Research Policy, Volume 46, Issue 4, Pages 868-879)
記事をかいつまんで翻訳&要約すると、
- ある、ベルギーで行なわれた博士課程学生3000人以上を対象にした調査によると、「同じように高レベルの教育をうけたが、博士課程に参加していない人々」と比べて、2倍以上の頻度でメンタル疾患の症状を示していた
- 具体的には、「憂鬱で不幸な気分を感じる」「常時ストレスを感じる」「考え事のために不眠、睡眠不足になる」「困難を乗り越えられないと感じる」「日々の活動を楽しめない」などなど。
ということです。筆者らによれば、あくまでもこれは相関ベースの研究なので、博士課程の学生が置かれた環境が彼らのメンタルに影響しているとは断言できないとのこと(メンタルを病んでいる学生のほうが、環境を悪く認知するかもしれないため)。
とはいえ、先行研究を見る限り、環境がメンタルの問題に少なからず影響することはよく知られているので、この調査結果は、少なからず「博士課程に所属すること」が、メンタルにはよくない影響がある、と示していると言えそうです。
さらに研究によれば、以下のような条件を満たしている学生は、相対的にメンタルの問題が生じにくいとのこと。
- 知的刺激を受けるようなスーパーバイザー(指導教官)がいる
- アカデミックなキャリアを歩もうという関心がある
- 明確なキャリアプランがある
逆に言えば、
- 指導教官から知的刺激が受けられない
- アカデミックなキャリアに関心がない
- キャリアプランが不確か
だと、メンタルの問題が生じやすい、ってことですね。まあ、そりゃそうでしょう。
指導教官の問題は深刻で、僕は幸い、指導教官二人から非常にいい刺激を受けて、今後も共同で研究ができそうな関係性を築けましたが、周りを見ていると必ずしもそうでもなさそうです。感覚的に言うと、ざっくり1/3くらいは、指導教官からあんまり刺激が得られないか、むしろ指導教官に足を引っ張られている、と感じている印象があります。
しかも、指導教官を変えることは相当な困難が伴うので、そうそう変えるわけにもいかず。途中で変えると新しい指導教官と研究の方向性ややり方についての考え方を揃えるのにえらく時間がかかるし、そもそも変えるための学内での交渉にも時間がかかるし、人間関係にも配慮がいるし、と一筋縄ではいかないのです。
なので、ここでハマるとメンタルを病みやすい、というのは想像がつきます。
LSEの場合は、学部内、また、学部を超えた全学レベルでその辺りを相談できる窓口がきちんと設けられてましたが、それでも、指導教官とのミスマッチの問題に直面すると、年単位で研究が滞り、卒業も遅れる(それに伴ってお金もかかる)というふうになりがちです。
また、キャリアの問題については以前に「過酷なアカポス(アカデミックポスト)市場の現状と、そこでの就職活動の実態」というポストで書きましたが、アカデミックキャリアの労働市場は、はっきり言ってかなりな無理ゲー状態ですので、キャリアについての悩みがストレスになる、というのも想像がつきやすいです。このことについては、ちょうど最近、日本でも新しい調査がでてました。
ポストドクターから大学教員への道険しく、文部科学省調べ (大学ジャーナル)
この研究の筆者たちも、以下のように書いてます。
Our findings also suggest that universities might benefit from offering PhD students clear and full information on job expectations and career prospects, both in and outside academia.
(日本語訳)
私たちの発見から示唆されるのは、博士課程学生に対して、卒業後の就職の見込みについて、アカデミック、それ以外(訳注:民間など)の両方の面で、明確かつ、十分な情報を提供することで、大学は(訳補足:メンタルを病む学生が減るという)メリットを得られるかもしれない、ということだ。
たしかに、全くおっしゃる通り。
ただ、博士学生を採り、指導する教授や准教授に、そこまで期待するのは構造的にかなり無理があると言わざるをえません。
そもそも、研究が好きでアカデミックに進み、アカデミックの人生を生きてきた人たちなわけで、それ以外のキャリアのことは視野にないし、そもそもよく知らない、という人も(社会人経験を経て学者になった、という人を除くと)多いかと。
さらに、彼ら、彼女らはアカデミックキャリアで成功した人で、どちらかといえば、博士学生に対しては、自分と同じようにアカデミックで成功してほしい、という期待を持ちがちです。なので、研究者として成功するためにどうするか、という指導は熱心にできたとしても(そういう善意の指導教官ばかりではありませんが)、「それ以外の人生もあるよ」とはなかなか勧めにくかろう、というふうに思います。まあ、率直に言えばダメだしすることになっちゃいますしね。
反面、学生の側からすると、↑にあるような「博士学生の就職きついよ」みたいな情報に触れるたびに「アカデミックで自分はやっていけるのか」「見切りをつけて、民間に就職したほうがいいのか」「でも、そうしたら、博士の意味がなくなってしまうんじゃないか」みたいなことが気になっているわけで。
なので、指導教官にキャリアの指導を任せると、学生側は情報不足のまま、自分の人生について不安が高まり、鬱々してしまう、という状況に得てしてなりがちなわけです。
LSEの場合は、キャリアセンターが博士課程の学生もターゲットにしており、アカデミック以外の進路についても様々な情報提供をしてました。広く自分のキャリアについて考えられるような説明会に博士課程の初期から参加できたり、アカデミックキャリアのこともよくわかっているキャリアカウンセラーに相談できたりします。また、実際にアカデミック、民間、公共セクターに就職した卒業生を読んでセミナーをやってたり、BCGやマッキンゼーからの博士学生をターゲットにしたセミナーもあったりするので、比較的恵まれていた、と言えるでしょう。
僕は正直言って、博士が終わった後のことが見えないままに4年も頑張るのは、人生上のリスクが高いと思うので、研究以外の人生も含めて自分の人生のことを早い段階から考える機会を設けて、アカデミックな世界における自分の実力と意欲を冷静にジャッジして、続けるなら徹底的にやる、やめるならスパッとやめる、という意思決定を促すべきだと思ってます。
日本の大学が、この辺りをどうしているかはよくわかりませんが。
と、いうわけで、表題の「なぜ博士課程の学生は、メンタルを病みやすいのか。」という問いに関しては、
- 研究上、指導教官との関係性、指導教官からの研究上の刺激が重要な一方、残念な指導教官に当たってしまったり、関係性が悪化すると逃げ場がなくなりがち。
- 博士課程の学生は、労働市場の構造上、将来が不安定になりがちで、なおかつ、それに対して広い視野と情報を持って(アカデミックキャリアではない道を選択することも含めて)対策を考えられるようにする支援体制が不足しがち。特に、指導教官だけだと不十分になりやすい
という二つの構造的な要因がある、と思われます。
すくなくとも、前者についてはなかなか対策が困難ですが(会社の上司も似たようなところがありますしね)、後者については、キャリアセンターなどが関与する体制にしていくのが大事であろうなあ、と思ってます。