社会交換理論の基本的な考え方については何度かご紹介しました。
経営/組織理論を考える(2)社会的交換理論 (social exchange theory)
一言でまとめると、上司と部下、社員と組織、社員同士、営業担当と顧客など、様々な関係において「一方が、何かを相手のためにおこなう(give)と、相手から恩返しが帰ってくる(take)」というお話でした。
こうした交換のベースが成り立つためには、一定の期待が必要です。「相手に何かをすれば、それなりにちゃんと帰ってくるだろう」というものです。これには二つの要素があります。一つは「人間や人間の集団はそもそもそういう風に振る舞うものだ」という普遍的な期待(個人の信念、と言ってもいいですね)。もう一つは、「この人(あるいは、この組織)は、こういう風に振る舞うだろう」という個別の人や組織に対する期待(信頼、と言ってもいいでしょう)です。そうした期待がないと、明確な見返りを約束されでもしない限り、相手にgiveをすることは割が合いません。
ここで浮かんでくる問いは、「では、その期待を裏切ると何が起きるのか?」ということです。
本稿では、社会的交換理論をベースに発展した「心理的契約」という概念をもとにこの点について考えます。
組織と個人の間には、「暗黙の心理的な契約」があると考えられています。従業員が組織に対して、「会社は自分をこういうふうに扱ってくれるだろう」というふうに期待する一方で、「自分は会社に対してこういうふうに貢献しなければいけない」というふうに自分の責務を感じるのです。
具体的に言えば、正社員の場合であれば、「ある程度頑張れば、自分の頑張りを認めてくれて、昇給や昇進の機会を会社は与えてくれるはずだ」とか、「自分の能力を最大限発揮できるよう、研修や配属を通して、適切な機会を与えてくれるはずだ」「この会社にいれば、一人前の社会人として恥ずかしくない収入や地位が得られるだろう」「◯歳くらいまでには年収はXXXX万円くらいにはなるだろう」などを期待するわけです。
逆に、「残業はある程度やらないとダメだよな」とか、「転勤の辞令がでたら、会社の一員として、世界中どこでもいくんだ」、さらには「早く一人前になって上司のサポートがなくてもちゃんと仕事ができるようにならないと」「会社の名前に傷がつくようなことはできない」など、様々な「社員としての義務」を感じるわけです。
こうした「契約」は、職務定義書や、雇用契約書に言葉として書いてある範囲を超えた、暗黙的なもので、いわゆる法的にサインをするような「契約」とは別のものです。採用段階でのリクルーターや人事との会話や、入社後の上司や先輩との会話、周囲を観察することを通じて、徐々に形成されるもの、と考えられています。日本の場合は、職務定義書や雇用契約が存在しない場合が多いですから心理的契約が雇用関係において果たす役割は大きいと考えられますが、欧米の研究でも、こうした、必ずしも書面に基づかない暗黙的な心理的契約が存在することが確認されています。
企業によって、組織が従業員に約束すること、期待することは異なります。コンサルタントとして、私は幾つかの企業の「人材マネジメントポリシー」の作成に携わりましたが、各社の経営者の従業員に対する考えというのは似ているようで微妙に異なっていて、それをどのように言葉で表現し、伝えるのかに頭を捻ったものでした。
ただ、上で述べた通り、個人が感じる社会的契約は、あくまでもリクルーティングや入社後の受け入れ研修、上司や同僚との関わりを通じて形成されるものです。経営層が考える「自社として約束したいこと」「期待すること」が必ずしも従業員にそのまま共有されるとは限りません。
組織としてのポリシーが様々な人事制度や仕組みに反映され、人事や管理職が同じような認識を持つようになってはじめて、共通の期待が形成されていくようになるのです。逆に言えば、同じ会社の中にあっても、個人によって認識している心理的契約には違いがあるのが自然な状態だ、と言えます。
組織が従業員との「約束」を裏切るとき
このように、心理的契約はその名の通り、個人の心の中に存在するものです。そして、ときに、個人は組織の「裏切り」を経験することになります。
例をあげればキリがありません。
- 若手にどんどん機会を与える社風だ、と言われていたのに、入ってみたらオペレーションの仕事ばかりで全然チャレンジの機会がない
- 長く勤められるという安定的な雇用だと思って働いてきたのに、経営不振から突然リストラが始まった
- 女性活躍を支援する制度が充実している、と言われて入社したのに、先輩女性社員は産休・育休後に復帰するとマミートラックに配属されていて、意欲を失っている
- 3年間現場を経験したら本社で企画の仕事ができる、と期待していたのに、5年目の異動でも現場から脱出できなかった
本人にとっては、「こういう機会、支援が組織から得られるはずだ」と思い、「その期待と引き換えにその組織に入社し、頑張ってきた」わけですが、その「得られるはず」のものが得られないために、「裏切られた」と感じるわけです。
こうした機会や支援、といった要素以外にも「約束」の裏切りは生じます。例えば、
- テクノロジーを通じて社会正義を実現することにコミットしている会社だと思って入社したのに、軍と契約して自分たちが開発したテクノロジーを軍事目的に転用を始めた
みたいなケースです。最近、GoogleがAIをめぐって米軍と契約していたことに従業員が反発している、というニュースがありましたが、当事者の従業員はこういう心理ではないかと推測します。
このように、組織としての理念に共感して入社したのに、組織が理念に反するような行動をとった、というのも心理的契約違反になります。本人にとっては、「理念の実現に向けた大きな活動の一部」に自分はなれる、と思っていたのに、そうではなかった、「裏切られた!」というわけです。
こうした「裏切り」を、学術的には心理的契約違反と呼びます。こうした「裏切り」が個人に及ぼす影響については、組織研究者によって様々な研究が行われています。本稿の最後では、この点について議論します。
心理的契約違反(=裏切り)は個人にどんな影響を及ぼすか
この問いに対する自然な仮説は、心理的契約違反は個人の組織に対するネガティブな態度や、行動につながるのではないか?ということですよね。しかし、研究からは、「態度」についてはその通りなのですが、「行動」に関しては必ずしもそうではない、ということが示されています。
「態度」に関するわかりやすい例としては、組織に対する「愛着的なコミットメント」が低下し、「離職意向」が上昇します。この会社が好きだからこの組織のために頑張りたい、という気持ちが減り、「転職したい」という気持ちが高まるというわけです。
しかし、一方で、こうしたことが、そのまま組織に対するサボタージュや、実際の転職につながるかというと、そうでもありません。実証研究からの証拠を見る限り、「気持ちは下がるけど、行動までには至らないことも多い」というのが、せいぜいです。
この「行動には至らないことも多い」理由としては幾つかの説明が提唱されています。
まずは、「思い通りにいかないことがあったとしても、人は働いて、食べていかないといけない」ということです。組織が自分の期待通りに自分を扱ってくれないとしても、職場における自分の役割や責任は存在し、顧客の期待があり、給与をもらわないと自分は生きていけない。そうした意味で、多少心理的に組織に対してネガティブになることがあるとしても、行動までには直接至りにくいのではないか、ということです。
当然、ここからはさらに、「心理的契約違反が繰り返し続くと、行動に影響が出ることはあるのか」「どんな心理的契約違反だったら、行動に影響が出やすいのか」「人によって心理的契約違反が行動に影響するつながりやすいさの違いはあるのか」といった様々な問いが考えられ、それを世界中の研究者が色々と掘り下げているわけですが、そこについては、本稿では割愛します。
次が、そもそも、心理的契約違反は組織と個人の間での互いの期待値調整のプロセスなのだ、という考え方です。この考え方に則ると、「こんなはずじゃなかった」が起きるのは当然のことで、個人の側はそれを受けて、「そうか、この会社はこういう会社なのね」と期待値を調整するものだ、ということになります。
上で述べた通り、心理的契約は採用や最初の上司や同僚とのコミュニケーションで形成するものですし、あくまでも個人が勝手に心の中で作り上げるものです。ですから、経営者が本当に約束しようと思っていることとズレが生じるのは自然なこと、と言えます。また、上記のリストラの例のように、経営状況の変化から約束を作り直さなければならなくなる、というのも普通のことです。例えば、
- 日本企業に入社して、日本で働いてくつもりだったのに、海外企業と合併して、外国人が自分の上司になった。英語で外国人と働くなんて、自分は期待してなかったのに・・・
みたいなケースは、個人が何を期待していようが、期待値調整をせざるをえない状況です。
この立場にたつと、心理的契約違反は必ずしもネガティブなものではなく、個人に適応の機会を提供する学びのチャンス、という風に捉えることもできます。もちろん、求められる程度が大きい場合には適応しきれない、ということも起こるはずですし、個人差もあるでしょう。
「心理的契約違反」という風に呼ぶと、人事、組織運営上、避けるべきもの、という風に考えてしまいがちです。しかし、これらの議論からの重要な示唆は、「心理的契約違反」は必ずしも「避けるべきもの」ではない、ということです。
当然、採用時点で嘘をついて、結果的に「裏切られた」と思わせることには百害あって一利なしです。
しかし、コミュニケーションには限界があること、また、組織が変化しなければならない場面があることを考えると、従業員が心理的に「裏切られた」と感じることはある程度、避けられない。だとすれば、そのあとの適応をどうやってうまく促すか、こそが問題だ、ということになります。