プレゼンテーションはコミュニケーション、といってもそれはどんなコミュニケーションなのか。

「プレゼンテーションはコミュニケーションだ」というのは、よく耳にするフレーズです。

プレゼンテーションは、聞き手に自分の考えを伝えるわけだから、コミュニケーションに決まってるじゃん、当然だよね、と思われるかもしれません。

しかし、コミュニケーションを「自分の考えを相手に伝えることだ」と捉える考え方こそが、世に数多ある「相手不在の一方通行の残念なプレゼン」の源泉なのではないか、と僕は思っています。

「プレゼンテーションはコミュニケーションだ」といっても、人によって、そもそもコミュニケーションってなんでしたっけ、というところの認識にずいぶん幅があるわけで。

最近、効果的なプレゼンと残念なプレゼンの違いの根底にあるのは、表面的なスキルの問題ではなくて、「コミュニケーションとは何か」に関する根本的な捉え方の違いなのではないか、と思う出来事が最近幾つかありまして。今日はその辺のことを、コミュニケーションに関する理論的な考察も交えて書こうと思います。

二つのコミュニケーション観

コミュニケーションを「自分の考えを相手に伝える」と捉える考え方は、コミュニケーション論における古典的なモデルである「土管(conduit) モデル」にピッタリ当てはまります。これは、コミュニケーションを、

  • 「話し手」が、自身の意図(伝えたいこと)をメッセージ媒体(話し言葉や書き言葉、ジェスチャー)に変換する
  • メッセージが「話し手」から「聞き手」に向かって伝達される
  • 「聞き手」は、受信したメッセージをもとに「話し手」の意図を解読する

という風にモデル化するものです。

このモデルによれば、コミュニケーションのゴールは、話し手の頭の中にある意図を、寸分たがわず、聞き手の頭の中に再現することです。そして、コミュニケーションの効率は、この変換、伝達、解読のプロセスで生じるエラー(誤解や見落とし)をどれだけ避けられるか、によって決まる、と考えます。「コミュニケーション=話し手と聞き手を繋ぐ土管」であり、それがいかにスムーズに流れるようにするか、という考え方ですね。

このモデルの源流は、もともとは通信技術や情報圧縮理論を専門とする工学系の研究者によって提唱されたShanon-Weber モデルという考え方にありまして、非常に工学的、機械的にコミュニケーションを捉える考え方です。

この考え方を極端に推し進めると、古典的な大学教授の授業になります。教授が一方的に自分の考えを話し、黒板に書き、それを生徒は黙って聞いてノートをとる、というあれです。当然、生徒は予備知識がなかったり、授業の中身に集中してなかったりしますから、聞き逃しや理解漏れが生じる。そうなると、試験の問題に答えられない。だから、「よくできたノート」をコピーしてその中身を暗記することが重要になるわけです。

組織の例としては、部下に自分の考えをとうとうと語る上司、というのは、こうした土管モデルでコミュニケーションを捉えている、と言えそうです。自分がしっかり考えを説明すれば、相手はそれを受け取れるはずだ、という思考です。

多くの家電製品やコンピューターのマニュアルも、土管モデルで設計されてますね。マニュアルを書くエンジニアが「知っている」ことを、いかにミスなく漏れなく「紙の上に書かれた図や文字」という媒体で伝達するか、に注力しているからです。頑張って作っているのはわかりますが、残念ながらあんまり読みたいと思えないし、頭に入ってこないですよね。

.

この「土管モデル」が決定的に見落としているのは「聞き手」の主体的な関与です。

私たちは通常、人の話を聞いたときに、相手の意図をただ受け止めるわけではありません。むしろ、相手が言ったことを、自分の考えていることや知っていること、感じていることとつなぎ合わせたり、比較したりして、「相手が話したこと」を「自分なりの世界」の中に位置付けていきます。

例えば、「上海マジで暑い。死にそう」と僕がフェースブックに書き込んだとしたら、東京に住んでいる友人の多くは、「東京も今年は暑いんだよなー。上海もか」と頭の中で自分たちの日常を連想しながら読んで、頭の中で「上海も東京も今年は暑い」という風に変換するはずです。

それに対して、長年上海に住んでいる友人たちは、同じ投稿を読んでも、「いやいや、今年は結構マシだけどなあ」と、経験則に照らして僕の投稿を読み(実際、昨年、一昨年の方が暑かったそうです)、人によっては「そういえば吉川君、今年が上海で最初の夏だっけ?」と考えることもあるでしょう。

つまり、「聞き手」は、「話し手」の発信したメッセージ媒体(この例だとフェースブックの投稿」を受動的に受け取るだけではなく、自らの持っている知識や経験を元に主体的に考えるのです。聞き手が違えば、同じメッセージ媒体を受け取っても、そこから刺激されて考えること、その結果としての解釈は異なっているのです。

さらに言えば、「話し手」が「聞き手」の頭の中に起こした思考がレスポンスとして帰ってくることで、さらに「話し手」の頭の中でも思考が生じます。例えば、上述の僕のフェースブック上の書き込みに、上海の住人から「いや、今年はマシだよ」とコメントが入ったら、僕の現状に対する認識(=上海マジ暑い)が、新たな認識に変質するはずです(例えば、「もっと暑いこともあるってどーすりゃいいんだ・・・」とか)。

この点に注目すると、コミュニケーションとは「話し手」が、「聞き手」の頭の中の思考を促す刺激を発信する活動であり、複数の個人が互いに刺激しあい、新しい認識を形成していく活動、という風に捉えることができます。

このようにコミュニケーションをより動的、相互作用的に捉える考え方は、「constitutiveモデル」と呼ばれており(*)、古典的な「土管モデル」に代わって、コミュニケーション研究では徐々に重視されるようになってきています。

*英語の研究論文で使われている、”constituitive model of communication”をうまく翻訳する日本語が思いつかなかったので、そのままにしてます。

 

「プレゼンテーションはコミュニケーション」を「constituitiveモデル」で解釈する

冒頭で、


しかし、コミュニケーションを「自分の考えを相手に伝える」ことだ、と捉える考え方こそが、世に数多ある「相手不在の一方通行のプレゼン」の源泉だと僕は考えています。


と、書きました。

これは言い換えると、コミュニケーション=土管モデルでプレゼンテーションを考えるとろくなことが無い、ということです。

自分が考えたこと、言いたいことを、どれだけうまくスライドに落としこむか、ということを考えて行き着く先は、家電製品やコンピューターのマニュアルです。残念ながら、そういうプレゼンは世の中にたくさんありますよね。

これまでの経験から僕が大切だと考えているのは、「constitutitiveモデル」的に、「聞き手は自分の経験や知識をもとに自分で主体的に考える人たちなのである」というふうに捉え、彼らの思考をどのように刺激するか、に集中することです。

具体的には、

  • 「聞き手」はどんな人なのかを考える
  • 自分のプレゼンテーションを通じて、「聞き手」の頭の中でどういう思考を刺激したいのか考える
  • その刺激を起こすために、どんな素材を使って、どんな順番で何を話すといいか考える

ということですし、

  • 「聞き手」の頭の中で生じている思考をプレゼンテーションの途中で掴んで、それに応じてコミュニケーションを調整するための準備をする

ということです。

「聞き手」を想定することが重要なのは、聞き手によって、「知っていること/知らないこと」「当たり前だと思っていること」「興味があること」が違うからです。人間は考えるときには、(無意識に)様々な前提をおいて考えているので、前提を揃えないと、話し手と聞き手の間で思考が噛み合いません。

また、人の話を聞いて考えることは、エネルギーを必要とする活動ですから、ちゃんと動機付けをする必要があります。「この話は自分にとって価値がある話だ」ということをどうやって感じてもらうか、ということです。

あとは、よく語られることですが、スライドを文字でぎゅうぎゅう詰めにすると、聞き手は考えられません。複雑な図やグラフ、表も同じです。むしろ、経験則的には「スカスカ」のスライドを適宜はさみこみ、じっくりとお話をする方がいいようです。スライド上で全部説明しないほうが、むしろ聞き手は自分で頭を使うということではないかと。

結局のところ、「constituitiveモデル」的に考えると、プレゼンテーションの成果は、「自分の考えをどれだけ表現できたか」ではなく、「相手の思考をどれだけ刺激できたか」「その結果として、どれだけ、新しい認識を作り出せたか」です。なので、「自分の考えをどう伝えるか」ではなく、「相手にどう思考を促すか」という観点で考えるのが、プレゼンテーションの準備で重要だ、ということになります。

.

そして、「聞き手」の頭の中で生じている思考を掴むためには、「聞き手を見る」ことが重要です。プレゼン中にスライドや手元の資料を読んで喋るのは、聞き手を見ることができなくなりますから問題外です(加えて、自信がなさそうに見えますしね)。

なので、「聞き手を見る」ためには準備が必要です。スライドがなくても全部お話ができるようにリハーサルを徹底的にやって、さらに、聞き手から出そうな反応や疑問、理解が詰まりそうなポイントについてあれこれ頭の中で思考実験をすることです。そうすれば、話しながらスライドを見る必要がなく、聞き手をじっくり観察して、反応があるかどうか確認しながらお話できますし、質問が出たらそれに合わせて軌道修正できる。

また、「問いかけ」を投げかけるのも一つの方法です。スライドに最初から「質問」を埋め込んでおいてもいいし、「どうかな?」と感じたら、話を止めて「どう思います?」と聞いてしまえばいいのです。これも、余裕がないとできませんから、準備が大事です。古い言葉で、「段取り八分、仕事は二分」というのがありますが、まさにプレゼンテーションでも同じではないかと。繰り返しになりますが、相手に目を向けるためには、自分の準備が十分にできていることが重要だ、というわけです。

 

広告

投稿者: 吉川克彦(Katsuhiko Yoshikawa)

国際人事・組織論に関する研究者、コンサルタント。PhD in Management(経営学博士)。2017年8月より、上海交通大学安泰経管学院Assistant Professor。 主な研究分野は組織論、人材マネジメント論、国際経営論。研究者への転身前には、コンサルタントとして、様々な業界の日本企業の人事・組織変革を支援。 1974年兵庫県西宮市生まれ。1998年京都大学経済学部卒。同年リクルートに入社。人材、組織に関する研究、コンサルティング、サービス開発に 従事。2013年に同社を退社。2011年にLondon School of Economics and Political Science にてMSc. Management, Organisations and Governance(Distinction) および、PhD in Management (Organisational Behaviour and Employment Relations Track)を修了。 ご連絡はこちらまで。 katsuhiko78@gmail.com / k.yoshikawa@lse.ac.uk

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください