データとサイエンスの話。

先日、とある、機械学習に積極的に投資をしている、とある企業の知人から聞いた話が、昨今流行りのHRアナリティクスやデータサイエンスという観点で興味深かったかったので、書き起こしておこうと思います。

ポイントは「科学的思考」。データサイエンスが「サイエンス」を語るのであれば、科学的思考が必要なのでは?、というお話です。

知人から聞いた話を簡単にまとめると、以下のような感じです
(いろいろぼやかして書いてます)。

A社では、経営陣が、機械学習こそが次の重要な技術トレンドだ!と見定め、機械学習とそのビジネスへの適用に投資をしています。その一環として、機械学習を人事管理に生かせないか、というプロジェクトが始まりました。

チームは早速、人事にまつわる様々なデータを収集し、機械学習を生かして、データの分析を行いました。そこからは、様々な興味深い分析結果が得られたました。

「××なチームはパフォーマンスがいい」

「〇〇な人材は、成果が出ない傾向が高い」

といった形で、色々と、パフォーマンスにつながると考えられる要素が抽出されたのです。

しかし、このチームの方々は大きな問題に直面しました。

なぜ、〇〇や××がパフォーマンスにつながるのか、さっぱりわからなかったのです。データ上はパフォーマンスにつながる傾向があるのだけども、そこにどのような因果があるのか、納得できる説明ができなかったのです。

さあ、困りました。

「データ上は、これをやればパフォーマンスが上がると出ているんです」

と現場の管理職に伝えたところで、「なぜそれがパフォーマンスにつながるのか」がわからない限り、管理職が納得して動いてくれるわけがありません。

結果的に、チームはこの結果を組織運営に生かすことを断念し、別のアプローチを探ることになったのです。

なんとも、残念な、しょっぱいお話です。

まあ、後付けでこういう風に語ってしまうと、とても間抜けな話に見えてしまうのですが、プロジェクトに関わった当人たちは至極真面目に取り組んでいる人たちなわけです。その企業の機械学習への投資っぷりを考えると、かなり優秀な皆さんが関わっているんだろう、と思われます。

なのに、こうした間抜けな事故がおきてしまったのは、一体何なのか、ということを考えるのが本稿の目的です。

ここで、キーワードになるのが、「科学的思考」です。

科学的思考とは、自然界や社会で起きている現象を紐解き、新たな知識を獲得するための一連の手法のことを指します。近代から現代に至る自然科学や社会科学の発展を支えてきた、「知のお作法」と言ってもいいでしょう。

先ほどの事例で行われたことを簡単に要約すると、「データをたくさん集めて、高度な分析手法を使って、何らか興味深い示唆が得られないか探ってみること」ということになりますが、これは、科学的思考とは全く反しています。むしろ、真逆だと言ってもいいくらいです。

なぜこれに問題があるのか、を紐解くために、そもそもデータを分析する目的はなんなのか、というところから始めましょう。

HRアナリティクスのような形でヒトと組織にまつわるデータを分析する目的は、「ある組織現象(例えばハイパフォーマンスの発揮)が起きる要因は何なのか」を知ることであり、さらに言えば、「要因が現象を生む仕組み(言い換えれば、なぜ、どのようにしてその要因が現象の発生につながるのか)」や「どのような時にはその要因は有効なのか(逆に言えば、その要因が効かないような状況ってどんな場面なのか」といったことを理解することだ、と私は理解しています(もちろん、そこで得られた理解をもとに、打ち手を打つこと、がさらに上位の目的だということは言うまでもありません)。簡単にまとめると、以下の図のようになります。

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ちなみに、世の中には、データを分析するのだけれども、必ずしも「why」に対する答えが必要じゃない場面というのもあるのかもしれません。例えば、ウェブサイト上の消費者の動きから、「〇〇を買っている人は、××も買う可能性が高い」みたいな傾向を分析して、広告を表示する、みたいな場面が考えられます。ここでは、結果として売上が上がればいいので、なぜ〇〇の購入と××の購入がつながっているのか(=why)を知る必要はあまり無いかもしれません。

おそらく、アルファ碁のように、機械学習でゲームに勝つための能力を育てる、といった場合も同じでしょう。なぜその打ち手が優れているのかを説明できなくても、実際に勝つ可能性が高い打ち手が打てればいいからです。

しかし、HRアナリティクスのように、人事や組織運営に関わる場面では、whyが重要です。なぜならば、whyが分からないと人は納得できず、納得してもらえないと組織はなかなか動かないからです(ここが組織運営の悩ましいところです)。

そう考えると、やみくもにデータを分析して、何らかの関係性や法則性が見つかったとしても、それだけでは得るものがあまりありません。なぜならば、データは、何かと何かの間に関係があることは語ってくれても、なぜそこに関係があるのか(Why)は語ってくれないからです。

例えば、こういうことです(あえて、極端な例にしてます)。

「リクルーターとの会食で、食事を食べるのが早かった応募者の方が、入社後のパフォーマンスが高い」

ということがデータの分析から得られたとしましょう。でも、なぜ食事を食べるのが早かった学生の入社後のパフォーマンスが高いのかは、わかりません。このままでは、「食事を食べるスピードを選考基準にしましょう!」と主張しても「はあ?」と言われるだけでしょう。

ここから前に進むためには、「食事を食べるのが早い」ことが何を意味するのかを自分なりに紐解いて、それがパフォーマンス発揮にどのようにつながっているか、を仮においてみる(=仮説)必要があります。例えば、

(仮説1)食事を食べるのが早い人材は、総じて物事をやりきろうという意欲が高い。その結果、入社後のパフォーマンスも高いのだ。

とかですね。そして、それをさらなる分析で明らかにする必要があります。これを実際に検証しようとしたら、SPIのような適性テストのデータと突き合わせるとか、でしょうか。

ここで注目していただきたいのは、上記の仮説が筋がいいかどうかではありません(適当に考えた例ですからそこは勘弁してください)。仮説に、「why」に対する自分なりの仮の答え(=意欲が高いから)が含まれている、ということです。仮にこの仮説が非常に説得力あるデータで検証できたら、その説明が検証できたことになりますから、「食事を食べるのが早い応募者は、やりきる意欲が高い、そのため、パフォーマンスが上がるのである」という採用理論を構築することができます。そこまで出来れば、

対象者を絞り込んだ小規模な1Dayイベントを開いて、ランチにお弁当を出して、応募者がそのお弁当を食べるスピードを計測することで選考の判断材料にしましょう!

といった破壊的なイノベーションを提案し、周囲を説得することが可能になります。
(繰り返しになりますが、あくまでも例ですので、間に受けないでください笑)

ただし、議論はそれでは終わりではありません。

もちろん、自分が想定した仮説が、要因と現象の関係を説明する唯一のロジックだ、とは言えないかもしれませんから、他の説明方法はないかな?とさらにwhyを探求する、というのもありえます。例えば、こういう仮説も考えられます。

(仮説2)食事を食べるのが早いと、業務に費やせる時間の量が、食事を食べるのが遅い人材よりも多くなる。そのためにパフォーマンスに差がつくのだ。

これを検証するためには、自社の中堅社員の1日の時間の使い方をセンサーなどで把握して、そこで捉えた行動データと、評価データの関係を分析し、食事にかけている時間のパフォーマンスへの影響を見てみるといいでしょう。そして、仮にこれが検証できたら、さらにそれをもとに、

(仮説3) だとすると、「食事を食べるのが早い人材」がパフォーマンスを上げやすいのは、自社の様々な仕事の中でも「行動量が求められる仕事」に限られるのでは?

といった形で、理論にさらに磨きをかけていくことができます。

このようにして、一つの仮説に対して仮説に対して対立仮説をたてて検証をしてみたり、仮説が検証できた説明(=理論)をもとに次の仮説を立て、それを検証することで、現象に対する理解の厚みをましていくことができます。

これが、科学的思考の力です。

whyに関する論理的な説明を先に考えて(一般的にはこれをtheory =理論、と呼びます)、それを検証する、というアプローチをすることで、初めてwhyに対する答えに近づけるのです。さらに、仮説3で見たように、一つの仮説が検証されれば、その理論をもとに別の仮説を演繹的に積み上げ、さらに理論を発展させることができる、というのも重要です。

逆に、データを分析して何かの関係が見えたとしても、それ自体は、whyについて何も語ってくれません。whyへの答えを考えることができるのは、(私が知る限りではいまのところ)人間だけです。そもそも、whyへの答えを知りたがるのも人間だけかもしれませんが。そして、whyに対する答えがないと、次の理論の積み上げもできないのです。

もちろん、大量にデータを集めてとりあえず関係性を分析してみる、というのが全く意味がない、と言っているわけではありません。そこから、思いもしない関係性がみつかり、それをきっかけに上記の仮説検証サイクルが回り始めることもありえるからです。しかし、何度も言いますが、データを集めてとりあえず関係性を分析しただけでは、「why」に対する答えはまず手に入りません。

日立の以下の事例は、まさにいい例です。

ビッグデータで集客アップ:日立が見出した、イベント会場での「ヒトの行動パターン」とは?

①イベント会場の人の動きをセンサーで情報収集し、②そこから見えた意外な動きのパターンをもとに仮説を立て、③それをもとに会場の誘導方法を変えてみた、そうしたら、実際に効果が出たことで、仮説が検証できた、そして、次の年のイベントは、④得られた結果をもとに会場全体のレイアウトを見直し、それがうまくいくか検証する、というサイクルです。まさに、以下のくだりに、科学的思考の真髄が現れています。

もちろん、日立側が意図したとおりに来場客が動いてくれるかは分からない。今回も人の流れをセンサーで分析し、効果の検証を行う。しかし検証を行えること自体が大事だと、野宮氏は強調した。

結局のところ、本当にどうなっているか、は、自然科学にせよ社会科学にせよなかなか分からないわけで、「今までに分かっている理論から仮説を立てる」→「データを取り、検証してみる」→「その結果をもとに理論を進化させる」→「さらにそれをもとに次の仮説を立てる」というプロセスで、答えに接近していく、というのが大事なわけです。

逆に言えば、「とりあえず分析してみる」ときも、あくまでそれ自体がゴールではなく、この後の科学的思考のプロセスをスタートするきっかけなのだ、と考えて始めることが大事だ、ということです。冒頭の例に話を戻すと、そういう姿勢がチームで共有されていなかった、ということが最大の問題であると私は思います。

「うちの会社は・・・」の功罪

伝統的に日本経済の屋台骨と考えられてきた自動車、電気、精密などの業界でも、経営状況が芳しくない企業に関する報道を聞くことが、この10年くらい続いています。

去年は、三菱グループからの支援を受けて再生を図っていた三菱自動車がさらなる不祥事の結果、日産に救済されましたし、巨額の損失隠し、損失先送りが明らかになった東芝でも、さらなる不祥事が次々に明らかになり、債務超過も近いという報道も出ています。

こうしたニュースが報道されるたびに、「なぜ、会社は変われないのか」「なぜ、社会的に許されないとわかっているのに不正をしてしまうのか」ということが頭をよぎるのですが、本稿では、「組織アイデンティフィケーション(組織への自己同一化)」という観点から、この問題に切り込んでみようと思います。


「自分は何者か」という問いと、会社の関係


 

人間の心理の根幹にあるものの一つとして「自分は何者か」という概念があります。これをアイデンティティと呼びますが、心理学や組織行動論においては、人間がアイデンティティを定義するやりかたには、大きく3つがあると考えられています (Brewer & Gardner, 1996 参照)。

  1. 自分の持っている固有の特性で定義する(例えば、「自分は営業のプロだ」など)
  2. 自分にとって重要な他者との関係で定義する(例えば「自分は〇〇さんの弟子だ」
    「〇〇の妻・夫だ」など)
  3. 自分が所属している集団を元に定義する(例えば、「自分は〇〇社の一員だ」「自分は阪神ファンだ」など)

 

実際には、誰でも3つの方法のいずれのアイデンティティも持っており、なおかつ、それぞれのやり方のなかにも、複数のアイデンティティを併せ持っている、と考えられています。上の例のすべてが同じ人の中に混在しているわけです。

ただし、それらが常にすべて意識されているわけではなく、場面によって表面化する自己定義は変わる、と考えられています。例えば、営業担当者として顧客に訪問する際には、自社を代表して顧客を訪問している、というアイデンティティが強くなるかもしれません。また、仕事中に家族から子供が急に熱を出した、という連絡をうけた際は、子供の親としてのアイデンティティが表出しやすい場面と言えるでしょう。

もちろん、アイデンティティの中にも相対的な強さの違いはあり、「〇〇社の一員」としてのアイデンティティが非常に強く、自分の中で組織の一員であることが重要な位置を占めている人もいます。そして、このように、組織への帰属を元にアイデンティティを形成することを、「組織アデンティフィケーション」と呼びます。

組織アイデンティフィケーションの強い人の特徴には以下のようなものがあります。どうでしょうか?少なからず当てはまるところはないでしょうか?ちなみに、面白い点は、組織を去っても組織アイデンティフィケーションは必ずしもなくならない、ということです。会社を辞めたのに、会社の立場からものを語ってしまう、ついつい会社のいいところを自慢したくなる、というのは、その症状と言えるでしょう。

  • 組織が悪く言われると、自分が批判されたような気分になる
  • 組織が褒められると、自分のことのように嬉しい
  • 組織のことを「我々は」「自分たちは」「うちの会社は」という表現で語る
  • 他人が組織のことをどんな風に感じているか気になる

 


「組織アイデンティフィケーション」のメリット


組織にとって、従業員の組織アイデンティフィケーションを高めるメリットは無数と言っていいほど存在します (Ashforth et al. 2008参照)。

個人は、組織の成功を自分の成功だと感じるようになりますので、自分の仕事の範囲に限らず、主体的に組織のために行動したり、互いに支援し合う、という行動をとりやすくなります。また、顧客に対して組織を代表して行動したり、自分の所属するチームや部門の利害にこだわるよりも、組織全体にとっての利害を考えて行動する、といった影響も知られています。さらに、組織アイデンティフィケーションが強いと、離職意向が下がる傾向があります。

では、組織アイデンティフィケーションを促進する要因にはどのようなものがあるのでしょうか?

一つの大きな要因は、組織に際立った特徴があり、なんらか、優れている、と思えることです。人は誰も、自分について肯定的に感じたいという欲求がありますので、際立った特徴を持つ、優れた組織の一員だ、と感じることには非常に強い魅力があります。よく知られた、ブランド力のある会社であることも、アイデンティフィケーションを促します。また、厳しい採用をくぐり抜けて入社した、ということ自体も、特別感を通じてアイデンティフィケーションを促すのではないか、という指摘もあったりします。

高邁なビジョンを掲げることや、その実現に向けて組織や、そのメンバーが成し遂げたことを振り返り、称え合うことなども、同じような意味で、組織アイデンティフィケーションに寄与すると考えられます。

また、組織的に「その会社の人に染め上げる」ことも有効です。その会社のビジョンやゴールを理解し、その会社ならではの言葉遣い、ものの考え方、仕事の動きを学ぶこと、そうしたトレーニングを、他の部署のメンバーと一緒に受けることなどは、「組織の一員」という意識を醸成する上で有効であることが知られています。この意味で、日本の新卒一括採用と、その上での新入社員教育、また、定期的に行われる○年目研修といった仕組みがあること、さらには、長期雇用で、中途採用も限られるため、その会社固有の言い回しや言葉遣い、書類の作り方など、様々な「お作法」が存在することは、アイデンティフィケーションを促す仕組みになっている、と言えるでしょう。

 

 


「組織アイデンティフィケーション」の罪


さて、話が長くなってきましたので、もとのお題に戻りましょう。

組織アイデンティフィケーションには、上記のような様々なプラスの面がある一方で、組織の変革を阻み、不正を生みかねない、といった暗い副作用もあることが知られています。

たとえば、組織アイデンティフィケーションが強いことが、研究開発部門におけるクリエイティビティの低下につながる、失敗しつつあるプロジェクトを見直すことができなくなる、組織変革への抵抗を生む、といったマイナスの影響が報告されています。これは、組織への同一化が強すぎるがゆえに、組織内で主流の考え方とは異なるような外部の考えを取り入れたり、組織の現状を否定するような思考、判断ができなくなる、ということだと考えられます。

また、組織アイデンティフィケーションが強すぎる(over identificaiton)と、組織内における倫理的に問題がある行動について疑問を呈することができなくなったり、そういう行動に対して手を打つ行動に出られなくなる、といった悪影響が指摘されています。組織アイデンティフィケーションが強いと、組織を守ることは自分のアイデンティティを守ることに直結しますから、「組織(=自分)を守りたいがために」目の前の不正を見逃したりしてしまい、結果として、長期的な組織の繁栄のためにはマイナスな行動を取ってしまう、というわけです。

先ほど述べた通り、日本の伝統的な、よく名の知れた企業は、従業員の組織アイデンティフィケーションを促す仕組みが様々に整っています。そのことは、組織メンバーが一丸となって、互いに助け合い、組織のために行動する、といった意味でプラスに働いてきた時期も長かったと考えられます。が、一方で、そうそうたる大企業が自己改革に失敗したり、中からの不正でダメになっていく姿をみると、それが過ぎて、自己改革や、自浄作用が働かなる、といったことがおきているのではないか?とも思えるわけです。

 


まとめと考察


 

組織アイデンティフィケーションを強化することは悪いことではありません。むしろ、組織に個人を結びつけ、協働を促す上では欠かせないものだ、と言えるでしょう。ただし、過ぎたアイデンティフィケーションはむしろ害になりうるため、従業員には、「組織の一員」に完全に染め上げるのではなく、それ以外の様々なアイデンティティを育み、発揮する場面を作るのがいいのかもしれません。

最近良く聞く、プロボノや副業などの越境活動で会社以外の場で力を発揮し、人間関係を築くことは、間違いなくアイデンティティの多様化(個人の中でも、組織の中でも)につながると思われますし、男性が仕事に加えて、家族の一員として育児や家事に関わっていくことも、「組織への帰属」を基盤にしたアイデンティティだけではない自己意識につながると思われます。このように考えると、こうした活動は、組織への過度のアイデンティフィケーションを防ぐ、という面で、組織に好影響があるのかもしれません。

<参考文献>

Brewer, M. B. & Gardner, W. 1996. Who is This “We”? Levels of Collective Identity and Self Representations. Journal of Personality & Social Psychology, 71(1): 83-93.

Ashforth, B. E., Harrison, S. H., & Corley, K. G. 2008. Identification in Organizations: An Examination of Four Fundamental Questions. Journal of Management, 34(3): 325-374.

人の性格は環境で変わる(こともある)。

従来の心理学においては、個人の「性格(personality trait)」は成人になった後は、加齢にともなう緩やかな変化を除いては、大きな変化は無いと考えられてきました。

性格テストが企業の採用について幅広く活用されてきたのはこのためです。スキルや知識のような入社後に学べる要素と異なり、性格はあまり変わりにくいので、入社段階で見極めておきましょう、というわけです。たとえば、私が以前所属していたリクルートグループが提供しているSPIのウェブサイトでもこんな風に語られています。

SPI3は、人間の行動のベースである「基本的な資質」を「知的能力」と「性格」の2領域にわけて測定している適性検査です。これらは比較的変わりにくく、入社後育成しにくいため、採用時に見極めるべき領域だと言えます。

しかし、最近の研究からは、成人後の様々な経験によって、加齢による緩やかな変化の範囲を超えて、性格が変化することが明らかになっています。私の博士論文の執筆の過程で、この点についてなかなか面白い研究をいくつか見つけたので、ブログとしてまとめておこうと思います。


失業による性格の変化


例えば、働いていた人が職を失い、一定期間無職でいると、性格が変化する傾向がある、また、その影響は男性と女性によって異なる、ということを、ドイツでの7,000人近くを対象にした4年間の長期にわたる追跡研究から明らかにした研究がBoyceらによって2015年に発表されています。

同研究によると、男性は無職期間が続くと勤勉性が一貫して低下し、女性は社交性が低下していく傾向があるようです。また、無職期間に起きた変化が、再び就職して働き始めることで消えてしまう、と言う傾向も見られました。このことからは、「働いているか、働いていないか」ということが性格という、個人の根幹にあるような特性まで変化させる影響がある、ということがよくわかります。

こうした変化が生じる要因としては、環境の変化に合わせて日々の生活の行動、思考、感情が変化する、そして、新しい環境での生活が長期間積み重なることで、新しい行動、思考、感情のパターンが常態化し、性格そのものが変化する、ということが考えられています。また、男女で影響が異なる背景としては、社会的な役割期待が男女で異なることや、変化に面した時の対処の仕方に男女差があることなどが、要因として指摘されています。

 

 


職務を通じた主体性の向上


一方、働き続けている中で、日々の職務環境によって性格に変化が出ることを示す研究も、徐々に報告されています。例えば、Liらは、同じくドイツにおける450人あまりの3年間の追跡調査をもとに、主体性(proactive personality)が変化することを2014年に報告しています。

彼らの分析からは、職務上の特徴と、個人の主体性の間には、循環的な関係があることが示されています。具体的に言うと、

1.「自分の職務をコントロールできる」度合いが高く、「要求水準」が高い仕事についている人ほど、時間とともに「主体性」が高まっていく傾向がある

2.「主体性」が高い人ほど、時間とともに、より「自分の職務をコントロールできる」度合いが高い仕事につく傾向がある

ということです。人は、環境に合わせて性格を変化させていく(1)だけでなく、自分の性格に合わせて環境を選ぶ、あるいは環境を作り変えていく(2)、ということです。

このことは、企業の立場から考えれば、従業員をがちがちにコントロールするのではなく、自ら職務の内容をアレンジしたり見直したりする、といった自律性を発揮する空間を提供することが、「自ら仕事を作り変え、それを通じてさらに主体性を高めていく」という良いサイクルを生む可能性を示しています。また、そうした自らコントロールできる環境を提供することが、主体性の高い人材を引きつけ、引き止める上で重要だ、と言えそうです。逆に、上司があれもこれも口を出して部下に自分で判断をさせず、組織的にも様々な制度で従業員が自ら仕事をコントロールする余地をあたえないでいると、主体性のある従業員は去ってしまうし、また、残っている従業員の主体性も低下する恐れがある、ということでもあります。

逆に、個人の側からすれば、適度なプレッシャーのある中で、自らコントロールできる余地をあたえてくれる環境に身を置くことが、自分の主体性をさらに高めることにつながる、と言えそうです。

私の古巣、リクルートの創業者、江副氏が作った標語、「自ら機会を作り、機会によって自らを変えよ」には真理が潜んでいた、ということを示す研究と言えそうです。江副氏は人間についての非常に鋭い嗅覚を持っていた、というふうにリクルートの昔の話を聞けば聞くほど感じますが、ようやくアカデミックな研究が彼の考えに追いついた、と言ってもいいかもしれません。

また、単に自由を与えるだけではなく、高い要求をし、適度なプレッシャーを与えることもまた、従業員の主体性を伸ばす上では有効だ、ということもこの研究からは読み取れます。ただし、この研究とは別に、高い水準の要求をうける一方で、上司や同僚からのサポートがない状況が長く続くと、ストレスから肉体、精神に悪影響が出るという研究もありますから、あくまでもバランスが重要だ、ということは忘れてはいけませんが。


まとめ


 

このように、「性格は成年後はあまり変わらない」という通念の見直しを求めるような研究が最近、次々に発表されており、徐々に研究者の間でも性格の安定性については再検討の必要がある、という考え方が徐々に広まっています(もちろん、あくまでも年単位の時間をかけてのゆるやかな変化の話である、という点には留意が必要ですが)。

特に、主体性に関するLiらの研究は重要です。主体性は、様々な職務上のパフォーマンスや、キャリア上の成功に影響していることが知られているからです(もちろん、世の中、高度な主体性が求められる仕事ばかりではありませんが)。

採用時において、主体性を要件の一つに置いている企業は多いと思います。例えば、経団連の調査によれば、「主体性」は新卒採用で求める要件として「コミュニケーション力」に次ぐ第2位に2010年以降、安定して入っています。

しかし、「主体性」を採用時に求める企業群が、果たして入社後に、自らの職務をコントロールして、自律性を発揮できるような環境を提供しているのでしょうか?また、適度なプレッシャーをかけるとともに、燃え尽きないようにサポートを上司や同僚から提供する組織作りができているでしょうか?私のコンサルティングの経験から考えると、主体性の高い人を採用しても、入社後にそれをスポイルしてしまっている会社は少なからずありそうです。

人事に関わる仕事をなさっている方は、採用時に学生に主体性を求めるだけではなく、自分たちの組織がそれを活かし、育める環境になっているか、について振り返ってみるといいかもしれません。

また、採用時に主体性の非常に高い人材を仮に採用できなかったとして、入社後に伸ばすことも可能だ、という点も重要です。大学卒業時にはやや標準を上回る、くらいの主体性の人材を、入社後の機会とプレッシャーを通じて、数年で化けさせるような環境づくりができたら、企業の競争力の基盤となることは、想像に難くありません。むしろ、社会的には、そういう企業が増えることのほうが、価値が高いかもしれませんね。

 

参考文献:

Boyce, C. J., Wood, A. M., Daly, M., & Sedikides, C. 2015. Personality change following unemployment. Journal of Applied Psychology, 100(4): 991.

Li, W.-D., Fay, D., Frese, M., Harms, P. D., & Gao, X. Y. 2014. Reciprocal relationship between proactive personality and work characteristics: A latent change score approach. Journal of Applied Psychology, 99(5): 948.

分析の基本:相関と因果は違う

昨日の夜、とある人事業界の友人から、フェースブックのメッセージで、データ分析に関する質問をもらいまして。そこから始まった会話が、データ分析を語る上では基礎でありながら、結構大事な話だったので、備忘も兼ねて書いておこうと思います。

友人からのメッセージを引用すると、

https://blog.findy.us/saiyo-jikasougaku/

この考察は正しいのでしょうか。わかるようなわからないような。

(出典:筆者の友人)

で、このサイトが何をおっしゃっているのかというと、

成長を続けている会社というのはそのマーケットで勝ち切る人材がいる「採用に強い会社」であることが多いです。(中略)

古巣のレアジョブのケースでも150社くらい競合がひしめくマーケットで「なぜ一番に上場できたか?」「なぜ消える側の会社にならなかったのか?」というと、そこで働く人の差分、レベルが他社より高かったというのが大きな理由と感じています。

(出典:Findy社のウェブサイト。筆者はYamadaYuichiro氏)

と、いうわけで、「採用力が高い」→「企業としての成長力が高い」のではないか?という因果を仮説として提示されてます。この企業は、企業の採用を支援するビジネスを展開されていますので、動機としてはよくわかります。「採用を頑張れば成長力が上がります、だから採用に力を入れましょう(そしてうちのサービス使ってください)」という訳ですね。

で、この仮説を証明するために、自社のツールを使って求人票の質を分析し、求人票のクオリティと、時価総額の関係性をグラフにして表示されています。参考に、リンク先のサイトに載っている画像を引用しますね。

ただ、残念ながら、この分析には大きな問題があります。

 

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(出典:Findy社のウェブサイト。筆者はYamadaYuichiro氏)

 


この分析の問題点① 因果と相関は違う


 

まず一つ目は、相関と因果は違う、ということです。

統計を勉強すると必ず学ぶことですが、「AとBが相関としている」というのは「Aが高いとBも高い、Aが低いとBも低い」ということです。一方で、「AとBの間には因果関係がある」というのは、「Aが起きると、その結果、Bが生じる」あるいは、「Bが起きると、その結果としてAが起きる」ということを指します。

で、筆者の方は、「採用力が高い」→「企業としての成長力が高い」のではないか?という仮説を文中で提示されているのですが、そのあと、分析の段階になると、上の図にもあるように「採用力が高い=時価総額が高い」と、相関の分析をしてしまっています(あ、もちろん、時価総額が高いことと成長力が高いことは違う、という点も重要な問題点ですね。成長力を語るのであれば時価総額なり、売上、利益なりの増加率を見なければいけません)。

実際、グラフを見ると相関しているように見えますね。ただ、この相関を持って、「採用力が高い」→「企業としての成長力が高い」という因果は語れません。逆の相関があるからです。例えば、

「企業としての成長力が高い」→「採用数が多い」→「採用の経験が積める」

「企業としての成長力が高い」→「人がボトルネックになる」→「採用に力をいれる」

のように、「企業の成長力が高い」ことによって採用力があがる、という因果の流れはたくさんありえます。

なので、本当に「採用力が高い」→「企業としての成長力が高い」という因果を証明したいのであれば、相関からさらに踏み込んで、この向きの因果である、ということを示す分析をする必要があります。


この分析に潜む問題点② 因果とは本質的に時間差を含むもの


 

で、そのような分析をする上で考えなければいけないのが、因果というのは、本質的に時間差を含むものだ、ということです。

今回の例で言えば、「採用力が高い」と、「戦略にあった人が取れる」し、「競合よりいい人が取れる」ので、「人材がいい仕事をしてくれる可能性が高い」ために、「いいサービスが開発できたり、有効なマーケティング上のうち手を打ったり、効果的なコストダウン施策が打てる」ので、「成長力があがる」という話ですから、普通に考えれば、今この瞬間に「採用力が高い」ことが、企業としての成長力につながるためには、少なくとも数ヶ月単位の時間がかかりそうです(どれくらいの時間がかかるかは、企業の規模とか、意思決定の身軽さとかに影響を受けそうですが)。

なので、「採用力が高い」→「企業としての成長力が高い」ことを示す上では、今この瞬間の「採用力」と、「成長力」の関係を分析しても説得力が実はありません。少なくとも数ヶ月はずらしてデータをとって、その間の関係を分析する必要があります。

具体的にいえば、今日この瞬間の採用力を分析した上で、その後半年、あるいは1年、3年、という期間で見たときに、今この瞬間採用力が高かった企業が成長したのか、ということを分析しないと、「採用力が高い」→「企業としての成長力が高い」という仮説は検証できない、ということです。

なので、このサイトがこのデータをもとに結論として、

企業を成長させたい経営者ではあれば「採用力」は大事ですね。

と語っているのは、無理がある、と言わざるをえません。

 


補足


まあ、他にもいろいろ突っ込みどころはありまして、上にも書いた通り「成長力が高い」ことと「時価総額」は違いますし、「採用力がある」ということを測定するのに「求人票の質が高い」ことで測っていいのか、というのもあります。
さらに言えば、業界によって企業の実際の売上や利益と時価総額の関係にはかなりばらつきがあるし、ある瞬間の時価総額だけを切り取ると、その時の相場の状況の影響がすごく大きくなるのでは?という点も気になります。
が、そうした測定上のいろいろな問題点よりも、私としては、「相関」で「因果」を語ることの問題点がはるかに気になったので、上記の①②に焦点を当てて書いてみました。この手の記事は時々見かけますが、残念ながら統計分析のことを本格的に勉強したことがある人には問題があることが瞬間的にわかるので、気をつけたほうがいいかと。
ちなみに蛇足ですが、「採用も含めて、育成、評価、社内コミュニケーションなど、総合的に人事、組織作りをきちんとやっていると時価総額にプラスの影響がある」といいうことを示した研究は存在します。人事系の研究者であれば誰でも知っているのではないか、というくらい有名な論文で、Mark Huselid という研究者が1995年にAcademy of Management Journalに発表したものです(こちらからダウンロードできます)。
なので、総論として、質の高い人事を行うことが企業の成長に資する、という主張をするのであれば、それは根拠のある主張だと思います。ただ、個人的には、採用だけに論点を絞るのは、あまり筋がいい分析だとは言えないと思います。なぜならば、採用を頑張っても、とった人がそのあと活躍してくれないと成果に繋がらないからです。

世界大学ランキングの調査票が送られてきた。

今朝メールボックスを開けてみると、Times Higher EducationのWorld University Rankingへの調査依頼メールが届いてました。
毎年、東大が何位、とか、日本からは何校がランキング、みたいにニュースになるあれです。
まあ、調査にお招き頂いたのは、一人前の研究者として認識されたのだと思うので、ありがたいことなのです。が、内容にちょっと驚きました。僕の専門分野の中で、

「世界で最も優れた研究をしている大学を15校」

「世界で最も優れた教育をしている大学を15校」

答えてくださいってことなんですが(加えて、あなたの国で、というのがさらに続きます)、正直言って真面目に考えれば考えるほど回答が難しい質問です。
研究であれば、論文には必ず筆者の在籍校が記載されているので、よくみる名前はさすがに数校くらいなら印象に残るのですが、とはいえ15校と言われると厳しいですし、そもそも研究者の名前は覚えていても、大学の名前まで注意を払っていないことが殆どです。
さらに、教育は正直言って判断する根拠が乏しいです。他の大学でやっている教育の内容を直接見る機会は無いし、リクルーターみたいに、いろいろな大学の卒業生にたくさん会うわけでも無いですしね。あるとすればPhDの採用でいろんな大学からの応募があるって感じですが、それ分かるのはPhD教育の質であって、より規模が大きい学部や修士の質は何もわかんないし・・・・
と、いうことで、総じて判断の根拠が乏しいのです。ベテランの先生ならもうちょっと情報量あるのかなあ、と考えましたが、多分程度問題でしょう。
こういう調査の結果は明らかで、「有名」で「好印象」な大学が選ばれやすくなります。
じゃあ、ランキングを上げるためにはどうすればいいか?

研究者の間での知名度と印象をあげればいいのです。

もちろんランキングはいろいろな要素で構成されているので、これだけの話では無いのですが、ランキングをあげよう、という大学の立場に立つと、結局のところ、上記の設問に答える研究者に純粋想起されるように、まずは研究者の間で名前を売れば単純に人気投票部分の点数は上がりますよね。
これで、学会で見かける、

「スポンサーになることで自校の名前を学会パンフに載せる」

「自校の名前をバッグに刷って学会で配る」

「学会会場でブレックファーストや夜のパーティを主宰する」

みたいな売名行為みたいな活動を、いろいろな大学がやってたのはこのためだったのか・・・と納得がいきました。
まあ、名前を認知してもらわないと、中身が何をやっているかも記憶に残らない、というのも理屈としてはよく分かるのですが・・・明らかに、大学の研究と教育という本業に直接寄与しない活動にお金を結構かけているわけで、ランキングに踊らされているといえば踊らされているような感もあり、なかなか微妙な気づきでありました。

Brexit=イギリスへの投資が減る、は短絡すぎる。

昨日ちょうど、Brexitに関するTheresa May首相の大きな演説があり、改めてイギリスのEUからの離脱について関心が高まった訳ですが、今日はこのことが企業にもたらす影響について少し考察をまとめておきます。

EU離脱に関しては、日本企業も様々な動きを見せておられまして、孫正義氏が率いるソフトバンクがARMに巨額の買収を仕掛けたとか、日産が、イギリス政府からBrexit後もヨーロッパとの交易条件が悪化するようなことはないようにする、という言質を取った上でイギリスの生産拠点に投資するとか、さらには、金融機関各社が財務大臣のHamond氏に直談判をしに行くといった出来事が、国民投票でのBrexit決定以降、次々と起こっておりました。

日本のメディアではどちらかというとBrexitに関して悲観的というか、イギリスは経済の先行きが暗いのでは、EUとの交渉はうまくいくのか、といったトーンの報道が多いように聞いています(直接日本の報道をチェックできていないので、国内の知人達からの伝聞だよりです。間違ってたらすいません)。上記の金融機関各社の動きにも見られる通り、EUへのアクセスが悪くなることで、イギリスに拠点を置いている企業がビジネスを大陸側に移す、また、新たな投資が行われなくなる、ということへの懸念はわからなくもありません。

が、実際にイギリスでニュースを見ていると、Brexit後に、新たにイギリスで拠点を拡大する、あるいはイギリスに戦略的な拠点を置くことにした、それにあたって新たに雇用が増える、といった意思決定をした企業が目白押しです。Googleがロンドンにあらたな拠点を設けて3000人を雇用し、Appleはイギリス郊外に新たな巨大キャンパスを設置、Facebookがロンドンの拠点を1.5倍に拡大、さらにはIBMがデータセンター機能を3倍に拡大するということです。最近も、ミールデリバリー事業を世界中で展開しているDeliverooがロンドンの本社を拡大して、ハイスキル人材を新たに雇用すると言うニュースが出ておりました。

読者の方は既にお気付きだと思いますが、ITに関連する高スキル系の拠点ばかりでして、製造業の話で大きいのは上述の日産くらいです。これは一体なんなのか?という話です。

そもそも、企業が海外に投資する理由には大きく4つあると言われておりまして、①その国の市場でモノ・サービスを売る、②その国でしか取れない資源(金属とか石油とか)を調達する、③コスト面での優位を獲得する(一時の中国のような人件費の話もありますが、規制が緩いというのもコスト面では優位になりますし、税制優遇なども同様です)、そして④その国に偏在している知的資源にアクセスする、というのがあります。

最初の3つは古典的なのですが、①については後で関連してくるので1点補足を。実は、売るだけならば現地の企業と契約して輸出する、でもいいのです(さらにその派生としてはライセンスやフランチャイズなどがありますが、ここでは省略します)。それなのになぜ現地に拠点を置いて自社で売るかというとA)本国から運ぶと輸送費がかかって効率が悪い(特に重さやサイズに対する付加価値が低い製品に当てはまります、B)関税や規制などの障壁があり、現地で作ったほうがコスト的に有利、あるいは現地で作らないと売れない、C)価格政策やブランドマネジメントなどを自社できっちりコントロールできる、などなどの理由があります。

また、④は比較的新しい(と言っても2000年以降くらいの話ですが)観点です。この、4つ目の話には、産業クラスターが密接に関わります。シリコンバレーがわかりやすいですが、特定の産業が集中している場所には、それに関連したスキルを持つ高度な人材が集中しやすく、なおかつ、人脈を通じて新しい情報が手に入りやすい、さらに言えば関連サービス(例えばシリコンバレーの例で言えばインキュベーターやVC)も集まっている、と、場所に依存した濃密な知的資源が渦巻く傾向があり、それらにアクセスしようとすると、その場所に拠点を持って、人脈の中に入り込むのが早い、となるわけです。余談ですが、ロンドンで言えば、映画などのSFX の画像処理の世界有数のクラスターらしく、専門性の高い小さいスタジオが無数に集まって、濃密なネットワークを形成していて、ハリウッドの映画などもかなりがロンドンで画像処理が行われていたりする、らしいですね。

さて、そもそも論が長くなったので、そろそろEUの話に戻ります。

ここに、EUなどの経済ブロックがどう関わるというと、単純に言うと①の範囲が拡大するのです。EUの中は規制が統一されており、関税がかからない、しかも物理的な距離もかなり近い、となると、イギリスで製造したモノを、なんの障害もなくEU中で売れるわけですね。正確に言うと、EU内のどこで製造しても、EU全域が市場になります。金融の場合も同じで、従来であれば各国によって金融の規制が異なり、それぞれに拠点を置いて金融取引の免許を取らないといけなかったのが、「パスポーティング」という制度のおかげでイギリスの拠点でEU中のどこにでも金融サービスを提供できるようになっています。

これが、EUから出ると、こうしたメリットがなくなる、あるいは薄れるために、イギリスの企業がヨーロッパに売れなくなって困るのではないか、また、イギリスに投資する企業が減るのではないか?というのがBrexit後のイギリスに対する悲観論のベースにあると思われます。ですが、イギリスへの投資に限って言えば、上記の通り、新しい投資の話が結構頻繁にあるわけで、この発想は必ずしも正しくありません。

ここでポイントになるのは、この手の投資の主たる目的が①なのか?ということですよね。イギリスでモノをつくってEUに運んで売ることを考える場合には、EU離脱は大いに問題になりえます。特に、これから始まる自由貿易交渉がうまくいかなかった場合はそうです。また、金融も同じですね。ロンドンのシティで人を採用して、EU中にサービスを提供する、というのができなくなるかもしれない、困る、というわけです。

しかし、上述のテクノロジー企業がイギリスに投資するにあたって彼らが重視しているのは、EU市場へのアクセスなどではなく、高スキル人材の調達のしやすさだと思われます。例えば、Facebookはロンドンの拠点拡大の目的を以下のように説明してます。

“Many of those new roles will be high-skilled engineering jobs as the UK is home to our largest engineering base outside of the US,” said Ms Mendelsohn, who is vice-president for Europe, the Middle East and Africa at Facebook.(BBCより引用

イギリスはソフトウェアの開発拠点であり、ハイスキルのエンジニアを採用するという話です。同様に、Googleも投資にあたって以下のように述べています。

“We see big opportunities here. This is a big commitment from us – we have some of the best talent in the world in the UK and to be able to build great products from here sets us up well for the long term.”

“The innovation we see here, the talent we have available here and how on the cutting edge of technology we are able to be here makes it an incredible place for us to invest,” he said.(BBCより引用

やはり、イギリスの人材(Talent)が大きなポイントとなっています。ここからは、イギリスのハイスキル人材を獲得し、世界に向けたサービス開発の拠点として活かしていこう、という方針が見えてきます。上記の海外進出目的でいえば、④知的資源へのアクセスが目的、というわけです。

冒頭で挙げたAppleやGoogle, IBM, Facebook, Deliverooは、いずれも製造業でも金融でもありません。ウェブ上で提供できるサービスは世界中どこにいても提供できるわけですし、それを支える技術の開発もどこでやってもいい。そのための人材がいるか、イノベーティブな人たちのネットワークがあるか、が大事なわけです。このように、距離や規制に関係なくどこにでもサービスを提供できる立場から考えれば、イギリスがEUの単一市場の一部だということは、イギリスに投資するメリットには殆どなりません。逆に言えば、イギリスがEUから出てもあんまりデメリットはないはずです。

考えてみればARMについても同じで、彼らは半導体の設計を中心に開発機能に特化した企業で、製造は自分でやってません。開発した技術をライセンスとして他社に提供することで稼ぐ会社です。イギリス(や世界各地)の拠点で開発した知的資産(IP)は、世界のお客さんに提供されるわけで。おそらくイギリスにある拠点の中で、EUの市場にサービスを提供するための機能は営業などの一部機能に限られると思われます。どのみち、営業機能はEU内と言ってもイギリスに集約するより各国においたほうが効率良いかもしれませんしね。

さらにこの考えを推し進めると、日本企業の中でもイギリスに製造拠点を置いてEU内市場に輸出をしている場合は別ですが、それ以外の、「イギリスにヨーロッパ向けの開発拠点はおいているけども製造自体は東欧でやっている」とか、「イギリスに欧州・中東・アフリカの統括機能をおいているけれども、製造は東南アジア、販売は欧州の各国」みたいなパターンの企業は、Brexitによるマイナスの影響がものすごくあるのか?というと僕には正直、思いつきません。実際、イギリスにいる日系製造業の方と話していても、「製造と物流の機能はイギリスには置いてないんで、とくに影響ないんと思うんですよ」みたいな話は少なからず聞きますし。統括機能に関しては、開発の話と少し観点がかわりますが、税制が有利、各国への航空アクセスが充実してる、関連するプロフェッショナルサービスにアクセスしやすい(例えば会計事務所や法律事務所、コンサルティング、金融サービスなど)、英語で高度なスキルの人材が採用しやすい、統括する先との時差が少ない(欧州で中東やアフリカを統括するのは、旧植民地のつながりに加えて、これが大きな要素ですよね)みたいな条件がロケーションの選択の肝になりそうで、だとすれば、EUへの市場アクセスが大きく影響するとは思いにくいわけです。

と、いうことで話をまとめると、EU離脱によって問題が出るかもしれないのは、あくまでもEUを拡大国内市場と見て、そこに売るためモノを製造したり、金融サービスを提供する拠点としてイギリスに進出する、という話であって、EUに限らず世界を市場と見て、そのための独自の知的資産(例えば技術)を獲得、創出するためにイギリスに進出する、あるいは、グローバル(あるいは特定地域の)経営を統括する拠点として進出する、という話には殆ど関係がないはずです。むしろ、産業クラスターの形成が進んでいるか、といった、イギリスの独自性に関わる条件のほうがよほど重要ではないかと。

そして、Brexitによってイギリスは、産業や地域ごとに独自の税制や産業振興策をEUから離れて行うフリーハンドを得ますし、もともと世界で有数の大学が沢山ある国ですから、この手の知的付加価値の高い産業・機能を意図的に増やしていく動きが増えるのでは?と僕は推測しています。また、EUからの移民を制限する一方で、高スキルの労働者を歓迎することを一貫して変えない移民政策も、この方向性と合致してますしね。もちろん、これによってイギリス経済全体が幸せになれるのかは僕には確信が持てませんが(特に、金融でヨーロッパとの関係がどうなるか、はシティのイギリス経済における存在感を考えると気になるところです)、知識化・グローバル化する世界を前提にすると、非常に興味深い試みだなあ、と思います。(特に、Brexitに投票したロンドン以外のイングランドの人たちが、これによって幸せになれるのか?については、かなり疑問も多いのですが、それはまた別の議論ということで)。

研究においてもやはり「職場の雑談」は必要だ。

今週2本目の投稿だ。ここ数週間、根を詰めてやっていた論文がひと段落ついたので、なんとなく気が抜けている。ブログもさぼり気味だったので、ここらで書き溜めておこう、という魂胆である。

さて、今週は生徒のエッセーの採点をして、フィードバックを書いていた。要するに小論文だ。LSEは生徒の評価は多くの場合、エッセーと試験、あとはグループワーク(これも結局はグループでエッセーを書くのだが)で行われる。今回のものは、Formative Assessmentと言って、正式に評価には反映されない、練習として行うものだが、それだけ、真面目に出してきた学生には、ちゃんとフィードバックをしなければいけない。

と、いうわけで、PhD学生の研究室に詰めて、地道にエッセーを読んではコメントを書き、採点基準とかを参考にしつつ点数をつける、というのを週の中頃からずーっとやっていた。諸々他のミーティングなども結構あって、結果的に、久しぶりに研究室に1週間、ほぼ毎日通って、朝からずーっといる、という生活になった。

それで気づいたのが、職場の価値だ。やはり、職場にいると、雑談するのである。

基本的に、うちのPhD生は自分の研究テーマを抱えていて、それを仕上げることに向かっているので、あんまり共同で取り組むこと、というのはない(一人の研究者の指揮下で動いている理系の研究室と違って、全然違うことをやっているPhD生が部屋を共有しているだけ)。

なので、元気?くらいの声をかけるくらいが、通常は関の山である。うちの学部のカラーかもしれないが、しーん、としたオフィスで、皆んなが個人の作業をしている、というのが僕がPhDを始めてからの基本的な風景であった。

今週、研究室には、もう一人、カナダ人の4年生のPhDがずーっと詰めていた。他のメンバーもたまーに現れるが、基本は朝から夕方まで僕と彼女の二人である。そうすると、当たり前だが、ちょこちょこ、雑談する。テーマは授業のことや、それぞれの研究のこと、また、今後のキャリアのことなど、いろいろである。

そして、週の後半に向かうにつれて、僕と彼女の間で、それぞれの仕事をやりつつ、時々真面目に雑談するというのが普通になった。

そうすると、次は他の人にそれが波及する。

木曜日の午後のことだ。

後輩が指導教官とのミーティングから帰ってきて、明らかにへこたれている。どうやら、かなりやられたらしい。そこで、なんとなく「大丈夫かー?」と僕が声をかける、そして、そこからリサーチモデルについてのちょっとしたお悩み相談が始まり、その後輩の研究テーマと若干重なる領域をやっている4年生の彼女も絡んで、フリップチャートに図を描いてああでもないこうでもない、という会話がしばし続いた。

そして、金曜日の午後には、へこたれていた後輩がその議論をベースにリサーチモデルを作り直してリベンジした。そして、見事、指導教官から、「これはいいじゃない!」という絶賛のフィードバックを勝ち取ったのである。

その指導教官のキャラを考えると、これは滅多にないことで、僕も4年生の彼女と一緒にその後輩の成果を喜んで、実にご機嫌な金曜日になったのであった。

・・・・・

まあ、会社であれば当たり前の光景だが、やはり、ちょっとした雑談が出来る環境がやっぱり、知的生産性という観点では、大事だ。

個別のテーマを追っかけているとはいえ、一人で考えても思いつくことはたかが知れている。やっぱり他人に話してみて、キャッチボールをすることが大事な場面が結構あるのだと思う。

そして、その結果、生まれた成果を互いに喜ぶ、というのも大事なことだ。ポジティブな感情は、クリエイティビティに繋がりやすいし、精神衛生上もいい。孤独にトピックに向き合うPhDはストレスもたまりやすい。

残念ながら、こういう会話がうちの研究室には、殆どなかったのである。先輩たちに聞いても、何年も前からそうだったらしい。率直に言って、リサーチ環境としても、学びの場としても全然ダメである。

この辺り、学部の教授の皆さんと、先輩諸氏は、一体どうお考えなのか、多少疑問に感じるところである。組織論を勉強してたら、当たり前のことだと思うのだけど。やはり、わかるのと、出来るのは違う、ということか。

この辺り、なんとか変えたいとずっと思っていたのだが、今週はなんとなく、その糸口をつかんだような気がする。やはり、ある程度、まとめて職場にいることが、そうは言っても大事なのかもしれない。