日本人は「よそもの」をどれくらい信頼するか ー 信頼感の国際比較

World Values Survey という調査(以下、WVS)をご存知だろうか?

日本では世界価値観調査という名前でも知られているこの調査は、世界の何十各国で共通の項目で調査をするという大規模な研究プロジェクトで、5年ごとに新しいバージョンの調査が行われているものだ。

最新の調査データは2010-2014年の期間に取られたものが上記のサイトからダウンロードできる。このデータは研究目的であれば誰でもダウンロードして使うことができるため、社会学などの分野で比較的広く使われている。

最近、このデータを使って各国の信頼レベルについて分析する機会があったので、ここではそのことについて書こうと思う。

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WVSには、信頼について幾つかの質問が含まれているのだが、主要なものに以下の6問がある。

1. あなたは、近所に住む人たちをどれくらい信頼していますか?

2. あなたは、個人的な知り合いをどれくらい信頼していますか?

3. あなたは、家族をどれくらい信頼していますか?

4. あなたは、初めて会った人をどれくらい信頼しますか?

5. あなたは、異なる宗教の人をどれくらい信頼しますか?

6. あなたは、異なる国籍の人をどれくらい信頼しますか?

この6問のうち前半3問は身近な人たちをどれくらい信頼するか、を聞く設問であり、後半3問は、見知らぬ人たちをどれくらい信頼するか、を聞く質問だ。

これらをそれぞれ集計したものは、「in-group trust(身内への信頼)」「out-group trust(よそ者への信頼)」という指標として知られている(例えば、van Hoorn, 2014を参照)。

これをいくつかの国をピックアップして集計してみたのが以下の結果である。ちなみに、元の調査では1〜6の6段階で、数字が少ないほど信頼が強い、という形で聞いているのだが、直感的にわかりにくいので0〜100の範囲で大きいほど信頼が強い、という物差しに変換してある。

20151105 wvs1

「身内への信頼」については、率直に言ってあまり面白くない。簡単にいってしまえば、身内への信頼は国が違ってもそれほど変わらないということだ。

一方、「よそ者への信頼」についてはかなり値にばらつきがある。スウェーデンは高く、日本と中国は低い。つまり、スウェーデン人に比べて、日本人や中国人は「よそ者」をあんまり信頼しない、ということだ。ちなみに同じアジアでも、シンガポールは日本や中国と比べるとかなり高い。

ちなみに、この差を取ってみると違いはより明らかになる。この差は、簡単に言ってみれば「身内びいきの強さ」と考えてもいいだろう。

20151105 wvs2

私は、このあたりの外部の人に対する信頼感のなさが、国際経営をとりまく様々な企業内外の行動に影響するのでは?と最近考えている。例えば、武田製薬においてフランス人のクリストフ・ウェーバー氏が社長に就任するなど、色々な企業における外国人経営者の登用のニュースが時折話題になるが、

武田薬品、壮大な実験?前代未聞の事態が進行 外国人幹部主導の「根こそぎ国際化」

こうした取り組みに、ともすると否定的、あるいは懐疑的な声が出てくる(この記事はどちらかというと好意的なトーンだが)背景には、上記のような「よそ者への信頼」の低さが影響しているのでは?と感じられるのだ。

(もちろん、日本語と英語の間の壁、日本特有の市場慣行や雇用慣行などもこれらの背景には考えられるので、一概に信頼だけを議論するのはイマイチだ、というのは当然のことである。本稿は、信頼の部分だけを切り取って書いている。)

また、ヨーロッパなどのように国際統合が進むことは、こうした信頼のありかたに影響するのか?というのも興味深い。残念ながらWVSのこの項目は最近の2回の調査から導入されたものなので、長期の変化を分析するにはまだ蓄積が足りない状況のように思われる。

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ちなみに、余談だが、日本は今回挙げた国々の中で、「身内への信頼」も「よそ者への信頼」もともに、最も低いことに気づかれただろうか?

このことは以前から社会心理学者の山岸俊男氏(現在は一橋大学の国際企業戦略研究科の特任教授)が指摘されていることで、日本はデータからみれば、「低信頼社会」なのである。このことが何を意味するのか?については、またいずれ考えてみたい。

参考文献
van Hoorn, A. 2014. Trust Radius versus Trust Level: Radius of Trust as a Distinct Trust Construct. American Sociological Review, 70(6) pp.1256-1259.

WORLD VALUES SURVEY Wave 6 2010-2014 OFFICIAL AGGREGATE v.20150418. World Values Survey Association (www.worldvaluessurvey.org). Aggregate File Producer: Asep/JDS, Madrid SPAIN.

LSEの修士学生の就業体験から思うこと。

昨日は経営学部の修士プログラムのお手伝いで学生の面接をしたのだが、そこで、海外における学生の社会人経験について少々思うところがあった(イギリスだけの話で「海外」というのは若干憚られるのだが、LSEの場合、欧米諸国、インドや中国、中南米、アフリカなど多岐にわたる国から学生がきているので、敢えてひとくくりにした)。

うちの学部にはMSc. Human Recourses and Organisationsというコースがある。その名の通り、人材マネジメント論と組織論について主に扱うコースで、来ている学生は人事のプロとしてのキャリアを目指している学生が多い。

このコースでは、修士論文のオプションとして、学生がコンサルティングを企業に対して行い、そのレポートを修士論文として提出する、というものがある。自分で企業に営業をかけてコンサルティング先を確保してくる猛者もいるが、たいていは、学部が対象になる企業を開拓して、長年のお付き合いで引き受けていただいている、と言うパターンが多い。

当然、全員には行き渡るほどの企業は確保できないので、学生を選別する必要があり、そのための面接大会が昨日だった、というわけだ。僕以外に7人のアセッサーがいて、面接とプレゼンの二つのワークを通じてそれぞれの学生を評価し、最後に意見交換をして終了、という段取りである。

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さて、前置きが長くなったが、感じたことは大きく二つだ。

まずは、学部から直接、修士に来ている学生でも、インターンなどを通じて普通に働く経験を持っている学生がそこそこいる、ということ。

もう一つはインターンをしたことが大事なのではなくて、インターンなり、学校でのグループワークなりのなかで、その学生が何をしてきたか、のほうが大事だということだ(あたりまえだ!というお叱りの声も聞こえるが、形式論が先行しがちなようなので、敢えて書いてみる)。

一つ目のポイントについては、今の日本の上位校の学生(LSEとの比較なので)が学部時代をどのように過ごしているのか、残念ながら知見がないので確たることを言うことはできない。しかし、企業側の機会の供給としては、一部の企業を除いては本格的に職場に入って働くタイプのインターンはあまり提供していないと認識している。採用活動に向けて3年生の後半くらいからというのが多いであろう。

このあたり、ワークス研究所の豊田さんが指摘するとおり、大学生活における学びと進路決定の接続が希薄だという、日本の教育・労働市場の構造的な特異性からきているものだと思われる(この点も、タイトルで「海外」と乱暴な括りをした理由の一つだ)。

一方で、私が話を聞いた、あるいは他のアセッサーから共有を受けた限りでは、LSEにいる学生たちはリアルな職場に放り込まれ、必ずしも協力が得られるわけでもない環境でもがく、という経験をしているケースが多い。

実際、学生同士で比べてみると、こうした経験のある学生の方が当然のことながらリーダーシップを発揮する、チームの中で苦労する、業務を細分化してきっちりやりきる、といった具体例が豊富で、面接上の説得力がある、というのは確かであった。イギリスのような「新入社員をゼロから鍛える」という慣行があまりない労働市場において就業経験がとにかく重視される、というのもうなずける話である。

しかし、一方で二つ目のポイントとして、実は働いた経験がなくても、学業の中でのグループワークや、大学でのイベントなどで上記のような経験を自分で積んでいれば(経験不足の感は否めず、原石という印象は残るものの)これなら大丈夫そうだから企業に送り込んでみよう、という判断ができるのも、また事実であった。ただし、そうした複数の人と絡みながら、ゴールに向かって複雑なタスクに取り組む、というチャンスがなかった学生の話は、魅力が少ない。

ということで、結論は2つだ。まず、いわゆる社会人基礎力で語られるような対人影響力や自己管理、物事を動かす力といったものを鍛えたいのであれば、実際の職場にせよ、大学の中にせよ、しんどい思いをして人を動かし、タスクを管理してやりきる、という揉まれる経験がやっぱりものを言うということだ。

そして、それはインターンでしかできなことではないようである。学業の中でいい経験をしており、企業に送り込んでみたい、と思わせられる学生は実際に存在する。一方で、そうした厳しい経験をさせられないような「お客さん」として学生を扱うインターンはあまり教育効果はなさそうだ、ということも言える。

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まあ、ここまで書いてみて、ある種「あたりまえ」の結論になっちゃったなあ、という感は否めず、読んでいただいた方には申し訳ない。が、昨日数十人の学生をアセスメントする現場に関わって感じたことのまとめとしては上記のとおりである。

もちろん、上記の話はLSEに来ている、元々達成意欲が高くて自己規範の強い学生のサンプルからの話なので、違うタイプの集団であれば話は自ずと違うのかもしれない。また、負荷をかけすぎて学生が折れちゃったらどうする、とか、インターンで安易に現場で普通に働かせるのは搾取につながらないか、などなど、いろいろな議論があるのも承知の上である。が、就業につながる学習という点で、何が大事だろうか、という点では、上記の結論はそれほどずれてないのでは?とも思う。

本社機能の国際移転と、国際経営における「距離」

私が客員研究員を務めさせていただいているリクルートマネジメントソリューションズの組織行動研究所のウェブサイトで、3ヶ月に一度のペースで連載をさせていただいている。アカデミックな知識をビジネスパーソンに発信する活動の一環として、毎回テーマを決めて国際経営の研究成果をもとに執筆している。

今回の記事は、国際経営における「距離」について書いてみた。

「遠くの親類より近くの他人」は正しいか?~国際経営における距離

距離、というと物理的に近いか近いかを想像するが、それだけではなくて文化の違いや制度の違い、経済発展の度合い、さらに言えば言葉が同じかどうかなど、様々な次元で「距離」を考えることができる。変わったところでは旧宗主国ー植民地関係というのも、距離を縮める要因になる(詳しくは記事をご覧いただきたい)。総じて、距離が離れているほどビジネスは難しくなる、というのがこれまでの通説だ。

この「距離」という概念は、昨今、時折日本企業でも聞かれる、本社機能の海外移転にも関わってくるように思われる。

例えば日立の鉄道事業の本社機能の一部はイギリスにある。

この意義について、日立レールヨーロッパ社の光富氏は、イギリスに来たことで、イギリスの旧植民地に張り巡らされた人脈ネットワークで情報の質や量が変わった、と述べている。そして、そのことが、海外の鉄道市場を攻略するにあたっての優位だと見なしている。

これを「距離」という観点でとらえなおすと、意思決定の拠点を日本からイギリスに移すことで、様々な国からの「距離」が短くなった、と捉えることができる。

もちろん、本社機能の移転に関しては税制や産業集積など様々な要素が絡む、より複雑な意思決定ではあるのだが、光富氏のお話からは、「距離」も無視できない要素だ、ということがうかがえる。

我々日本人はついつい日本がハブである、という前提でビジネスを考えがちだが、グローバルなビジネスの中でどこに意思決定をする拠点をおくと「距離」という観点で有利なのか、というのを考えてみるのも重要かもしれない。

ブログ始めました。

以前にワインに関するブログをやっていたり(現在は閉めました)、LSEでの修士コースへの応募〜卒業までの経験について書いていたりましたが(今もアーカイブ的においてあります)、改めてブログを始めることにしました。

目的は大きく二つで、日々考えたことをきちんと後で振り返れる形で残していきたい、ということと、独立した研究者として自分の研究や関連して考えたことを発信していくメディアを持つためです。

私は研究者としては駆け出しですが、アカデミックに学会や学会誌で論文を発表していくだけでなく、ビジネスパーソンに対してアカデミックな知見をきちんと発信していくことも行っていきたいと思っています。

ビジネスパーソンの日々の疑問に答えられる研究は世の中にたくさんあって、個人的にお会いした人に「こんなことがわかってるんですよ」とお話しすると結構驚かれることが多いのですが、残念ながら、そうした知識が広くビジネスパーソンの皆さんに共有されてるわけではないと思ってます。

自分で新しい、面白い研究をやっていくのがまずは本業ですが、同時に、そのギャップをつなぐことにも貢献していく、というのが私の研究者としての野望です。