国の繁栄度を測定する。

先日の信頼感に関する国際比較にちょっと関連する調査を見つけました。

The Legatham Prosperity Index 2015

この調査は、ロンドンにあるLegatham Prosperity Instituteというところが毎年出している調査だということです。

ちなみに、日本は19位で、アジアではシンガポールが17位。そこに香港(20位)、台湾(21位)、韓国(28位)が続きます。

上位にはノルウェー、スイス、デンマーク、ニュージーランド、スウェーデンなど、いわゆる欧米の比較的人口規模の小さな国が並びます(ニュージーランドは地理的には欧米ではないですが)。人口が小さい方が国民の合意形成がしやすくて、多くの国民の意思を繁栄した政治が行われやすいとか、機動性がいいとか、そういうことがあるんでしょうかね?

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この調査はまさにIndexと言う名前が示している通り、8項目の性格の異なるサブカテゴリーの得点を総合して総合得点を算出するタイプの尺度(=ものさし)なわけですが(*詳しくは後ほど)、サブカテゴリーの中で上位のものはHealth(健康)が全体で7位、下位のものはPersonal Freedom(個人の自由)が全体で33位となっています。

で、実はこのPersonal Freedomの点数を引っ張っているのは、どうやら先日の投稿で書いた、信頼感と、内輪びいきの話のようなのです。

信頼感の国際比較 ー 日本人は「よそもの」をどれくらい信頼するか

この項目は、さらに小さなカテゴリーに分かれておりまして、項目と内容を超訳してみると、以下のような感じになっています。

1. Composite of civil liberty and freedom of choice

(サーベイ形式で自由の度合いを国民に聞いたもの)

2. Civil liberty

(法の支配や表現・信条の自由、様々な権利などの制度的充実度)

3. Satisfaction with freedom of choice

(選択の自由に対する満足度をサーベイで聞いたもの)

4. Good place to live for ethnic minorities?

(民族的マイノリティにとって住みやすい場所か?をサーベイで聞いたもの)

5. Good place to live for immigrants?

(同じく移民にとっては?を聞いたもの)

日本の得点と調査全体の平均値を見ていくと、明らかに低いのが4と5。民族的マイノリティと移民にとって、それほど住みやすい場所ではない、というわけです。他の項目は平均点を(ものによってはかなり)上回っているので、この2項目が全体の足を引っ張った、と言えそうです。

これはまさに、日本の社会に根付いた「よそ者」に対する扱い方を反映した調査結果といえますね。メインストリームの日本人(ってなんなのか、ってのも議論の余地がありますが)には快適かもしれないが、それ以外の人にはあんまり快適じゃないかもしれない、それじゃあ本当に繁栄した国とは言えない、というふうにこの調査上では扱われているわけです。

まあ、もう少し考えると、みんな少しづつ違う、と考えると、誰でもマイノリティになり得るわけで。寛容さが低い、というのはなかなか誰にとっても実際には住みにくい部分があるのでは?とも思います。

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さて、そもそもは、先日の記事で書いたことが違う形で現れた調査に、ほんの数日の間に出くわした、ということがそれなりに面白い、と思ってこのポストを書き出したのですが、ここまで書いてみて、それよりもむしろ興味深いのは、

民族的マイノリティとか移民が住みやすいことが「国の繁栄度」の大事な要素だ、と言う風に真面目に考えている人たちがいる

ということかもしれない、と気付きました。
この項目がランキングに入っていること自体、そういう意味ですからね。

そういえば今年は、ミスユニバースをめぐるとても残念な出来事がありましたが、この辺りの、「違う」人たちをめぐる心の有り様と言うのは、日本の社会に深く根付いているもののようです。で、そこからさらに考えると、

多分、日本人が同じようなランキングを作ったら、これらの項目は入らないのではないかな?

と思うのです。まあ、この研究所があるロンドンには、電車の中で英語を聞く方が珍しいくらい外国人が沢山いる、という現実を反映している、というのもありそうですが、それとは別に、いわゆるリベラルな多様性に対して寛容でありたい、という価値観がこの調査設計の根底には流れているように思われます。

そう考えると、調査自体が文化というか社会の価値観を反映している、ということで、この手の社会科学の分野においては、何事も客観的ではいられない、ということを指し示しているようです。


<おまけの社会科学豆知識>

IndexとScaleという、二つの物差しについて。

このランキングは「Index」という種類の尺度なのですが、上にも書いた通り、性格の異なるサブカテゴリーの点数を総合してできています。つまり、「国の繁栄度」を、健康、個人の自由、統治、経済など様々な要素で測ってそれを足し合わせればいい、というふうに考えているわけです。大学ランキングなんかも、このパターンです。

それに対して、社会科学でよく使われるもう一つのタイプの物差しに、Scaleがあります。これは、似たような性格の要素を複数測って、それを総合することで測定する、というものです。意識調査とかではよく使われる方法ですね。一個一個の項目は回答のブレの誤差があるけど、複数の項目で同じようなことを少しづつ違う聴き方で聞くことで精度を上げる、というものです。

この二つは、尺度の設計における、「測りたいこと」に対する考え方が大きく異なりますし、当然、それを反映して、適切な統計的な扱い方も違います。まあ、そんなことはいいのですが、Indexといえば、複数の違う観点を組み合わせたものだ、ということは、知っておくと役に立つかもしれません。

大学の「ひどい授業」をどうするのか? イギリスの場合。

今日、こんなニュースが朝からBBCでもちきりに。

University fees linked to teaching quality

簡単に言うと「大学の学費を教育のクオリティに連携させる」ということです。

イギリスは学費の上限が年間9000ポンド(だいたい今のレートで170万円くらい?)と決まってます。それについて大学担当の大臣から、「教育のクオリティが一定以上の基準を満たしている場合に限って、インフレ率と同じ勢いで学費をあげて良い」ようにしよう、という政策を提案されているそうです。

現在の大臣は、大学が研究ばかりに力を入れて授業に重きを置いていない、ということに痛く問題を感じているようで、それに対する対策としての政策だ、と説明されてました。

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僕は大学の授業のクオリティについては、イギリスの場合はインセンティブ設計の問題が大きいと思ってます。正直言って、大学の教員に与えられているインセンティブの仕組みを考えれば、

「授業よりも研究」

となるのは、ある種、しょうがないんじゃないかなあ、と思う部分もあります。

大学の先生は教授になってしまえばTenure(終身在任権)が得られ、基本的には終身雇用になります。が、一方でそれまでは有期契約です。教授への昇進の可能性がある准教授へのポジションで一定の実績をあげて教授にならない限り、安定は得られません。

そして、そうしたポジションへの採用にせよ、そこから先の教授への昇進にせよ、「論文をどれだけ主要な学会誌に掲載しているか、それがどれくらい引用されているか」が大事で、授業がどれくらいうまいかはほとんど参考にされない、とまことしやかに研究者の間では語られてます。

まじめに自分の将来のことを考えれば考えるほど、理屈では授業をちゃんとやったほうがいいと思いつつ、実際には授業よりも研究が気になるはずです。そもそも研究がしたくて博士課程に進んで、そのまま研究者の道を選んでる人が多いはずですしね。

LSEでも准教授クラスの先生と話してると、

「正直言って、教育頑張っても評価されないからさ・・・残念だけど」

みたいな話はたまにボソッと出てきたりします。

で、こうなっている背景の一つには、大学がおかれている状況があります。

日本でも毎年話題になる世界の大学のランキングは、多くの場合、研究上の成果が大事な指標になっています。その他にも国際化度(留学生がどれくらいいるか、とかですね)も考慮されるのですが、まずは研究で成果を上げていることが重要です。研究成果についてはある程度、定量的に評価する仕組みが国際的にできあがっているのですが、逆に「授業の質」を横断的に比較評価するのは難しいので、僕が理解している限りでは、多くのランキングで関係がないはずです。

Times Higher Education World University Ranking

なので、この手のランキングで大学の評価を上げようとすると、

「まずは研究!」

と大学の幹部も言いたくなるなるわけですね。

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実際、授業のクオリティについてはLSEもかなり問題があるようで。就職状況や企業からの評価はいいんですが、満足度は有力大学の中ではかなり低くて、学内でも問題視されてます。

実際、先日、僕が去年担当した授業の生徒にヒアリングをしてみたところ、

「全く払った学費に見合ってない。一部に素敵な先生もいたけど、

全然授業にやる気がなくて、自分の研究にしか興味がない先生ばっかり。

ほんと最悪。」

的なコメントが何人かから帰ってきました。もちろん、学生のコメントを鵜呑みにするのは少々危険な訳ですが、こういう声が出てしまうこと自体が、かなり残念な話です。

まあ、もちろん放ったらかしにされているわけではなくて、いろいろな施策が打たれています。生徒からのフィードバックアンケートを各授業ごとに学期ごとにとる仕組みもきちんと運用されてますし、イギリスの国としての大学教員の資格もあって、それを取得するためのトレーニングを通過してないと、そもそも教えられないですしね。

ただまあ、どんなにトレーニングをしようと、上記のようなインセンティブの仕組みになっている限り、そもそもの問題は解決しないだろうなあ、と言う感じがします。正直言って、教育を頑張っても評価されないのであれば、個人の善意頼り、ってことですからね。

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てなわけで、イギリスの場合は、大学に対する金銭的なインセンティブを導入すること、さらに言えば、教育の質のランキングを公表することで、大学の、教員に対するインセンティブの与え方を変えようとしているわけです。

僕は、大学の教員にとっては、研究も教育も大事な仕事だと思っているので、趣旨としてはいいことだと思います。教育の質を評価するのは難しい、という声もあるでしょうが、それは研究の質だって同じですからね。それをいろんな無理はあっても定量化して評価する仕組みが出来上がっているから、研究成果に関心が向くわけで。無理してでも教育の質を定量評価することは、基本的には前進だと思います。

が、一方で、それを学費に連動させるってのがなんだかなあ、という感じもします。日本でもそうですが、学問にせよ教育にせよ、評価を金の配分に反映させて金で釣る、ってのには、なんとも釈然としない部分があります。まあ、それよりいい方法が思いつくわけではないのですが・・・うーむ。

ちなみに、日本の先生たちのインセンティブはどうなってるんでしょうね?一度、専任講師とか、准教授になってしまえば、正社員と同じで基本的にクビにはならないはずですから、イギリスとは少し違うはずですよね。どのようなインセンティブが働いているのか興味深いところです。誰か教えてください。

日本人は「よそもの」をどれくらい信頼するか ー 信頼感の国際比較

World Values Survey という調査(以下、WVS)をご存知だろうか?

日本では世界価値観調査という名前でも知られているこの調査は、世界の何十各国で共通の項目で調査をするという大規模な研究プロジェクトで、5年ごとに新しいバージョンの調査が行われているものだ。

最新の調査データは2010-2014年の期間に取られたものが上記のサイトからダウンロードできる。このデータは研究目的であれば誰でもダウンロードして使うことができるため、社会学などの分野で比較的広く使われている。

最近、このデータを使って各国の信頼レベルについて分析する機会があったので、ここではそのことについて書こうと思う。

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WVSには、信頼について幾つかの質問が含まれているのだが、主要なものに以下の6問がある。

1. あなたは、近所に住む人たちをどれくらい信頼していますか?

2. あなたは、個人的な知り合いをどれくらい信頼していますか?

3. あなたは、家族をどれくらい信頼していますか?

4. あなたは、初めて会った人をどれくらい信頼しますか?

5. あなたは、異なる宗教の人をどれくらい信頼しますか?

6. あなたは、異なる国籍の人をどれくらい信頼しますか?

この6問のうち前半3問は身近な人たちをどれくらい信頼するか、を聞く設問であり、後半3問は、見知らぬ人たちをどれくらい信頼するか、を聞く質問だ。

これらをそれぞれ集計したものは、「in-group trust(身内への信頼)」「out-group trust(よそ者への信頼)」という指標として知られている(例えば、van Hoorn, 2014を参照)。

これをいくつかの国をピックアップして集計してみたのが以下の結果である。ちなみに、元の調査では1〜6の6段階で、数字が少ないほど信頼が強い、という形で聞いているのだが、直感的にわかりにくいので0〜100の範囲で大きいほど信頼が強い、という物差しに変換してある。

20151105 wvs1

「身内への信頼」については、率直に言ってあまり面白くない。簡単にいってしまえば、身内への信頼は国が違ってもそれほど変わらないということだ。

一方、「よそ者への信頼」についてはかなり値にばらつきがある。スウェーデンは高く、日本と中国は低い。つまり、スウェーデン人に比べて、日本人や中国人は「よそ者」をあんまり信頼しない、ということだ。ちなみに同じアジアでも、シンガポールは日本や中国と比べるとかなり高い。

ちなみに、この差を取ってみると違いはより明らかになる。この差は、簡単に言ってみれば「身内びいきの強さ」と考えてもいいだろう。

20151105 wvs2

私は、このあたりの外部の人に対する信頼感のなさが、国際経営をとりまく様々な企業内外の行動に影響するのでは?と最近考えている。例えば、武田製薬においてフランス人のクリストフ・ウェーバー氏が社長に就任するなど、色々な企業における外国人経営者の登用のニュースが時折話題になるが、

武田薬品、壮大な実験?前代未聞の事態が進行 外国人幹部主導の「根こそぎ国際化」

こうした取り組みに、ともすると否定的、あるいは懐疑的な声が出てくる(この記事はどちらかというと好意的なトーンだが)背景には、上記のような「よそ者への信頼」の低さが影響しているのでは?と感じられるのだ。

(もちろん、日本語と英語の間の壁、日本特有の市場慣行や雇用慣行などもこれらの背景には考えられるので、一概に信頼だけを議論するのはイマイチだ、というのは当然のことである。本稿は、信頼の部分だけを切り取って書いている。)

また、ヨーロッパなどのように国際統合が進むことは、こうした信頼のありかたに影響するのか?というのも興味深い。残念ながらWVSのこの項目は最近の2回の調査から導入されたものなので、長期の変化を分析するにはまだ蓄積が足りない状況のように思われる。

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ちなみに、余談だが、日本は今回挙げた国々の中で、「身内への信頼」も「よそ者への信頼」もともに、最も低いことに気づかれただろうか?

このことは以前から社会心理学者の山岸俊男氏(現在は一橋大学の国際企業戦略研究科の特任教授)が指摘されていることで、日本はデータからみれば、「低信頼社会」なのである。このことが何を意味するのか?については、またいずれ考えてみたい。

参考文献
van Hoorn, A. 2014. Trust Radius versus Trust Level: Radius of Trust as a Distinct Trust Construct. American Sociological Review, 70(6) pp.1256-1259.

WORLD VALUES SURVEY Wave 6 2010-2014 OFFICIAL AGGREGATE v.20150418. World Values Survey Association (www.worldvaluessurvey.org). Aggregate File Producer: Asep/JDS, Madrid SPAIN.

LSEの修士学生の就業体験から思うこと。

昨日は経営学部の修士プログラムのお手伝いで学生の面接をしたのだが、そこで、海外における学生の社会人経験について少々思うところがあった(イギリスだけの話で「海外」というのは若干憚られるのだが、LSEの場合、欧米諸国、インドや中国、中南米、アフリカなど多岐にわたる国から学生がきているので、敢えてひとくくりにした)。

うちの学部にはMSc. Human Recourses and Organisationsというコースがある。その名の通り、人材マネジメント論と組織論について主に扱うコースで、来ている学生は人事のプロとしてのキャリアを目指している学生が多い。

このコースでは、修士論文のオプションとして、学生がコンサルティングを企業に対して行い、そのレポートを修士論文として提出する、というものがある。自分で企業に営業をかけてコンサルティング先を確保してくる猛者もいるが、たいていは、学部が対象になる企業を開拓して、長年のお付き合いで引き受けていただいている、と言うパターンが多い。

当然、全員には行き渡るほどの企業は確保できないので、学生を選別する必要があり、そのための面接大会が昨日だった、というわけだ。僕以外に7人のアセッサーがいて、面接とプレゼンの二つのワークを通じてそれぞれの学生を評価し、最後に意見交換をして終了、という段取りである。

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さて、前置きが長くなったが、感じたことは大きく二つだ。

まずは、学部から直接、修士に来ている学生でも、インターンなどを通じて普通に働く経験を持っている学生がそこそこいる、ということ。

もう一つはインターンをしたことが大事なのではなくて、インターンなり、学校でのグループワークなりのなかで、その学生が何をしてきたか、のほうが大事だということだ(あたりまえだ!というお叱りの声も聞こえるが、形式論が先行しがちなようなので、敢えて書いてみる)。

一つ目のポイントについては、今の日本の上位校の学生(LSEとの比較なので)が学部時代をどのように過ごしているのか、残念ながら知見がないので確たることを言うことはできない。しかし、企業側の機会の供給としては、一部の企業を除いては本格的に職場に入って働くタイプのインターンはあまり提供していないと認識している。採用活動に向けて3年生の後半くらいからというのが多いであろう。

このあたり、ワークス研究所の豊田さんが指摘するとおり、大学生活における学びと進路決定の接続が希薄だという、日本の教育・労働市場の構造的な特異性からきているものだと思われる(この点も、タイトルで「海外」と乱暴な括りをした理由の一つだ)。

一方で、私が話を聞いた、あるいは他のアセッサーから共有を受けた限りでは、LSEにいる学生たちはリアルな職場に放り込まれ、必ずしも協力が得られるわけでもない環境でもがく、という経験をしているケースが多い。

実際、学生同士で比べてみると、こうした経験のある学生の方が当然のことながらリーダーシップを発揮する、チームの中で苦労する、業務を細分化してきっちりやりきる、といった具体例が豊富で、面接上の説得力がある、というのは確かであった。イギリスのような「新入社員をゼロから鍛える」という慣行があまりない労働市場において就業経験がとにかく重視される、というのもうなずける話である。

しかし、一方で二つ目のポイントとして、実は働いた経験がなくても、学業の中でのグループワークや、大学でのイベントなどで上記のような経験を自分で積んでいれば(経験不足の感は否めず、原石という印象は残るものの)これなら大丈夫そうだから企業に送り込んでみよう、という判断ができるのも、また事実であった。ただし、そうした複数の人と絡みながら、ゴールに向かって複雑なタスクに取り組む、というチャンスがなかった学生の話は、魅力が少ない。

ということで、結論は2つだ。まず、いわゆる社会人基礎力で語られるような対人影響力や自己管理、物事を動かす力といったものを鍛えたいのであれば、実際の職場にせよ、大学の中にせよ、しんどい思いをして人を動かし、タスクを管理してやりきる、という揉まれる経験がやっぱりものを言うということだ。

そして、それはインターンでしかできなことではないようである。学業の中でいい経験をしており、企業に送り込んでみたい、と思わせられる学生は実際に存在する。一方で、そうした厳しい経験をさせられないような「お客さん」として学生を扱うインターンはあまり教育効果はなさそうだ、ということも言える。

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まあ、ここまで書いてみて、ある種「あたりまえ」の結論になっちゃったなあ、という感は否めず、読んでいただいた方には申し訳ない。が、昨日数十人の学生をアセスメントする現場に関わって感じたことのまとめとしては上記のとおりである。

もちろん、上記の話はLSEに来ている、元々達成意欲が高くて自己規範の強い学生のサンプルからの話なので、違うタイプの集団であれば話は自ずと違うのかもしれない。また、負荷をかけすぎて学生が折れちゃったらどうする、とか、インターンで安易に現場で普通に働かせるのは搾取につながらないか、などなど、いろいろな議論があるのも承知の上である。が、就業につながる学習という点で、何が大事だろうか、という点では、上記の結論はそれほどずれてないのでは?とも思う。

本社機能の国際移転と、国際経営における「距離」

私が客員研究員を務めさせていただいているリクルートマネジメントソリューションズの組織行動研究所のウェブサイトで、3ヶ月に一度のペースで連載をさせていただいている。アカデミックな知識をビジネスパーソンに発信する活動の一環として、毎回テーマを決めて国際経営の研究成果をもとに執筆している。

今回の記事は、国際経営における「距離」について書いてみた。

「遠くの親類より近くの他人」は正しいか?~国際経営における距離

距離、というと物理的に近いか近いかを想像するが、それだけではなくて文化の違いや制度の違い、経済発展の度合い、さらに言えば言葉が同じかどうかなど、様々な次元で「距離」を考えることができる。変わったところでは旧宗主国ー植民地関係というのも、距離を縮める要因になる(詳しくは記事をご覧いただきたい)。総じて、距離が離れているほどビジネスは難しくなる、というのがこれまでの通説だ。

この「距離」という概念は、昨今、時折日本企業でも聞かれる、本社機能の海外移転にも関わってくるように思われる。

例えば日立の鉄道事業の本社機能の一部はイギリスにある。

この意義について、日立レールヨーロッパ社の光富氏は、イギリスに来たことで、イギリスの旧植民地に張り巡らされた人脈ネットワークで情報の質や量が変わった、と述べている。そして、そのことが、海外の鉄道市場を攻略するにあたっての優位だと見なしている。

これを「距離」という観点でとらえなおすと、意思決定の拠点を日本からイギリスに移すことで、様々な国からの「距離」が短くなった、と捉えることができる。

もちろん、本社機能の移転に関しては税制や産業集積など様々な要素が絡む、より複雑な意思決定ではあるのだが、光富氏のお話からは、「距離」も無視できない要素だ、ということがうかがえる。

我々日本人はついつい日本がハブである、という前提でビジネスを考えがちだが、グローバルなビジネスの中でどこに意思決定をする拠点をおくと「距離」という観点で有利なのか、というのを考えてみるのも重要かもしれない。

ブログ始めました。

以前にワインに関するブログをやっていたり(現在は閉めました)、LSEでの修士コースへの応募〜卒業までの経験について書いていたりましたが(今もアーカイブ的においてあります)、改めてブログを始めることにしました。

目的は大きく二つで、日々考えたことをきちんと後で振り返れる形で残していきたい、ということと、独立した研究者として自分の研究や関連して考えたことを発信していくメディアを持つためです。

私は研究者としては駆け出しですが、アカデミックに学会や学会誌で論文を発表していくだけでなく、ビジネスパーソンに対してアカデミックな知見をきちんと発信していくことも行っていきたいと思っています。

ビジネスパーソンの日々の疑問に答えられる研究は世の中にたくさんあって、個人的にお会いした人に「こんなことがわかってるんですよ」とお話しすると結構驚かれることが多いのですが、残念ながら、そうした知識が広くビジネスパーソンの皆さんに共有されてるわけではないと思ってます。

自分で新しい、面白い研究をやっていくのがまずは本業ですが、同時に、そのギャップをつなぐことにも貢献していく、というのが私の研究者としての野望です。