Brexit=イギリスへの投資が減る、は短絡すぎる。

昨日ちょうど、Brexitに関するTheresa May首相の大きな演説があり、改めてイギリスのEUからの離脱について関心が高まった訳ですが、今日はこのことが企業にもたらす影響について少し考察をまとめておきます。

EU離脱に関しては、日本企業も様々な動きを見せておられまして、孫正義氏が率いるソフトバンクがARMに巨額の買収を仕掛けたとか、日産が、イギリス政府からBrexit後もヨーロッパとの交易条件が悪化するようなことはないようにする、という言質を取った上でイギリスの生産拠点に投資するとか、さらには、金融機関各社が財務大臣のHamond氏に直談判をしに行くといった出来事が、国民投票でのBrexit決定以降、次々と起こっておりました。

日本のメディアではどちらかというとBrexitに関して悲観的というか、イギリスは経済の先行きが暗いのでは、EUとの交渉はうまくいくのか、といったトーンの報道が多いように聞いています(直接日本の報道をチェックできていないので、国内の知人達からの伝聞だよりです。間違ってたらすいません)。上記の金融機関各社の動きにも見られる通り、EUへのアクセスが悪くなることで、イギリスに拠点を置いている企業がビジネスを大陸側に移す、また、新たな投資が行われなくなる、ということへの懸念はわからなくもありません。

が、実際にイギリスでニュースを見ていると、Brexit後に、新たにイギリスで拠点を拡大する、あるいはイギリスに戦略的な拠点を置くことにした、それにあたって新たに雇用が増える、といった意思決定をした企業が目白押しです。Googleがロンドンにあらたな拠点を設けて3000人を雇用し、Appleはイギリス郊外に新たな巨大キャンパスを設置、Facebookがロンドンの拠点を1.5倍に拡大、さらにはIBMがデータセンター機能を3倍に拡大するということです。最近も、ミールデリバリー事業を世界中で展開しているDeliverooがロンドンの本社を拡大して、ハイスキル人材を新たに雇用すると言うニュースが出ておりました。

読者の方は既にお気付きだと思いますが、ITに関連する高スキル系の拠点ばかりでして、製造業の話で大きいのは上述の日産くらいです。これは一体なんなのか?という話です。

そもそも、企業が海外に投資する理由には大きく4つあると言われておりまして、①その国の市場でモノ・サービスを売る、②その国でしか取れない資源(金属とか石油とか)を調達する、③コスト面での優位を獲得する(一時の中国のような人件費の話もありますが、規制が緩いというのもコスト面では優位になりますし、税制優遇なども同様です)、そして④その国に偏在している知的資源にアクセスする、というのがあります。

最初の3つは古典的なのですが、①については後で関連してくるので1点補足を。実は、売るだけならば現地の企業と契約して輸出する、でもいいのです(さらにその派生としてはライセンスやフランチャイズなどがありますが、ここでは省略します)。それなのになぜ現地に拠点を置いて自社で売るかというとA)本国から運ぶと輸送費がかかって効率が悪い(特に重さやサイズに対する付加価値が低い製品に当てはまります、B)関税や規制などの障壁があり、現地で作ったほうがコスト的に有利、あるいは現地で作らないと売れない、C)価格政策やブランドマネジメントなどを自社できっちりコントロールできる、などなどの理由があります。

また、④は比較的新しい(と言っても2000年以降くらいの話ですが)観点です。この、4つ目の話には、産業クラスターが密接に関わります。シリコンバレーがわかりやすいですが、特定の産業が集中している場所には、それに関連したスキルを持つ高度な人材が集中しやすく、なおかつ、人脈を通じて新しい情報が手に入りやすい、さらに言えば関連サービス(例えばシリコンバレーの例で言えばインキュベーターやVC)も集まっている、と、場所に依存した濃密な知的資源が渦巻く傾向があり、それらにアクセスしようとすると、その場所に拠点を持って、人脈の中に入り込むのが早い、となるわけです。余談ですが、ロンドンで言えば、映画などのSFX の画像処理の世界有数のクラスターらしく、専門性の高い小さいスタジオが無数に集まって、濃密なネットワークを形成していて、ハリウッドの映画などもかなりがロンドンで画像処理が行われていたりする、らしいですね。

さて、そもそも論が長くなったので、そろそろEUの話に戻ります。

ここに、EUなどの経済ブロックがどう関わるというと、単純に言うと①の範囲が拡大するのです。EUの中は規制が統一されており、関税がかからない、しかも物理的な距離もかなり近い、となると、イギリスで製造したモノを、なんの障害もなくEU中で売れるわけですね。正確に言うと、EU内のどこで製造しても、EU全域が市場になります。金融の場合も同じで、従来であれば各国によって金融の規制が異なり、それぞれに拠点を置いて金融取引の免許を取らないといけなかったのが、「パスポーティング」という制度のおかげでイギリスの拠点でEU中のどこにでも金融サービスを提供できるようになっています。

これが、EUから出ると、こうしたメリットがなくなる、あるいは薄れるために、イギリスの企業がヨーロッパに売れなくなって困るのではないか、また、イギリスに投資する企業が減るのではないか?というのがBrexit後のイギリスに対する悲観論のベースにあると思われます。ですが、イギリスへの投資に限って言えば、上記の通り、新しい投資の話が結構頻繁にあるわけで、この発想は必ずしも正しくありません。

ここでポイントになるのは、この手の投資の主たる目的が①なのか?ということですよね。イギリスでモノをつくってEUに運んで売ることを考える場合には、EU離脱は大いに問題になりえます。特に、これから始まる自由貿易交渉がうまくいかなかった場合はそうです。また、金融も同じですね。ロンドンのシティで人を採用して、EU中にサービスを提供する、というのができなくなるかもしれない、困る、というわけです。

しかし、上述のテクノロジー企業がイギリスに投資するにあたって彼らが重視しているのは、EU市場へのアクセスなどではなく、高スキル人材の調達のしやすさだと思われます。例えば、Facebookはロンドンの拠点拡大の目的を以下のように説明してます。

“Many of those new roles will be high-skilled engineering jobs as the UK is home to our largest engineering base outside of the US,” said Ms Mendelsohn, who is vice-president for Europe, the Middle East and Africa at Facebook.(BBCより引用

イギリスはソフトウェアの開発拠点であり、ハイスキルのエンジニアを採用するという話です。同様に、Googleも投資にあたって以下のように述べています。

“We see big opportunities here. This is a big commitment from us – we have some of the best talent in the world in the UK and to be able to build great products from here sets us up well for the long term.”

“The innovation we see here, the talent we have available here and how on the cutting edge of technology we are able to be here makes it an incredible place for us to invest,” he said.(BBCより引用

やはり、イギリスの人材(Talent)が大きなポイントとなっています。ここからは、イギリスのハイスキル人材を獲得し、世界に向けたサービス開発の拠点として活かしていこう、という方針が見えてきます。上記の海外進出目的でいえば、④知的資源へのアクセスが目的、というわけです。

冒頭で挙げたAppleやGoogle, IBM, Facebook, Deliverooは、いずれも製造業でも金融でもありません。ウェブ上で提供できるサービスは世界中どこにいても提供できるわけですし、それを支える技術の開発もどこでやってもいい。そのための人材がいるか、イノベーティブな人たちのネットワークがあるか、が大事なわけです。このように、距離や規制に関係なくどこにでもサービスを提供できる立場から考えれば、イギリスがEUの単一市場の一部だということは、イギリスに投資するメリットには殆どなりません。逆に言えば、イギリスがEUから出てもあんまりデメリットはないはずです。

考えてみればARMについても同じで、彼らは半導体の設計を中心に開発機能に特化した企業で、製造は自分でやってません。開発した技術をライセンスとして他社に提供することで稼ぐ会社です。イギリス(や世界各地)の拠点で開発した知的資産(IP)は、世界のお客さんに提供されるわけで。おそらくイギリスにある拠点の中で、EUの市場にサービスを提供するための機能は営業などの一部機能に限られると思われます。どのみち、営業機能はEU内と言ってもイギリスに集約するより各国においたほうが効率良いかもしれませんしね。

さらにこの考えを推し進めると、日本企業の中でもイギリスに製造拠点を置いてEU内市場に輸出をしている場合は別ですが、それ以外の、「イギリスにヨーロッパ向けの開発拠点はおいているけども製造自体は東欧でやっている」とか、「イギリスに欧州・中東・アフリカの統括機能をおいているけれども、製造は東南アジア、販売は欧州の各国」みたいなパターンの企業は、Brexitによるマイナスの影響がものすごくあるのか?というと僕には正直、思いつきません。実際、イギリスにいる日系製造業の方と話していても、「製造と物流の機能はイギリスには置いてないんで、とくに影響ないんと思うんですよ」みたいな話は少なからず聞きますし。統括機能に関しては、開発の話と少し観点がかわりますが、税制が有利、各国への航空アクセスが充実してる、関連するプロフェッショナルサービスにアクセスしやすい(例えば会計事務所や法律事務所、コンサルティング、金融サービスなど)、英語で高度なスキルの人材が採用しやすい、統括する先との時差が少ない(欧州で中東やアフリカを統括するのは、旧植民地のつながりに加えて、これが大きな要素ですよね)みたいな条件がロケーションの選択の肝になりそうで、だとすれば、EUへの市場アクセスが大きく影響するとは思いにくいわけです。

と、いうことで話をまとめると、EU離脱によって問題が出るかもしれないのは、あくまでもEUを拡大国内市場と見て、そこに売るためモノを製造したり、金融サービスを提供する拠点としてイギリスに進出する、という話であって、EUに限らず世界を市場と見て、そのための独自の知的資産(例えば技術)を獲得、創出するためにイギリスに進出する、あるいは、グローバル(あるいは特定地域の)経営を統括する拠点として進出する、という話には殆ど関係がないはずです。むしろ、産業クラスターの形成が進んでいるか、といった、イギリスの独自性に関わる条件のほうがよほど重要ではないかと。

そして、Brexitによってイギリスは、産業や地域ごとに独自の税制や産業振興策をEUから離れて行うフリーハンドを得ますし、もともと世界で有数の大学が沢山ある国ですから、この手の知的付加価値の高い産業・機能を意図的に増やしていく動きが増えるのでは?と僕は推測しています。また、EUからの移民を制限する一方で、高スキルの労働者を歓迎することを一貫して変えない移民政策も、この方向性と合致してますしね。もちろん、これによってイギリス経済全体が幸せになれるのかは僕には確信が持てませんが(特に、金融でヨーロッパとの関係がどうなるか、はシティのイギリス経済における存在感を考えると気になるところです)、知識化・グローバル化する世界を前提にすると、非常に興味深い試みだなあ、と思います。(特に、Brexitに投票したロンドン以外のイングランドの人たちが、これによって幸せになれるのか?については、かなり疑問も多いのですが、それはまた別の議論ということで)。

グローバル経営における、意思決定の現地化を促すもの。

グローバル経営において、意思決定をどのように本社と現地拠点のあいだで行うのが良いのか、というのは、古くて新しい問いだ。国際経営論においても、何十年も議論が続いているテーマである。

先日、このテーマに関して、日本企業のロンドンの拠点に赴任している方々とパネルディスカッションをする機会があった。イギリスにおいてもおそらく誰もが知っている日本を代表する製造業で、ヨーロッパ/イギリスにおけるマーケティング、営業活動に関わっている皆さんだ。私は、交通整理役として最初にフレームワークを提示し、問いを投げかける役割をやらせていただいた。

各社において、本社と海外拠点とのあいだでどのように意思決定を行っているのか、今後、グローバル経営における意思決定のあり方をどのようにして行こうとしているのか、を伺いつつ、何がその背景にあるのか、について議論した。議論からの示唆は大きく4つだ。

  1. 対法人向けビジネスでは、現地で意思決定をする必要性が高い。個別の顧客への対応や、個別市場にどのようにアプローチするのか、といった戦術的なレベルを超えて、中期的な製品やソリューションの開発方針といった事業戦略に近いレベルまで、現地に近いところに意思決定を分散する、あるいはその企業にとってのメイン市場(例えば欧州)に意思決定拠点を日本から移すことが必要となっている。顧客課題に地域性があり、その情報を効果的に集め、それに対する製品・ソリューションをスピーディに提供する、現地に根づいて長期的ビジネスをやっていく覚悟がある、という姿勢を現地の企業から認められないと、現地の競合に勝てないためだ。
  2. この傾向は、製品・ソリューションににおけるソフトウェアのウェイトが高まることで加速している。アジャイル開発、スクラム開発などの手法の発展によって、新たな仕様を実装、提供するサイクルが短期化したためだ。この結果、ヨーロッパから日本本社に諮り、意思決定をして、というスピードでは追いつかなくなっている。特に、日本本社の意思決定に時間がかかることが障害となっている。ハードウェアのウェイトが高い時代は、開発サイクルが長かったため、本社の意思決定スピードが制約になることが相対的に少なかったが、ソフトウェア比重が高くなることで、日本本社の意思決定は遅すぎる、という問題意識が(海外拠点においては)高まっている。
  3. 一方逆に、消費者向けの家電ビジネスでは、グローバルに統括管理をする重要性が相対的に高い。今回の議論で語られた最大の懸念は価格政策である(これは恐らくパネルメンバーがマーケティング畑の業務に現在関わっておられるということも一因かと思う)。世界のどこからでも商品が流通するため、どこかで安安く売ると、それが他の地域に流入してしまう。販売拠点間、代理店間の価格の統制は、本社がグローバルで統括する必要がある。
  4. また、日本に技術的な強みの基盤が集中している場合、海外拠点に意思決定を大胆に移すことには躊躇が発生する。製品仕様など、意思決定にマーケティング上の見解だけでなく、技術的な知識、ノウハウの蓄積が必要となるからだ。より表層的な部分については意思決定を海外に移管、あるいは分散できても、製品、ソリューションのコア機能を担う部分については(当面は)日本で担う、あるいは関わる必要があるという見解が各社から聞かれた。ただし、逆に、海外で買収した企業が持っていた技術、ノウハウをコアに事業展開をする領域については、逆に海外に意思決定の機能を持っていくという判断が進みやすい。

1と3は市場特性、という観点でコインの裏表、と言っていいだろう。3で価格政策をグローバルに統括する必要があるのは、グローバルに共通の製品が通用する、という市場特性があるからだ。1は逆に、グローバルに共通の商品が通用しにくい、という特性が、意思決定の現地化を促している。

4は、自社のコア知識の源泉の立地と、事業戦略上の意思決定の立地を切り離しにくい、という話である。1や3における市場特性への注目とは異なり、ここでは自社内の強み(Firm Specific Advantage = FSA)に注目した議論だ。

ここで大事なのは、市場特性上、意思決定の分散化、あるいは日本から他の地域への移転が有効と考えらる場合であっても、知識はそれほど簡単に移転できない、という点だ。暗黙知も含めた深い知識の蓄積には、粘着性(stickiness)があり、蓄積された「場」から簡単には流れないという特性がある。インターネットで情報がやりとりされる時代になっても、シリコンバレーがイノベーションの源泉として機能し続けていること、物理的にそこに「いる」ことが、シリコンバレーに蓄積され、作り出される知識にアクセスする上で重要なことを見ても、物理的な場所に(広い意味での)知識が粘っこく蓄積されることは見て取れる。この例は企業や大学などをまたぐ、産業クラスターの話だが、企業内においても、知識には粘着性がある。

ここから考えると、海外拠点にそうした知識蓄積を行うには時間をかけて自社で行うか、既にある知識蓄積を買収するのが早い、という話になる。これは私見だが、そうした粘着性は恐らく日本企業においては特に高いかもしれない。日本人のコミュニケーションが一般的にハイコンテキストで、言葉で知識を明示的に伝える習慣が相対的に弱いからだ(逆に、空気を察する、という力が強いわけだが、それは文脈を共有していない人には通じない)。

個人的に最も面白いかったのは2だ。どんなビジネスにおいても意思決定のスピードは重要だが、扱っている商品、サービスによって自ずと「会社が持っている時計」のサイクルは違う。ハードウェアの開発のスピードと、日本企業の意思決定サイクル、スピードはそれなりに噛み合っていたのだろう。しかし、ソフトウェア依存の要素が増えた(逆に言えば、ソフトウェアを改めることで、ハードウェアはそのままでも提供価値を高めることができるようになった)ことで、これまで慣れ親しみ組織に根づいている「時計」よりも早いスピードで開発サイクルをまわすことが可能になり、その結果、海外拠点側の本社中心の意思決定に対するフラストレーションが生まれている。果たして、この「時計」のミスマッチの問題に、日本企業はどのように対応するのだろう。

Googleのイギリスへの納税問題に見る、多国籍企業に対する国家主権のささやか(?)な勝利。

BBCでは、Googleがイギリスの国税当局(HMRC)に1億3000万ポンドを収めることに合意したというニュースが今日のトップニュースだった。

Google agrees £130m UK tax deal with HMRC

背景をご存じない方のために多少補足をすると、このアクションは数年前から起きている、多国籍企業の節税、あるいは脱税(論者によってどう呼ぶかは結構まちまち)行為に対する批判に端を発している。

AmazonやGoogle、Starbucks Coffeeなどが、世界各国の税制優遇制度をうまく組み合わせて、イギリスなどの進出先国で大量の売り上げを上げておきながら、実質的に、現地の税金をほとんど払っていない、ということに対する批判である。

イギリスでは、財務大臣(Chancellor of the Exchequer)のGeorge Osborneが議会でイギリスでの活動に見合った税金を納めさせる!と大見得を切るなど、かなり大きなニュースになっていた。

こうした社会問題化を受けて、税務当局によってGoogleに対する監査が行われ、それに対して、Googleは、自分たちが脱税をしたということは認めないものの、ルールの変更に対応する、という名目で1億3000万ポンドを支払うことに合意した、というわけだ。

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これを、少し引いた目で見ると、国家主権と多国籍企業の間の綱引き、というふうに見える。

国家の側からすると、企業は雇用を生み出してくれたり、技術などを持ち込んでくれる存在であり、多国籍企業には自国に進出してほしい、という欲求が存在する。特に失業率が社会問題になりやすいヨーロッパの政治においては、雇用の創造は重要である。結果として、税制優遇などいろいろな方法を用いた、国間の多国籍企業の誘致競争が行われている。

こうした状況は、多国籍企業の側からすれば有利な状況である。彼らは国境を越えて活動を行い、様々な国の制度を自分たちに都合がいいように活用することができるからだ。国々を比較して、相対的に有利な条件を提供している国に拠点を動かす、あるいは、各国の税制をうまく利用して納税額を抑えたりすることができる。

その結果が、「イギリスで何億円もの収益を上げているにもかかわらず、実質的にイギリスでほとんど税金を払わない」といった現象だ。

しかし、このことは国家からすれば問題である。企業が活動する上では、その国の様々なインフラ、社会制度を活用している。例えば、その国の高等教育のおかげで優秀な人材を採用できる、あるいは、国が法制度を維持、整備してくれているおかげで、自分たちのビジネスを守ることができる、といったことだ。こうした社会的なインフラ、制度は公共財であり、その国に入れば自然と活用できるものだが、その維持には税金が使われている。イギリスで活動し、利益を上げているのに税金を払わない、ということはすなわち、そうした社会インフラ、制度にただ乗りしている、ということなのだ。

しかし、上述のように企業は国境を越えて活動できる、そして、各国が企業を惹きつけたいがために制度を利用しているだけである。企業の側からすると、「真っ当にルールに従っているだけだ」という正当化が可能なのも、また事実だ。今回の件で、Googleが自分たちは脱税をしていたわけではない、という立場を崩さないのも、こうした従来の主張と一貫している。

今回に関して言えば、イギリスの当局が結果的にGoogleに税金をイギリスに対して収めることに同意させた、というわけで、国家主権の側が多国籍企業に一矢報いた、と言えるだろう。ルールに従っている、という名目のもとで、ただ乗りするのは許さない、というわけだ。

しかし、国の側に、企業を惹きつけたい一方で、きちんと税金を取りたいという欲求があり、企業の側に、国境を越えて活動できるという自分たちの強みを生かして、少しでも自分たちに有利な条件でビジネスを行いたい、という欲求がある限り、この綱引きの構造は大きくは変わらないだろう。つまり、このニュースは、おそらく、国家主権と多国籍企業とのパワーゲームの一幕に過ぎない、ということだ。

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しかし、それにしてもGoogleが国税当局に対して支払いに応じたのはなぜだろうか?。今回の例でいえば、2005年からの6年間の活動に対応する税額だ、ということなので、昔やったことに対して、後から決めたルールを遡って適応して税金を支払う、という話である。「ルールの変更に対応している」と声明では言っているが、通常はルールは決めたらその時点から後のことに対して適応されるものだ。だから、法的な面だけ考えれば、Googleがこの額を支払う義務はないように見える。

ここのキーワードは、Legitimacy(正当性)ではないか。経営学には、「企業が社会で活動を続ける上では、実は法律を満たすだけでは不十分である。社会から、存在を認められ、正当な社会の一員として認められている必要がある」という考え方がある。CSRなどにも関連する概念である。

特に、この考え方は国際経営においては重要だ。なぜなら、外国企業は自国の企業よりも正当性が認められにくい傾向があるからだ。その国で労働者を惹きつけ、政府から許認可を得て、取引先を開拓し、ビジネスを育てていく上では、正当性を確保し、まともな企業である、というふうに見られることは、基盤と言っていい。正当性が認められないと、一つ一つの活動で相手から信用を獲得することにいちいちコストがかかる。

Googleは世界的に有名であり、その先進性も含めて一流の企業だと広く認知されている、と言っていいだろう。しかし、そうした企業であっても、進出先の国の政府や大衆から、「現地の税金を払わずに『ただ乗り』している」というふうに見られてしまうことは、正当性を損ない、目に見えないコストとして、将来に禍根を残すことになる。そうした判断があったのではないか。

また、もう一つ重要なのは、Googleが、「正しいことをする」ことを会社としての理念として掲げていることだ。何が正しいことなのか、というのは議論の余地があるが、進出先の国から「ただ乗り」として指を指されることは「正しいこと」ではない、というふうに感じる幹部や社員がいたとしてもおかしくない。社員に対して、経営層が自分たちの経営判断の「正当性」を示す、ということも、今回の経営判断の背景にはあるのかもしれない。理念として掲げた以上は、約束を守らないと、進出先の国だけではなく本国も含めた各地の従業員からもそっぽを向かれてしまうかもしれない、ということだ。

そういう意味では、Googleの側にとっても、今の社会の情勢を捉えた時に、自分たちにとって結果的に得なのはどういう風に振る舞うことなのか、ということを冷静に考えた上での意思決定であったように見える。まさに彼らが声明で述べている通り、法律だけではない、社会的な認知のあり方も含めた「ルールの変化」を捉えて対応した、ということだろう。

日本マクドナルドについて国際経営の観点から考える。

米マクドナルドが日本マクドナルドの売却を考えているというニュースが出ております。

(日経新聞)
日本マクドナルド売却 米本社、ファンドなどに打診

業績もここ数年かなり厳しかったようですし、本国でも様々な新しい強豪や若者の食生活の志向の変化もあって厳しいようなので、なるほどそうきたか、という感もあります。

マクドナルドについては、色々とビジネス系のサイトなどで分析や解説記事が出ておりますが、総じて日本の市場の構造的な変化に着目したり、藤田氏時代の人材育成や日本ローカルの市場を重視した経営をポジティブに評価し、その後の本社主導の経営をどちらかというと批判的に見る記事が多い印象があります。

例えば、窪田真之の「時事深層」 16 日本マクドナルドはなぜ低迷しているのか?–外食業界の”二極化”鮮明に とか、マクドナルドと「ライバル外食」を分析する 「独り負け状態」に歯止めはかかるか? など検索すると出てきました。

いずれにしても、これらの記事の特徴はマクドナルド、というグローバルビジネスの進出先の一つである、日本、という市場の視点から見た記事な訳です。まあ、日本で上場もしている、ずいぶん歴史もある企業で、日本人の読者が読むことを想定して書くわけで、ある種、当然かもしれませんが。

しかし国際経営という観点から言うと、ローカルの視点も面白いのですが、逆にアメリカ本社から見るとどう見えていたのだろうか、という本社の視点でも考えてみるのも、なかなか面白いです(敢えて、本社=グローバル、とは言ってません。多分、アメリカの視点が多分に含まれているので)。特に、本社から海外拠点に対するガバナンスやコントロール、という観点ですね。

ここからは、私の妄想です。

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改めて歴史を少々紐解いてみると、最初から現地資本(=藤田氏の経営していた貿易会社)に対するフランチャイズとして始まっているのですね(今は49.9%はアメリカとカナダのマクドの法人が保有しているようですが)。

ただし、このフランチャイズ相手は、米本社のいうことをあまり聞きません。

まず、アメリカで成功してきた地方のロードサイド店という思想を拒否して、銀座に店を開きます。さらには、標準化&規模の経済、というチェーンビジネスの原則をこれまた拒否してローカルメニューを投入。さらには、フランチャイズモデルにも素直にのっからず、社員による直営店舗を主軸にした経営を実施。ことごとく、独自路線を突き進みます。

アメリカの成功体験が判断の基軸になっているだろう米本社の経営陣からすれば、「俺たちのいうことを聞かずにやりたい放題やっている、面倒な現地のフランチャイジー」以外の何物でもなかったであろうと思われます。もちろん、日本経済の成長の中で、どんどんビジネスは成長していましたので、うまくいっているうちはまあ、大目に見ておくか、といったところだったのではないでしょうか。日本企業でも、業績を上げている現地のマネジャーは(本国中心主義の傾向の強い)東京の本社に対して発言権を持てる、というのは、ままある話のようですし。まさに、「勝てば官軍」ですね。

また、メジャー投資をしているわけではありませんから、乱暴なことは米本社からもなかなかできませんし。

さて、この後、2002年に折しものデフレの中で、低価格戦略がうまくいかず、藤田氏が引責辞任します。

さあ、こうなると、本社の経営層としてはある種、しめたもの、だったのではないでしょうか?今までいうことを聞かなかった現地の先経営者がいなくなり、業績も残念な状態、となれば、自分たちの「ウェイ」を展開して、自分たち流でちゃんと経営をする絶好の機会、と映ったはずです。

しかし飲食は文化に根付いている部分も多く、外国人が乗り込んでいってもそうそううまく行きません。となれば、いきなり本社から直接人を送るのではなく、、米国流の経営とコミュニケーションがちゃんととれる「話の通じる」現地のプロに任せよう、ということになります。さらに言えば、傾いた企業の経営者として、株主の代表である取締役会が外から候補を探して送り込む、ということ自体がとてもアメリカ的なのも、面白いところです。逆に言えば、彼らからすれば、おそらく自然な判断だったのだろう、と思われます。

さらに、そのプロでもうまく行かなかったとなると、いよいよ本社から人を直接送り込んで、ダイレクトにコントロールしなければなりません。うまく行かなくなればなるほど、気心の知れた、判断基準や能力がはっきりわかっている人に、直接判断をさせたくなる、というわけです。もちろん、この場合の能力、というのは本社の文脈ですので、上記のように文化や市場が違う、という場合にどれくらい機能するか、というのは別の話なのですが。しかし、意思決定する側からすると、認知バイアスもあって、一番確実なのはこちらから送り込むことだ、と考えたのではないかと。

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個別の戦略の良し悪しなどについては、ここでは主題ではありませんから触れませんが、率直に言って、日本マクドナルドに起きたことは、本国を中心に世界戦略を考えている側からすると、結構普通の意思決定を積み重ねてきた、ということのように見えます。

結果的にそれはうまくいかなかったわけで、今から考えると良くない意思決定だった、という風になるわけですが。数年前から、批判的な見方の論考は結構あったような気もしますので、現地市場から見ると数年前からすでに、おかしく見えたということかもしれません。

ただ、ここで考えたいのは、上記にあるような風景って、日本企業でも(それ以外の国の企業でも)沢山あるのだろうなあ、ということです。現地流でやっている合弁先の経営者を煙たく思っている本社の人とか、傾いたのを機に、立て直しに本社から乗り込むとか、その結果として現地の市場を踏まえずに手を打ってしまう、とか。世界に自社のウェイを広めたい、といった話も、以前に書いた通り、私自身がコンサルタントとしてお手伝いしてきたこともありますし、本社の側からすれば、筋の通った話であることが多いとおもいます。もちろん、視点が本社に偏っている、というのはあるのですが、一方で現地化すればいい、というのも偏った見方ですしね。

僕が思うに、ここから学ぶべきことは、向こうの本社には本社なりの思考の枠組みと、ストーリーがあって、その中で彼らなりに意思決定をしている、ということ、そして、それが現地から見ると、実に残念な意思決定に見えてしまうことだってある、ということです。それだけの判断基準や市場の違いを踏まえて、どうすれば効果的な意思決定ができたのだろうか、というふうに考えるための肥やしにするのが、このケースはいいのではないかと感じます。

史上最大級の買収、それとも史上最大級の脱税策?

ファイザーがまた巨額M&Aをするそうである。

Pfizer seals $160bn Allergan deal to create drugs giant

ファイザーといえば、何年も前からM&Aをバンバン連発して、世界の製薬業界の再編と巨大化を引っ張ってきた企業の一つだが、さらにまた合併をするとのことだ。

“the biggest pharmaceuticals deal in history(製薬業界では史上最大の取引)”ってニュースのヘッドラインを何回も見た気がするので、正直、またか、という印象だ。製薬業界での合併の背景には、医薬品の開発コストが上がっていること、バイオテクノロジーによって過去にない研究開発が可能になったこと、また、新興国の医療ニーズが高まっていることなど、いろいろな構造的要因があるようだ。

ただ、このニュースで興味深いと思ったのは、この買収と同時にファイザーが登記上の本社をダブリンに移す、という点だ。買収先の企業の本社がダブリンにあるので、そちらを登記上の本社とするらしい。これによって、ファイザーは巨額の節税ができる。なぜならアイルランドの法人税は実質的にアメリカのそれの数分の一だから、ということである。

巨大企業の節税については、アマゾンやアップル、スターバックスなどが各国の税法の特例をうまいこと組み合わせて、ビジネスの規模に対して全然税金を支払っていない、といった報道が去年から行われ、各国で批判の的になっているのは記憶が新しい。

また、タックスヘイブン(租税回避地=税金がものすごく安い、あるいは実質的に無税の国)に対する規制がアメリカを中心に国際的に議論されているのも、ここ数年でおなじみになった動きだ。

そのため、このファイザーの合併話は、単純に企業の国際戦略という話ではなくて、租税回避、極端な言い方をすれば「脱税」だ、という風に捉えることもできる。実際に、早くも民主党の大統領候補のヒラリー・クリントンが、「大企業に適切な負担をさせる」ような政策が必要である、ということを主張している。

そのため、この話は、国際経営、という枠組みだけではなく、企業倫理や税制、国際政治など、多様な観点からとらえる必要があると思う。

①企業戦略、あるいは国際経営の観点

単純に考えれば、この話は、税制優遇で企業を誘致する、という話の延長線上の話である。日本でも、企業誘致のために地方自治体が優遇措置をしたり補助金を出す、という話は珍しい話ではないし、国際的な誘致合戦があるのも、古くて新しい話である。

なので、経営上からすれば、資本を最も効率よく使って株主に貢献するには、各国の制度的な枠組みをうまく活用するのは経営者の義務であって、税金逃れでもなんでもない、という理屈が成り立つ。

こうした各国のビジネス活動環境の違いを利用する、というのは国際経営では古くて新しい議論である。天然資源や市場、人的資源の充実だけではなく、制度の充実も、立地選択上の魅力になる、という話である。

②企業の社会責任の観点

一方で、企業が経営活動を行う上では、治安や司法、教育、交通や電力など、国家が提供する様々な公共インフラストラクチャーを利用している。先進国でビジネスが毎日安定的かつ快適に進んでいくのは、国家および地方自治体が提供するインフラが強固だからだ、という見方もできる。

だから、経営活動の規模に応じて、それなりの公共への負担をしないのは、社会的責任を果たしているとは言えない、とも考えられるだろう。

③税制、あるいは所得配分の観点

国家は税制や社会保障などの仕組みを通じて、所得配分を行っている。言い方を変えれば、稼げる人からは多くとって、稼げない人からは少なくとる、そして、さらに福祉を通じて稼げない人に医療や教育など、基本的な人間らしい生活を送れるように支援を行なっている。もちろん、格差の拡大などの議論はあるのだが、この機能を少なくとも国家はそれなりに担っている。

ここまでのロジックを踏まえて、結局のところこれで得をするのは誰か?ということを考えると、損をするのはアメリカの一般の国民(どれくらいの人が配分に預かるか、はともかくとして)であって、得をするのはおそらくアイルランドの国民、利益が増えてボーナスが増えるファイザーの経営者(と従業員?)、プラス、これが上記①の見方の正当性の源泉だが、ファイザーの株主だろう。

つまり、国家が所得配分を行う機能が、企業の国際的な行動によって妨げられ、所得配分の行き先が株主に向かっている、という風に捉えることができる。

④国際政治の観点

こうなってくると、近現代の国際秩序の主役であった国家主権と、そこから半ば独立して活動する多国籍企業、という構図の中で、富を奪い合っている、あるいは富の引き付け合いをしていると言う話に見えて来る。そうなると、次に考えないといけないのは政治である。

各国は自分の利益を考えれば企業を引き付けたいので、税制優遇をする誘惑が常にある。一方で、企業は活動している各国で相応の負担をすべきだ、という主張にも一定の理があるようにも思われる。これはまさに「囚人のジレンマ」ゲームに近い状態であり、しかも、多くの国が複雑な税制を使ったプレイをしているので、裏切ってもばれにくい。綱引きはそう簡単には決着しないように思われる。

果たして、こうした租税回避の動きを、各国の利益が相反する中で、どう解決していくのだろうか。研究者としては興味深い題材だし、ビジネス教育に関わる立場からすれば、非常に面白いケーススタディである。ただ、一人の市民、納税者としての立場からすると、面白がってもいられない話でもある。

世界の英語力はこの10年でどれくらい変わったのか。

最近の国際研究の世界では、「言語」が非常にホットなトピックになっています。

その中でも特に、英語が世界の事実上の標準語になっていること、多くの企業が英語を企業の公式言語としていることが、組織や人々の関わり合いにどのような影響があるのか、という問いは、中核的な問いの一つです。

それに多少絡んで、TOEFL(R)のデータを用いて、世界の各国の英語の点数がどのように変化したのか、を最近分析したので、今日はそれについて書こうかと。

1995年と2014年のデータを使って、世界のいろいろな地域の得点を比較したのがこちら。アフリカ、中南米、中東については1995年の時点で比較的受験者数が多かった国を各地域からピックアップしました。ちなみに、TOEFLはReading, Listening, Speaking, Writingの4科目が各30点づつで、満点が120となっています。MBAや修士のコースへの出願は100点、あるいは105点くらいが求められることが多いです。

English Score 20151122

TOEFLは大学などへの出願に使われることが多いテストなので、あくまでも若い学生が母集団の多くを占めるため、必ずしも各国の人口を代表しているとは言えませんが、受けている人数が多く、世界中で使われていること、点数が長期間にわたって安定的に公表されていることから、長期で英語力を国際比較する上では、まあまあ適切な指標だと考えられます。

ちなみに、社会人の英語の国際比較の指標としては、English Firstが出しているEPI-cがあるのですが、データが比較的最近のものしかないのが残念です。

さて、このTOEFLのデータから最初に注目したいのは、世界中のTOEFLを受けている人の平均点は11点上がっているということです。これは英語への関心が世界中で高まり、英語教育、英語学習に労力が払われたことの結果、と考えていいのかな、と思います。

次に、地域別にみると、ヨーロッパでは、オランダや北欧をはじめとして平均が90点台の国が目白押しなのですが、ドイツはその中の一国です。この10年間、高どまりしていると言っていいでしょう。さすがに120点満点のテストで、国全体の平均点が8割を超えるのはかなり難しそうです。一方、フランスは比較的英語が通じにくい国として知られていますが、この10年で随分点数が上がっていますね。

アジアの中で比較すると、日本は世界の平均並みに点数が上がっています(10年で12点アップ)が、韓国はそれをはるかに上回る点数、なんと20点、高めてきています。日本の上昇も、世界的に見ればまずまずなのですが、1995年の時点での点数がかなり低いことと相まって、ここでピックアップした国々の中では残念ながら最低の平均点になっています。中国は若干下がっていますが、もともとの点数が高いことを考えると、受験者層が比較的限られていたのが、拡大した結果かもしれません。

中南米や中東においても、メキシコ、ブラジル、エジプト、レバノンのいずれにおいても10点前後の増加がみられます。一方、アフリカは点数が低下していますが、こちらも中国同様、10年前の値が限られた高度教育を受けた限られた層の点数だったのでは?ということが考えられますね。今は母集団自体が広がっているのではないか、ということです(残念ながら、2014年のデータでは母集団数がわからないので、確認できませんが・・・)。

絶対値の水準を見ると、ここで抽出した国々の平均点は、80点台の中盤あたりに収束してきていますね。もちろん、世界の平均がそれくらいですので、なんとなくそういうものかもしれませんが。その中での日本の得点は残念な水準と言っていいでしょうね。

ちなみに、Tannenbaum & Wiley (2008)によると、ヨーロッパの語学力に関する基準であるCEFRでB2、すなわち「実務に対応できる者・準上級者」に相当する水準に対応するTOEFLの最低点が87点だそうですから、世界の様々な国の平均点がそのレベルに近づいているのに対して、日本の平均点はまだまだそこからは乖離がある、と考えるとわかりやすいかもしれません。

結論としては、それなりに英語教育には公的にも私的にも力を入れてきた成果として、世界平均と同じくらいには英語力は上がっているものの、それ以上に劇的な成果が上がっているわけではない、ということ、また、絶対値としても相対的に見ると低めの値にとどまっている、ということが言えそうです。

もちろん、人口当たりの受験者数の比率など、一律の条件で比較しているわけではありませんから、完全にこれだけで何かを言うのは国際比較の観点では無理があります。上述の通り、たくさんの人が受けているのと、高度な教育を受けた一握りの人が受けているのでは、わけが違いますから。そこは割り引いて考える必要があるのですが。

僕の研究としては、こうした英語力の違いが、企業としての国際展開のやり方の違いや、人事政策の違いにどのように影響しているか、を考えていくのが面白いところです。企業レベルでも、楽天、ホンダなどでの英語の公用語化が国際経営に与える影響は研究として面白いのですが、国レベルでも英語力の影響は色々とありそうですから。

本社機能の国際移転と、国際経営における「距離」

私が客員研究員を務めさせていただいているリクルートマネジメントソリューションズの組織行動研究所のウェブサイトで、3ヶ月に一度のペースで連載をさせていただいている。アカデミックな知識をビジネスパーソンに発信する活動の一環として、毎回テーマを決めて国際経営の研究成果をもとに執筆している。

今回の記事は、国際経営における「距離」について書いてみた。

「遠くの親類より近くの他人」は正しいか?~国際経営における距離

距離、というと物理的に近いか近いかを想像するが、それだけではなくて文化の違いや制度の違い、経済発展の度合い、さらに言えば言葉が同じかどうかなど、様々な次元で「距離」を考えることができる。変わったところでは旧宗主国ー植民地関係というのも、距離を縮める要因になる(詳しくは記事をご覧いただきたい)。総じて、距離が離れているほどビジネスは難しくなる、というのがこれまでの通説だ。

この「距離」という概念は、昨今、時折日本企業でも聞かれる、本社機能の海外移転にも関わってくるように思われる。

例えば日立の鉄道事業の本社機能の一部はイギリスにある。

この意義について、日立レールヨーロッパ社の光富氏は、イギリスに来たことで、イギリスの旧植民地に張り巡らされた人脈ネットワークで情報の質や量が変わった、と述べている。そして、そのことが、海外の鉄道市場を攻略するにあたっての優位だと見なしている。

これを「距離」という観点でとらえなおすと、意思決定の拠点を日本からイギリスに移すことで、様々な国からの「距離」が短くなった、と捉えることができる。

もちろん、本社機能の移転に関しては税制や産業集積など様々な要素が絡む、より複雑な意思決定ではあるのだが、光富氏のお話からは、「距離」も無視できない要素だ、ということがうかがえる。

我々日本人はついつい日本がハブである、という前提でビジネスを考えがちだが、グローバルなビジネスの中でどこに意思決定をする拠点をおくと「距離」という観点で有利なのか、というのを考えてみるのも重要かもしれない。