上海でのアカポス就職、最初の3日間が終了。早速、中国の洗礼を受ける。

中国でアカポス(アカデミックポスト)に就職し、現地に着任して、現在は4日目の朝です。

先週の月曜日(9/4)にロンドンのビザセンターでビザの申請をして、その日に引越しの荷物をイギリスのヤマト運輸に引き取りに来てもらい、水曜日(9/6)にビザを受け取り、同日、飛行機のチケットを押さえ、ロンドンの住居を引き払ってAirbnbの仮住まいに移動、そして、日曜日(9/10)にロンドンを立ち、月曜日(9/11)の朝8時に到着して、同日10時に大学の人事に到着を報告。怒涛の1週間でロンドンから上海への赴任を果たしたわけであります。

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大学の方は、ちょうど今週から新学期が始まっており、なんとか滑り込みで新学期のスタートに間に合いました。まあ、就労許可とビザを取るのに時間がかかりましたので、最後はダッシュで詰めた、という感じですね(その件についてはイギリス留学から中国の大学に就職する(その1)ビザ獲得への長い道のりと、イギリス留学から中国の大学に就職する(その2)日本国外からのビザ取得に関するあれこれをご覧ください)。

上海交通大学は2学期制を取っており、9月から1月が上半期、春節(中国の正月)を挟んで2月から6月が下半期、というスケジュールになっています。中国の大学が全部同じなのかはよくわかりませんが。僕のテニュアトラックの契約は最初の半期については授業はしなくて良い契約なので、本格的に教務に関わるまでにはまだだいぶ余裕があります。

と、いうわけで、最初の1週間は特に仕事もありませんので、他の新採用の講師陣と肩を並べての導入研修と、仕事のためのインフラの整備、家探しが今週の業務、ということになります。やったことは以下のとおり。

1日目:人事にて各種書類を提出(ビザのコピーとか、LSEの博士の学位証書のコピーとか)。仮発行の入館証を受け取り。諸連絡および、今後のスケジュールを簡単に打ち合わせ。

その後、大学が用意してくれた近隣のホテルにチェックイン。昼食を食べた後、事前に連絡を取ってあった現地の不動産屋と、大学近辺のアパートを見て回る。

2日目:終日、導入研修。ついに本格的に中国の洗礼を浴びることになります。

研修内容としては、中国における研究予算のあり方、各種論文データベースや統計データベースへのアクセス、学内のITシステム、購買の仕組み、海外出張のルール、経費清算のやり方などなど。内容はまあ、普通の新人研修ですが、オール中国語。スライドの中身は推測できますが、喋ってることは95%不明です(詳しくは後述します)。

途中のランチはビジネススクールのDean(学長)とかAssistant dean(副学長)とかと一緒に、学内の食堂の2階の宴会用スペースの回るテーブルで中華でした。これはさすがに、周りも配慮いただき、半分英語、半分中国語でした。雰囲気は日本と似てますね。えらい人が会話を先導して、若手は遠慮してあんまり話さないです。

そして、研修終了後、IT部門でPCの用意ができてる、というので行ってみると、案の定、PCには中国語版のウィンドウズがインストールされており、それではさすがにどうにもならん、ということで英語版をインストールし直してもらうことに。翌日出直しになりました。

研修が終わった後、昼間、近隣を散策していた妻の情報を元に、上海でも有数のショッピングエリアである、徐家汇を散策。交通大学からは徒歩圏内ですが、巨大な交差点のどちらを向いてもでかいデパートがある、という派手なエリアです。

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3日目:午前中は大学近くにある中国銀行に赴き、口座開設。兎にも角にも、給与を受け取る口座を確保しないと始まりません。驚いたのは、中国銀行の店頭や窓口の担当者が普通に英語で話せることです。あと、審査はかなり雑いです。僕が上海交通大学で働いている、というしっかりしたエビデンス(契約書とか名刺とか)も、住所を証明する資料も何にもないのに、あっさり口座開設できました。ちなみに、家族カードは作れない、と窓口で言われたので(これは未だに本当か疑ってるのですが)妻の口座も開設しましたが、彼女もパスポートだけの情報であっさりと口座開けてました。

その後、僕の所属する学部の学部長と他数名でランチの後、別の不動産屋とさらに不動産屋巡りをしました。

<感想>

来てみてわかったのですが、僕以外の新任のAssistant Professorは全員中国人でした。博士こそアメリカ、カナダ、香港の大学で取得しているものの、国籍は中国人であり、当然ながら中国語ぺらぺらです。就職活動をしている段階では、「上海交通大学、また、安泰経済管理学院として国際化を進めていて、あなたの採用もその一環だ」と聞いていましたが、なかなかそう簡単には国際化とは進まないものだなあ、という印象です。

導入研修は、全て中国語だったわけですが、幸い、コンサルで中国の経験があったので、スライドに表示される内容は7割がた理解できました。が、当然のことながら、喋っている内容は一言もわかりません(研究も授業も英語でやる前提で僕は採用されてますから、学ぶ気はあるけど、今はまだ中国語はさっぱりできません)。まあ、スタッフ部門の皆さんも普段は中国人ばっかり相手にしてるわけで、いきなり僕のためだけに英語で資料を準備してってわけにも、そりゃいかんわなあ、という感じです。こういうことになるだろうなあ、とは予測はしてましたが、いきなり洗礼を受けました。

研修を受けながら、「ばりばりドメスティックな日本企業が国際化するぞ!って言って、外国人採用すると、こういうことがおきるんだろうなー」と思って、なかなか感慨深かったです。国際経営論は僕の専門の一つで、「言語」を巡る問題はまさに現在の学会でホットなトピックなのですが、まさにその最前線に乗り込んだ気分ですね。同期採用の連中が気のいい連中で、それなりにサポートはしてくれたので、ほぼ、内容はキャッチアップできてると思いますが、まあ、何か事故は起きるでしょう(笑)。

一方、中国銀行は、窓口の担当者が片言とはいえ、普通に実用レベルの英語を喋っており、中国は本当にあなどれないなあ、と驚いたわけであります。日本の金融機関は、そのあたり、どうなんでしょうねえ。

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4年間のロンドン生活で、僕たちが残念に感じたこと ベスト(ワースト?)8

昨日は4年間のロンドン生活で僕たちが好きだったこと ベスト10を書きましたが、今日はその続編、残念だったことベスト(ワースト?)8です。

日本のメディアには、よくこの国はこんなに素晴らしい、みたいな情報が載ってたりしますが、世の中に完璧な国など存在するはずもなく、良いところもあれば残念なところもあります。実際、ロンドンに住んでいると、あー、これは残念だなあ、と思うことも沢山ありました。おそらく旅行だと気づかないところに目が向くのが、何年か生活してみることの良さかもしれません。

と、いうことで、公平を期すべく、残念なこともまとめておこうと思います。10個書こうと思ったのですが、残念ながら?8つしか思いつかなかったので、無理にひねり出すよりも、それで止めておこうと思います。

 

① ゴミをその辺に捨てる人が多い。

ロンドンで生活して、まず気になるのは、道にゴミがいっぱい落ちていることです。ペットボトル、お菓子の包み紙、テイクアウトの食べ物のトレイに始まって、(意味がわかりませんが)靴下が一足とか、着古したセーターとか。観光エリアはそうでもありませんが、普通に生活するエリアだと、普通に道にゴミが散乱してます。

あとは、電車の中でも食べ残しを席に放置したり、読み終えた新聞を床や椅子にそのまま置いていったりとかも日常的な風景です。とにかく、ゴミ箱があるところまで我慢して持って行って、自分で捨てる、ということをしない人が沢山いるのです。ちなみに、これはスターバックスやマクドなどのお店でもそうです。テーブルの上に食べ散らかしたものを片付けずに放置する人がかなりいます。

正直言って、「自分の出したゴミには自分で最後まで責任を持って片付ける。他人に迷惑をかけない」という感覚が染み付いている日本人からすると、とっても残念な気持ちになります。

 

② トイレの使い方が汚い。

①に引き続いてですが、トイレの使い方が残念なのもロンドンの特徴。なぜそうなるのかわかりませんが、トイレットペーパーとか、手を拭くペーパータオルとかが、床にいっぱい落ちている、というのがよくあります。これは僕も妻も、日常的に出くわしましたので、男性トイレ、女性トイレ問わない現象です。

仮に、自分が落としてしまったとすれば、(多少汚いかもしれないけど)自分で拾って、あとで手を洗えばいいのに、と思うのですが、それをしない人が沢山いる、ということではないかと思います。もちろん、使った後に流してないとか、そういうことはないので、衛生面でひどい、という話ではないのですが、「自分のやったことに最後まで責任持とうよ、次に使う人が不愉快じゃないの」と、毎度毎度、残念な思いになりました。

ちなみに、トイレの設備も残念なことが一つ。日本(や他の多くの先進国の場合)、トイレの個室のドアには、バッグなどがかけられるフックが付いていることが一般的だと思いますが、イギリスのトイレはこれがないか、壊れているケースの出現率がとにかく高いのです。うーん、残念。

 

③ 公共サービスの信頼性が低い。

まず、鉄道がとにかく遅れたり、キャンセルになったりします。よくあるのは信号故障ですが、それに加えて、車両故障とか、運転手が欠勤してて人手が足りなくて車両が走らせられないとか、様々な理由で電車が予定通りにこないのです。僕たちはロンドンの市内に住んでいて、「好きだった点」にも書いた通り、市内の公共交通は比較的安定しているので良かったのですが、郊外のベッドタウンとロンドンをつなぐ鉄道(National Railと言われるもの)は、かなり信頼性が低いです。

特に、ロンドンの南側のケント地方とかを走っているサウザンレイルウェイは、この春から夏は経営陣と組合の対立で列車の遅延やキャンセルが相次ぎ、普通に毎日会社に通うのが大変、という悲惨な状況が半年くらい続いておりました。

もう一つ、イギリスで残念なのは郵便です。お金を払って速達にすればちゃんと着きますが、普通の料金で送ると、1週間2週間音沙汰なし、みたいなことが普通に起こります。また、日本からEMSで送ってもらった本が、自宅に「不在届け」も届いていないのに、「局預かりにしていたでのですが、受取人が引き取りに来なかったので、送り主に戻します」というメッセージとともに、送り主に返送されてしまった、というケースもありました。こういうことを経験すると、日本の公共サービスって本当にレベル高かったんだなあ、と感じます。

 

④ 家の施工レベルが低い。

これはなかなか、分かってもらいにくいと思うのですが、家の細かいところの施工が雑なのです。例えば、電気のプラグを差し込む金属パーツがきちっと壁に固定されてなくてグラグラしてて、隙間からホコリが入り込みそうとか、お風呂のバスタブの周りのパッキングがちゃんとしてなくて、隙間から水がどこかに吸い込まれていくとか、壁のペンキがちゃんと塗られてなくてところどころムラがあったり、フローリングにペンキがはねちゃってたりとか、そういう話です。

これはどうも、こういう作業をする職人さんたちが、「素人に毛が生えた」くらいの人の比率が高く、きっちりプロフェッショナルにやってくれる人は価格が高いので、結果的に、素人仕事の比率が高い、ということに起因するようです。結果的に、「自分でやっても変わらないから自分でやる」という人も多いようで。僕たちの大家はまさにそのパターンでした。

妻の英語の先生(バリバリのイギリス人)に妻が聞いたところによると、とにかくそういう業者さんたちを雇う際は、自分できちんと選んで、全てのスケジュールを自分で組んで、作業を監督していかないと、ろくなことにならない、というのが、現地の感覚だそうです。

 

⑤ 医療の待ち時間がすごく長い。

イギリスは、国民皆保険で、誰でも無料で医療サービスを受けられます。これは素晴らしい仕組みなのですが、残念ながら無限に予算があるわけではなく、なおかつ金融危機以降はイギリスは緊縮財政を続けてます。この結果、何が起きるかというと、待ち時間が膨大に伸びるのです。

普通にかかりつけ医のアポイントを取ろうとすると(あ、まず、アポイント無しでは、かかりつけ医にも診察してもらえません)、2週間後、みたいなことが普通に起こります。そして、そんなの待ってられないから、と、大きい病院の救急コーナー(A&E=Accident and Emergency)に行くと、3時間待ちとががザラです。

これを回避しようとすると、プライベート医療という、国の保険の適用外の医療サービスもあるのですが、こちらは非常にお金がかかります。まあ、現実的にはしょうがないのだと思いますが、とにかくお金か時間を使わないとお医者さんに会えない、というのは、かなり大変です。

(注釈: 医療関係の友人からコメントがあったので補足ですが、イギリスのこの現状はやむを得ないことでもあります。医療は低コスト、アクセスの良さとクオリティを全て同時に達成することは不可能なので。イギリスは比較的、低税率の割に高齢化が進んでいるので、限界ギリギリのアクセスレベルで頑張ってるわけです。日本は医療関係者の献身的な努力で三つが比較的いいレベルで維持されてますが、限界間近なのは報道でもお馴染みですね)

⑥ レストランでのサービスレベルがまちまち。

レストランのサービススタッフですが、愛想はたいてい良いのですが、気が利かない人が多いなあ、というのが印象です。声をかけないとお皿を下げてくれなかったり、まだ食べてるのにやたらと皿を下げたがったりとか。注文したのに忘れられていて、こちらから声をかけると「なんだっけ?」と確認してきたりすることも、まま起こります。あとは、お支払いはテーブルでのカード決済がほとんどですが、声をかけても延々待たないとカードの決済端末を持ってきてくれない、油断すると忘れられている、ということもよく起こりました。

妻によると、「とにかく視野が狭い」という印象だそうで。彼女曰く、「自分だったら、料理を出しに行くときに、周りのテーブルを確認して、空いてるお皿を持って帰るとか、テーブル片付けるとか、帰り道でできることを考えながら動くけど、彼らはそういう風に周りを見てないと思う。目的だけ果たして、ついでにやれることを考えてないんだと思う」という観察でした。

もちろん、お店によっては素晴らしいサービスの店もありますし、個人できちっとやっている人もいるのですが、ばらつきが非常に大きく、結果的に全体的な平均値は低い、というのが、ロンドンのサービスの残念なところです。料理は美味しい店が多いだけに、勿体無いのです・・・。

 

⑦ 料理の下味がつけられない(のが伝統)。塩コショウよりも砂糖が多用される。

これは、美味しい店ではなく、普通の伝統的なパブとかに行くと起きる現象なのですが、イギリスの料理人はどうも、お肉やお魚に下味をしっかりつける、という感覚が欠如している人が多いようです。

たとえば、フィッシュアンドチップスのような魚の揚げ物を作るにしても、日本の感覚からすると、白身魚にちゃんと下味をつけて、それから衣をつけてあげたくなりますが、そういうことがまったく行われないままに、ただ、衣をつけてあげてあるのが一般的です。ローストや、ステーキでも同様でして、とにかく素材をそのまま焼いて、あとは食べる人が塩をふるなり、ソースをつけるなりご自由に、という店が散見されます。ヨーロッパの他の地域に行くと、まったくそういうことはない(例えば、ドイツとかオーストリア、フランスだと、必ず肉にせよ魚にせよ、しっかり味が付いてる印象です)ので、イギリス特有の味覚ではないかと。

あとは、お砂糖がとにかく大好きなのもイギリスの特徴でして、スーパーなどで売っているサラダや、出来合いのお惣菜などは、日本人の感覚からすると、塩味が足りなくて、とにかく甘い、というのが多いです。これは次の話にも関係するのですが。

 

⑧ (かなり立派な)肥満が多い。かつ、子供もぷくぷく。

肥満といえばアメリカが有名ですが、イギリスもかなり本格的なオーバーウェイトの方が沢山街を闊歩しています。大陸ヨーロッパ側に旅行に行って、ロンドンに戻ってくると、目に見えて横幅の大きな人が増えるのです。実際、統計的に見ても、イギリスはヨーロッパで最も肥満度が高い国の一つです。

まあ、大人になってる人はライフスタイルの選択ですから、別に個人の勝手といえば勝手なんですが、子供の肥満が多いのは本当に残念だなあ、と感じます。一家揃って、ぷくぷくもちもちで、得てして甘い砂糖たっぷりのドリンクをスーパーでたっぷり買ってたりするので、明らかに親の影響だと思います。

これについては、政策として「甘いドリンクに税金をかけて、砂糖の摂取量を減らそう」とか、「スーパーやメーカーに規制をかけて、砂糖の使用量を減らさせよう」とか、そういう議論が盛んに行われております。「いや、個人が意識して砂糖をとりすぎないようにして、子供のしつけの一環として甘いドリンクとかを飲ませないように親がちゃんとすればいいんじゃなの?」という疑問もわくのですが。

同じくイギリスらしいなあ、と感じるのは、かなりのボリューム感の体の皆さんがテレビで、「太っていることを、悪いこと、問題だ、として扱うコミュニケーションを政府やメディアが行うのは許せない。誰もが自分の体に尊厳を持てるよう、肥満に対するネガティブな扱いは、社会的に禁止すべきだ」というキャンペーンをやってたりすることです。「好きなこと」の項目でも書きましたが、イギリスはとにかく、一人一人が自由に生きる、同調圧力や社会的なプレッシャーをかけられたくない、という風潮が強いです。その辺りが、「肥満を社会問題として扱うこと」へのこうした反応にも現れているように感じらえます。日本では「周りから変に見られたら恥ずかしい」という感覚が、個人の行動に大きな影響力を持ちますが、それとは大きく違うドライブで動いている社会だ、ということですね。なので、「個人が自制する」アプローチの働きかけは、肥満への対策にならないのだと思います。

 

と、いうわけで、ロンドン生活で残念なこと8つでした。総じて、一人ひとりが自由に生きていることの裏返し、という面が多いように思います。日本の場合は、全てが秩序立っていて、安心できるのですが、その一方で、「こうしないといけない」というソーシャルプレッシャーが強くて、息苦しさにつながってると思います。一方、ロンドンの場合、そういうプレッシャーから自由であることの代償として、ばらつきが大きくて、きちっとしてない部分が社会のそこかしこに現れてるのでしょう。

トータルで見ると、残念な面もあるものの、楽しかったなあ、というのが妻と私の正直な感想です。人種差別を意識することもほとんどなく、また、犯罪やテロなどの危険を感じることも幸いありませんでしたし。私たちが住んでいたエリアは、日本人に人気のエリアではありませんでしたが、安全で、良い隣人にも恵まれて、楽しく過ごせたのは、非常に良かったです。

4年間のロンドン生活で僕たちが好きだったこと ベスト10

僕と妻は、2013年から今まで、ちょうど4年間ロンドンに住んできました。いよいよこの日曜日にロンドンを去って、上海に引っ越すことになりますが、本ポストは、僕たちがロンドンについて好きだったこと、ベスト10についてまとめます。この10個のポイントについては間違いなく、将来、懐かしい気持ちになるだろうなあ、と思います。

ちなみにベスト10といってますが、順序は適当で、10個思いついたことを書いてるだけです。いくつかはロンドンに限った話ではなくて、イギリスについての話ですが、まあ、その辺はご容赦を。

後ほど別の投降で、ロンドンについて残念だったこと ベスト(ワースト?)10も同じく書きますね。そっちの方が面白いかもしれませんが、まずはポジティブな方から行きましょう。

① パブでの気楽な飲み。

パブのいいところは、カウンターで飲み物を買ったら、あとはどう飲んでも自由なことです。席に座っても、カウンターで立ち飲みでも、その辺に立ったまま飲んでも、はたまた店の前の道端で飲んでてもいい。ロンドンは比較的気候が穏やかなので、年中比較的外で飲んでも気持ちいいのが良いところです(とはいえ冬の寒い日に、コート着て外でビール飲んでるのを見ると、未だにどうかと思いますが)。とにかく、パブの前の道中に立って飲んでいる人がいるのは、ロンドン特有の風景ではないかと。

そして、パブでの飲み会は、みんながそれぞれバラバラに集まってきて、勝手に自分の飲みたいものを買って、気が向いたら他の人にもおごって、自分が帰る時間になったら帰る、という適当ぶりであります。最初はあまりのオーガナイズのされてなさっぷりに驚きましたが、今となっては、これも個人の自由が好きなイギリス文化らしさかと感じます。とにかく気楽なのが良いところです。

② 美術館と観劇が超充実。

ロンドンといえば大英博物館が有名ですが、美術館も非常に充実してます。トラファルガースクエアのナショナルギャラリーがもちろん最も有名ですが、それ以外にも街のそこかしこに小ぶりな美術館があり、ルネッサンスあたりの巨匠の作品から、モダンアートまで、幅広く楽しめます。企画展も非常に多くあるので、常にアートを4年間通じて楽しめたのは、非常に良かったところです。

加えて、僕も妻も4年間の間に完全にバレエ好きになりました。ロイヤルバレエ、ナショナルバレエなど、ロンドンにあるバレエカンパニーだけでなく、ボリショイやマリンスキーなどロシアの有名カンパニーや、イギリスの他の都市のバレエカンパニーの公演もあり、非常に充実してます。また、クラッシック作品だけじゃなくて、モダンに再解釈を行ったり、バレエ出身じゃない振付家がアレンジをしたりと、新しい試みが行われているのも面白いところ。

この背景には当然、それだけの規模の観客がいるわけです。一定の需要があるマーケットだからこそ、様々なカンパニーも集まってくるし、実験もできる。それに引き寄せられて人材も集まるし、観客もやってくる。その意味で、ロンドンはバレエ(をはじめとした様々な劇場アート)の世界的なハブ都市になっているのではないかと思います。

③ 公園が充実。特に芝生に座って気持ちいい。

ロンドンは町中に大小、様々な公園があるのですが、5月になると一斉に人々が芝生の上に座り込み始めます。緯度が日本よりもかなり北のため、冬は夜が長く、3時には真っ暗になってしまいます。なので、冬の間は皆、日照に飢えてるはずです(実際、日光を浴びないと生成されないビタミンDは、ロンドンで普通に生活してると欠乏するらしい)。その結果、日差しが気持ちよくて、温度が上がってくる5月くらいになると、居ても立っても居られない、とばかりに、町中の公園の芝生に、人々が集まってただ座って時間を過ごすようになるわけです(追記:妻によると早い時は3月のあったかい日から始まる、とのことでした)。

夏も日本ほど暑くならず、基本的にはさわやかな気候が続くので、8月くらいまではご機嫌に芝生ライフが楽しめるのがいいところです。リージェンツパークでよく、友人と飲みました。日本だと暑すぎてやってられないですが・・・

あと、大きい公園たちは、ジョギングするのも、散歩するのも非常に良いです。

一方、不動産価格が上がりまくる中、これだけのスペースを維持して、宅地に転換しないでいるというのは、ある種の既得権益保護だなあ、という感じもしますが、まあそれも社会としての選択ですね。

④ 多様で寛容。

ロンドンはイギリスの中でも際立って多様性が高く、とにかく英語以外の言語を喋ってる人が町中にいます(もちろん僕と妻もその中に含まれるわけですが)。いわゆるイギリス人、と言われて想像するような見た目の人のシェアはかなり少なく、南欧、東欧、北欧、中東、インド、東アジア、アフリカなどあらゆる地域の人が混ざっているのがロンドンの印象です。まあ、それ自体がどう、ということはないのですが、そういう社会がある、ということを経験できたこと自体は良かったなと。

そして、上のパブのところと共通しますが、それぞれの人が思い思いのスタイルで生きていて、他人からの同調圧力が非常に低いのが特徴です。服装一つとっても、みんな、季節感もスタイルもてんでバラバラです。この季節にはこういう格好をしないと変、とか、今はこれが流行りだから、みたいな感覚は全く感じられません。妻によると「日本ではこんな格好で外出できない、とか思うけど、ロンドンだと気にならない」そうです。この同調圧力の低さは、住んでみないとなかなか感じにくいものかもしれません。

一方で、妊婦や老人に親切なのは気持ちいいところ。満員電車だろうと、確実にさっと誰かが席を譲りますし。と、いうわけで、全く他人に関心がないわけでもないのです。もちろん、日本の満員電車とは混み方のレベルが違うので、心の余裕があるのかなあ、とは思いますが。

⑤ 食事が多様で、(実は)美味しい。

イギリス料理といえば、あまり良い評判はありません(し、実際にとても残念な食事をだす店もいっぱいあります)。が、ロンドンの食は非常に充実している、と言い切って良いでしょう。4年間の間に様々な友人が仕事や遊びに来ましたが、全員、口を揃えて「こんなに美味しいと思わなかった」と言ってました。イギリス人の友人に聞いても、この10年でロンドンの食のレベルはすごく変わったそうで。BBCをはじめ、各局で料理番組もたくさんやってますし、総じて食に対する関心が上がって社会として変化しているようです。

特に良いのは、中華、インドはもちろんのこと、地中海料理(モロッコやチュニジアからリビアやシリア、トルコ、ギリシャにかけてのエリアを大雑把にまとめてます)が非常に充実していることです。日本ではあまり食べる機会がないかもしれませんが、個人的にはとても舌に合いました。あと、ペルー料理(セビーチェとかうまいです)、アルゼンチン料理(がっつり肉ですね)などなど。4年間の間に、店で食べた後に自宅で作るようになった料理もたくさんあり、めっきり我が家の料理のレパートリーは広がりました。

⑥ 政治が面白い。

イギリスはこの4年間の間に、Brexitを問う国民投票とスコットランド独立を問う国民投票があり、さらには総選挙が二回あり、政治的には激変でした。ただし、それだけで「政治が面白い」と書いたわけではありません。イギリスの政治家は、とにかくスピーチと討論がめちゃくちゃ上手なのです。論理的で、はっきり要点を示し、さらにジョークを言ったり、相手を皮肉ったりと、やりたい放題であります。

議会開催中は、毎週水曜日にPMQ(Prime Minister’s Question Time)がお昼時にBBCで放送されているのですが、僕は毎週、昼食を食べながら見るのを楽しみにしてました。首相が与党野党の議員からの質問に答えるコーナーですが、質問する方も答える方も歯切れがよく、日本の国会中継とはテンポも切れ味も全く違います。

聞くところによると、小学校から、自分の主張を明確に述べた上で、その主張をサポートする証拠や理屈を述べていく、と言うスタイルで作文をする練習を始めるそうです(僕の指導教官(韓国人)が、娘の受けてる小学校でのエッセーの書き方指導を見て、LSEで大学生に書かせるスタイルと本質的に変わらない、といって驚いてました)。イギリスの政治家の、その場でぽんぽんと論理的に話を組み立てて、わかりやすく話すスキルの根底には、若い時からの繰り返されたこういうトレーニングがあるはずで、これは日本の教育と根本的に違うなあ、と感じます(もちろん、これはその教育で成功した少数のエリートの話なので、一様にそれだけでイギリスの教育を褒めることはできませんが)。

⑦ 公共交通機関が充実してて、街を動き回りやすい。

ロンドンの公共交通機関にはバス、地下鉄、オーバーグラウンド(モノレールのような、地上を走っている交通機関)などがあります。これらは全て、TFL(Transport for London)という、ロンドンの広域行政機関の組織が管理しています。TFLはこれら以外にも、バイクシェアなども運営しており、ロンドン全体の交通のデザインと管理を担う組織のようです。

おそらくこういう管理体制のおかげなんだと思いますが、ロンドンは総じて公共交通機関の接続がよく、ロンドンの隅々まで、何らかの公共交通機関で行くことができます。また、バスは深夜も運行しており(もちろん全てのラインではありませんが)、さらに、地下鉄も一部のラインは金曜、土曜日は終夜運転のため、非常に安全かつ、安価に夜でも移動することができます。おかげで、夜のバレエ観劇や、深夜まで飲んだときでも、タクシーに乗らずに自宅に帰れます。東京都市圏に比べれば、街がそもそもコンパクトだ(東京は都市圏としては未だに世界最大級ですからね)というのもありますが、この移動のしやすさは、ロンドンの街としての魅力に大きく貢献していると思います。

⑧ ヨーロッパ中、どこに行くのもすごく安い。

RyanairやEasyjetなどのLLC各社が、ヨーロッパ中の都市とロンドン近郊の空港(ヒースローに加えて、ガトウィック、スタンステッド、ルートン、シティ、などの空港があります)を接続しており、早めに予約すれば数千円で乗れるので、ヨーロッパ中、どこにでも安くいける点は、ロンドンに住む大きな魅力と言って良いかと。

安い → みんなが旅行に気軽に出かける → 規模の生産性が働く → さらにコストダウンができて安くできる、という好循環が回っているのでしょう。各空港のオペレーションも、僕が滞在している4年の間にどんどん効率的になっており、明らかに好循環が回っている様子が見て取れます。

⑨ 酒の量が常に明朗会計

日本とイギリスで酒を飲むときに明らかに違うのは、イギリスでは常に何mlかがメニューに明記されていることです。ビールも1pint(568.26ml)のグラスには、必ず「ここまで注げば1pint」というライン引いてあり、それ以下で売るのは違法です。ワインも、メニューに125mlならいくら、175mlならいくら、と明記してあり、ちゃんと計量メジャーで測って注ぐことが法律で決まっています。

日本の生中やグラスワインは、店によってグラスのサイズが違ったり、注いでくれる量が注文する時点では不明なので、冷静に考えるとかなり不明朗ですよね。それに比べると、イギリスの仕組みは極めて明朗で、気持ちが良いのです。ただ、議員たちがいったいどんな顔してこの法律を議論してたのか考えると、かなり変な感じがしますが・・・

⑩ イモがうまい

さて、最後の項目はまたもや食事の話です。イモはイギリスの国民食でして、何はともあれイモが好きなのがイギリス人であります。フライにしたり、マッシュにしたり、サラダにしたりと、いろいろと食べ方があるわけですが。日本人が米を食べないと落ち着かないように、イギリス人はイモを食べないとダメみたいです。この項目、わざわざ料理の項目と分けて書いたのには理由がちゃんとありまして、とにかく、総じてイモがうまいのです。

おそらくこれには二つの要素があります。まずは、北海道と同じく緯度的に北にあり、ジャガイモの栽培に向いているのでしょう。北海道の農家の方によると、同じイモを育てても、北海道と本州では味が違うそうで。同じような効果があるのではないかと推測してます。あともう一つは、イギリス人はとにかくイモが好きなので、美味しく食べる工夫をしているのではないかと。もちろん、上で書いた通り伝統的なイギリスの料理店の中にはとても残念な味レベルの店もたくさんあるのですが、おいしい店のイモは本当においしい。どうこの気持ちを伝えたらいいか、わからないのですが、とにかくおいしいのです(しつこいですね、すいません)。

 

はい、これで10個です。ほかにもロンドンのいいところはあるような気もしますが、妻と昨晩、振り返りをしてみて、思いついた10個を書いてみました。次は、ロンドンの残念なことベスト8(10個かけるかと思いましたが、8個になりました)についても書きます。お楽しみに。

イギリス留学から中国の大学に就職する(その2)日本国外からのビザ取得に関するあれこれ

いよいよ就労許可がおりましたので、中国のビザの申請をします。

(そもそも就労許可が下りるまでの苦労についてはイギリス留学から中国の大学に就職する(その1)ビザ獲得への長い道のりをご参照ください)

たいていの日本人は中国にビザの申請を日本から行うと思いますが、僕の場合はロンドン在住で、ロンドンから直接、中国入りする計画のため、ロンドンにある中国大使館(から、委託を受けているChinese Visa Application Service Centreなる組織)に申請をします。

まあ、必要な書類自体はほぼ同じなのですが、日本と距離が離れているということが思わぬ落とし穴になりうるので、忘れる前にメモとして残しておこうと思います。

僕の場合は、長期の就労を中国で行う予定なので、Zビザになります。通常の日本からのZビザの申請についてはこの辺りが詳しいのでご覧になると良いかと。僕も参考にしました。

Guangxi Times

日中平和観光 中国就労ビザ取得ノウハウ

で、ビザの申請に必要な書類は以下になります。

<Zビザ(就労)申請に必要な書類>
パスポートと写真のページのコピー
ビザの申請書+写真
ビザセンター利用に関する同意書
過去に中国から取得したビザ(なければ不要)
合法的にイギリスに滞在していることの証明(イギリスのビザですね)
中国からのInvitation letter (幾つかのバリエーションあり)

で、妻の場合は僕に同伴するので、S1ビザという長期の同伴ビザになります。そちらの必要書類は以下のとおり。

<S1ビザ申請に必要な書類>
パスポートと写真のページのコピー
ビザの申請書+写真
ビザセンター利用に関する同意書
過去に中国から取得したビザ(なければ不要)のコピー
合法的にイギリスに滞在していることの証明(イギリスのビザですね)
同時に申請するZビザ申請(僕のもの)のコピー
婚姻関係にあることを証明する書類と、そのコピー

中国からのInvitation letterについては、中国の雇用先(僕の場合は大学)が関連する役所に申請して、役所から認可を取ってもらい、入手するものです。僕の場合はNotification of Foreigner’s Work Permitという書類になりますが、PDFを送ってもらって、その印刷したものでOKで、現物を送ってもらう必要がないので楽でした。

パスポートは手元にあるし、申請書や同意書は普通に書けばいいです。あと、イギリスのビザも当然パスポートに貼り付けてありますからコピーを取れば完了です。この辺りの書類はそんなに大きな問題にはなりません。が、残りの書類が問題です。

 


ハマる可能性がある書類は2つ


 

まずは、中国から得たビザのコピー。僕は昔、中国のビザを取ったことがありました(今は不要ですが、昔は短期の旅行でも必要でした)。これが、古いパスポートに貼付されていたので、古いパスポートからコピーを取る必要があります。幸い、手元に古いパスポートは全部保管してあったので問題なかったですが、万が一、古いパスポートをイギリスに持ってきてなかったら、けっこう面倒なことになった可能性があります。

僕の場合、以前イギリスの学生ビザを申請した際に、「過去10年に訪れた国を全部リストアップしろ」という項目を埋めるのに苦労した、という経験がありまして。その際に「昔のパスポートを常に参照できるようにしてないとダメだ」と思い、全部のパスポートをイギリスへの引っ越し時も持ってきてたのでした。

なので、パスポートは古いものも含めて全て保存しておき、いつでも手元に置いておくことをお勧めします。

 

次に、妻の「婚姻関係を証明する書類」です。

これは、戸籍の全部情報証明(昔の謄本ですね)でいいのですが、問題は、戸籍の全部情報証明書単体では不十分だということです。それを取った上で、

  • 翻訳して、正式な翻訳であるという宣言書を翻訳者に一筆書いてもらう
  • それを、公証役場で「まともな書類ですよ」と認証してもらう
  • その上で、外務省に持って行って、これまた認証してもらう
  • さらに、それを在日中国大使館にもっていって、さらに認証してもらう

という手続きが必要になります。要するに、ビザの申請を審査する人に対して「日本で作られた書類がちゃんとした書類である」ということを示すために、外務省と中国大使館に一筆書いてもらう必要がある、ということです(公証役場の認証は、私文書(翻訳)を外務省に認証してもらうために必要)。

どうやら、上記の手順の代わりに、日本でとった戸籍の証明書を、ロンドンの大使館にもって行き、英語の「結婚証明書」なるものを発行してもらう、ということもできるようです。が、果たしてそれが在英の中国大使館で認めてもらえるのかが怪しかったため、日本で全ての認証を済ませてから、郵送してもらう手続きをとりました。

実家の父に戸籍全部情報証明書を取りに行ってもらい、その後の手続きは、この手の業務を専門にされているアポスティーユ申請代行センターさんに特急で対応いただきましたが、それでも僕の手元に書類が届くまで10日近くかかりました。

これは、あらかじめ想定しておかないと日数ばかり経ってしまうので要注意です。あと、お金もかかりますしね(数万円くらいですが)。

以上、日本国外からの中国のZビザ申請に関するあれこれでした。

なぜ30代後半からロンドンで博士課程に進み、そして今、中国のビジネススクールなのか(2)

いよいよ中国からの就労許可がとれました!

来週にはビザの申請をし、すべてがうまくいけば再来週には上海での仕事をスタートしたいところ。いよいよ、最終段階です。就労許可さえ取れてしまえばあとは大きな問題は起きないはずですが、最後まで気が抜けません。どうなることやら。

さて、今回はまた、キャリア選択についてのお話です。キャリアについて、前々回、なぜ30代後半からロンドンで博士課程に進み、そして今、中国のビジネススクールなのか(1)で、自分の人生を考えた時のステップとしてアカデミックキャリアを考えて、そのためには博士課程に進むことにした、ということを書きました。今回はその続き、なぜ上海交通大学のビジネススクールを就職先にしたか、ということです。

まあ、もちろん、採用していただけた中から就職先を選ぶしかないわけですが、一方で、そもそも応募段階から応募しなかった大学もありますし(例えば、アメリカのビジネススクールは一切応募しませんでしたし、日本の大学も応募してません)、採用のオファーをいただけたものの辞退させていただいたケースも2校あります。と、いうわけで、その辺りで、何を基準にしたか、というお話です。

簡単に言うと、「何がしたいか」「どんな機会があるか」「何が求められるか」「自分の力で通用しそうなのはどこか」というのの掛け算なわけですが(リクルート出身者の方にはおなじみのWill × Can × Mustと似てますね)。

まず1点目は、「日本に戻るよりも、まずは海外で試してみたい」ということです。

アカデミックの労働市場には、大雑把に言うと、英語で論文を書き、英語で授業をする「グローバルな市場」と、各国の現地の言語(日本の場合は日本語)で論文を書き、授業をする「ローカル市場」があります。勿論、白か黒か、ですっぱり別れてるわけではなくて、日本語と英語の両方で研究を発表してる研究者もいますので、便宜上の分け方ですが。

どちらも厳しい就職状況であることは変わりませんが、世界中から応募者が来る労働市場で通用するのだろうか?というところにワクワクした、ということですね。ここには理屈はあんまりなくて、やってみたかった、という話です。

もちろん、全く勝算がなかったわけではないです。指導教官や共同研究者からの評価や、学会で毎年1回会う同じ分野の研究者たちと話している実感から、「全く通用しないわけでもないだろう」とは思ってました。だったら、一度チャレンジしてみるか、という話です。

2点目は、そうはいっても自分の研究が「ウケる」大学でないとはじまらない、ということです。

まず、自分の研究実績で考えると、研究で世界に名の売れた超名門大学には到底、入れなさそうです(一応、博士期間中に国際学術誌に論文は1本発表してるんですが、いわゆるバリバリのトップジャーナルじゃないし、1本だけなので)。とはいえ、まずは研究実績を積みたいですから、研究に力を入れていて、実際に研究で成果を上げている教員がいる大学を狙いたい。また、授業中心のポストじゃなくて、研究にウェイトを置いたポストがいい。

また、経営学の中でもある程度、分野を明確にして応募がでますから、全く筋違いの求人に応募してもしょうがない。さらに、既存の教員の研究内容や実績を見てみると、「自分の研究トピックスは、この組織にフィットしそう」と感じるポストと、「うーん、なんかあんまりハマらないなあ」と感じるポストがあります。この辺りは、明確に応募書類に書いてあるわけじゃないですから、情報を読み込んでみてどう感じるか、という話です。が、後から振り返ると、「ハマらないかも」と思ったところは、全くインタビューのお誘いもかかりませんでしたら、まあ、そんなに筋が悪い読みでもなかったのかもしれません。

何十校、下手すると百校近く応募する人もいるそうですが、僕の場合はこの辺りを鑑みながら、ある程度絞って、20校くらい、応募することにしました。採用のオファーをもらっても、行こうと思えないポストに応募してもしょうがないし、とはいえ、向こうからみて、「お、こいついいかも」と全く思ってもらえなさそうなポストに応募しても、これまたしょうがない、ということです。

そして3点目は、地域軸で、アジアまたはヨーロッパ、です。

ヨーロッパは、ロンドンに住んでいましたから馴染みがあるし、これまでに知り合った研究者と共同研究をやるにも時差が少なくて便利、ということです。あと、LSE在学中に、イギリスの大学の教員資格を取ってあったので、イギリスの大学は有利だろう、と考えてました。なので、他がダメでもイギリスで何校か受けておけば、一つくらい引っかかるだろう、的な考えはなかったと言えば嘘になります。

アジアに関しては、研究的にアジアの中における多様性に関して興味があった、ということと、国として高等教育に力を入れていこうとしており、国を挙げて投資をしているケースが結構多い点が魅力です。

香港やシンガポールの大学は、世界的に研究での競争力が非常に高く、給与もトップクラスなので(そういえば、この間、一ツ橋大学の若手の准教授が、高額報酬で香港に移ったというのが話題になってましたが、率直に言って、日本の研究者の給与はあんまり高くないです)、世界中から応募が集まるのですが、それら以外の、「アジア圏では知られているけど世界的にはまだまだこれから、でも、虎視眈々とトップランク入りを狙ってる」みたいな大学を狙えるかな、と思っていたわけです。

結果的に上海交通大学はまさにこれにぴったり当てはまる大学でした。中国として、グローバルな大学ランクでトップ層に押し上げるために投資している。一方で、世界的にはまだまだ知られてないし、実際の教員リストを見ると中国人が圧倒的に多くて(多分、僕の学科は外国人は僕だけです)、人材は多様化されていない。シンガポールとか香港のトップスクールには応募しても、上海交通大学には応募しない連中が、結構いそうです。研究的にも、僕の研究と接点がありそうな研究者が中堅に何人か居て、うまくはまりそう。

正直、僕から見ると、狙い目です。

一方、不安要素としては「組織に馴染めるのか?」という点がありました。中国には、海外の資本が入った大学もあり、例えばイギリスのNottingham Universityとか、Liverpool Universityとかが中国にキャンパスを持っています。こうした大学の場合、イギリス式の組織運営、学事運営になっているはずですから、適応にそんなに苦労しないだろう、という読みが立ちます。一方、交通大学は純粋な「中国の大学」です。仮に、「中国流」の運営が行われているとすれば、「極少数派」の外国人として、その中に馴染んでいくのはかなり大変そうです。

その辺は、面接で訪問した際にかなり気をつけてヒアリングをして、結果的に「まあ、大丈夫じゃないかなあ」と思えたので、オファーを受けることにしました。実際には、グローバルに競争力を高めていくための施策として、アメリカなどでトップスクールで活躍していた教授陣を引き抜いてきて、彼らが主導する形で組織変革が行われていること、また、実際に若手、中堅の研究者がのびのび研究をしている点が、決め手になりました。まあ、この辺りは普通の転職活動とそんなに変わららないのかもしれません。

と、いうわけで、おそらくここから先は、中国からのレポートになろうかと思います。実際に、現地に入ってみて何が起こるか、こまめにアップしていきます。

アカデミックキャリアを考える:なぜ博士課程の学生は、メンタルを病みやすいのか。

「博士課程学生はメンタルを病みやすい」という恐ろしいデータを示した記事を見つけました。

Why Are Ph.D. Students More Vulnerable to Psychiatric Disorders?

ちなみに、この記事の元になった研究はこちら。

Work organization and mental health problems in PhD students
(Levecque et al. 2017. Work organization and mental health problems in PhD students, Research Policy, Volume 46, Issue 4, Pages 868-879)

 

記事をかいつまんで翻訳&要約すると、

  • ある、ベルギーで行なわれた博士課程学生3000人以上を対象にした調査によると、「同じように高レベルの教育をうけたが、博士課程に参加していない人々」と比べて、2倍以上の頻度でメンタル疾患の症状を示していた
  • 具体的には、「憂鬱で不幸な気分を感じる」「常時ストレスを感じる」「考え事のために不眠、睡眠不足になる」「困難を乗り越えられないと感じる」「日々の活動を楽しめない」などなど。

ということです。筆者らによれば、あくまでもこれは相関ベースの研究なので、博士課程の学生が置かれた環境が彼らのメンタルに影響しているとは断言できないとのこと(メンタルを病んでいる学生のほうが、環境を悪く認知するかもしれないため)。

とはいえ、先行研究を見る限り、環境がメンタルの問題に少なからず影響することはよく知られているので、この調査結果は、少なからず「博士課程に所属すること」が、メンタルにはよくない影響がある、と示していると言えそうです。

 

さらに研究によれば、以下のような条件を満たしている学生は、相対的にメンタルの問題が生じにくいとのこと。

  • 知的刺激を受けるようなスーパーバイザー(指導教官)がいる
  • アカデミックなキャリアを歩もうという関心がある
  • 明確なキャリアプランがある

逆に言えば、

  • 指導教官から知的刺激が受けられない
  • アカデミックなキャリアに関心がない
  • キャリアプランが不確か

だと、メンタルの問題が生じやすい、ってことですね。まあ、そりゃそうでしょう。

指導教官の問題は深刻で、僕は幸い、指導教官二人から非常にいい刺激を受けて、今後も共同で研究ができそうな関係性を築けましたが、周りを見ていると必ずしもそうでもなさそうです。感覚的に言うと、ざっくり1/3くらいは、指導教官からあんまり刺激が得られないか、むしろ指導教官に足を引っ張られている、と感じている印象があります。

しかも、指導教官を変えることは相当な困難が伴うので、そうそう変えるわけにもいかず。途中で変えると新しい指導教官と研究の方向性ややり方についての考え方を揃えるのにえらく時間がかかるし、そもそも変えるための学内での交渉にも時間がかかるし、人間関係にも配慮がいるし、と一筋縄ではいかないのです。

なので、ここでハマるとメンタルを病みやすい、というのは想像がつきます。

LSEの場合は、学部内、また、学部を超えた全学レベルでその辺りを相談できる窓口がきちんと設けられてましたが、それでも、指導教官とのミスマッチの問題に直面すると、年単位で研究が滞り、卒業も遅れる(それに伴ってお金もかかる)というふうになりがちです。

 

また、キャリアの問題については以前に「過酷なアカポス(アカデミックポスト)市場の現状と、そこでの就職活動の実態」というポストで書きましたが、アカデミックキャリアの労働市場は、はっきり言ってかなりな無理ゲー状態ですので、キャリアについての悩みがストレスになる、というのも想像がつきやすいです。このことについては、ちょうど最近、日本でも新しい調査がでてました。

ポストドクターから大学教員への道険しく、文部科学省調べ (大学ジャーナル)

この研究の筆者たちも、以下のように書いてます。

Our findings also suggest that universities might benefit from offering PhD students clear and full information on job expectations and career prospects, both in and outside academia.

(日本語訳)
私たちの発見から示唆されるのは、博士課程学生に対して、卒業後の就職の見込みについて、アカデミック、それ以外(訳注:民間など)の両方の面で、明確かつ、十分な情報を提供することで、大学は(訳補足:メンタルを病む学生が減るという)メリットを得られるかもしれない、ということだ。

たしかに、全くおっしゃる通り。

ただ、博士学生を採り、指導する教授や准教授に、そこまで期待するのは構造的にかなり無理があると言わざるをえません。

そもそも、研究が好きでアカデミックに進み、アカデミックの人生を生きてきた人たちなわけで、それ以外のキャリアのことは視野にないし、そもそもよく知らない、という人も(社会人経験を経て学者になった、という人を除くと)多いかと。

さらに、彼ら、彼女らはアカデミックキャリアで成功した人で、どちらかといえば、博士学生に対しては、自分と同じようにアカデミックで成功してほしい、という期待を持ちがちです。なので、研究者として成功するためにどうするか、という指導は熱心にできたとしても(そういう善意の指導教官ばかりではありませんが)、「それ以外の人生もあるよ」とはなかなか勧めにくかろう、というふうに思います。まあ、率直に言えばダメだしすることになっちゃいますしね。

反面、学生の側からすると、↑にあるような「博士学生の就職きついよ」みたいな情報に触れるたびに「アカデミックで自分はやっていけるのか」「見切りをつけて、民間に就職したほうがいいのか」「でも、そうしたら、博士の意味がなくなってしまうんじゃないか」みたいなことが気になっているわけで。

なので、指導教官にキャリアの指導を任せると、学生側は情報不足のまま、自分の人生について不安が高まり、鬱々してしまう、という状況に得てしてなりがちなわけです。

LSEの場合は、キャリアセンターが博士課程の学生もターゲットにしており、アカデミック以外の進路についても様々な情報提供をしてました。広く自分のキャリアについて考えられるような説明会に博士課程の初期から参加できたり、アカデミックキャリアのこともよくわかっているキャリアカウンセラーに相談できたりします。また、実際にアカデミック、民間、公共セクターに就職した卒業生を読んでセミナーをやってたり、BCGやマッキンゼーからの博士学生をターゲットにしたセミナーもあったりするので、比較的恵まれていた、と言えるでしょう。

僕は正直言って、博士が終わった後のことが見えないままに4年も頑張るのは、人生上のリスクが高いと思うので、研究以外の人生も含めて自分の人生のことを早い段階から考える機会を設けて、アカデミックな世界における自分の実力と意欲を冷静にジャッジして、続けるなら徹底的にやる、やめるならスパッとやめる、という意思決定を促すべきだと思ってます。

日本の大学が、この辺りをどうしているかはよくわかりませんが。

 

と、いうわけで、表題の「なぜ博士課程の学生は、メンタルを病みやすいのか。」という問いに関しては、

  • 研究上、指導教官との関係性、指導教官からの研究上の刺激が重要な一方、残念な指導教官に当たってしまったり、関係性が悪化すると逃げ場がなくなりがち。
  • 博士課程の学生は、労働市場の構造上、将来が不安定になりがちで、なおかつ、それに対して広い視野と情報を持って(アカデミックキャリアではない道を選択することも含めて)対策を考えられるようにする支援体制が不足しがち。特に、指導教官だけだと不十分になりやすい

という二つの構造的な要因がある、と思われます。

すくなくとも、前者についてはなかなか対策が困難ですが(会社の上司も似たようなところがありますしね)、後者については、キャリアセンターなどが関与する体制にしていくのが大事であろうなあ、と思ってます。

 

 

なぜ30代後半からロンドンで博士課程に進み、そして今、中国のビジネススクールなのか(1)。

先日、イギリス留学から中国の大学に就職する(その1)ビザ獲得への長い道のりというポストで、いよいよ中国での仕事が始まるかと思いきや、ビザの獲得で右往左往してる、という話を書きました。本来であれば、先日、就労許可取得のためにサインした契約書によれば、明日(8/1)が雇用スタート日なので、すでに中国についていないとおかしいわけですが、未だにビザは取れておらず、ロンドンにおります。

振り返ってみると博士課程への出願を真剣に準備していた2012年にはリクルートにまだ在籍しており、30代(38歳)だったわけですが、今年の10月には43際になろうとしております。なので、40歳を挟んだ5年かけて、「日本でそれなりに大きな企業に勤める会社員」から、「独立コンサルタント」かつ「博士課程の学生」を経て、「中国のビジネススクールのアシスタントプロフェッサー」へとキャリアチェンジをした、ということになります。今回のポストの狙いは、なぜそもそもこういうことをやろうと思ったのか、ということについて、一度ちゃんとまとめておくことです。

本稿では第1弾として、博士課程進学までに何を考えてたか、というところをまとめます。大きなキーワードは、「長い人生の中盤戦」「戦略論で考えるキャリア選択」の2つです。


長い人生の中盤戦


 

個人的にはこのキャリアチェンジは、おそらく75歳くらいまでは働き続けるであろう人生の第2ラウンドのスタートだと考えています。

75歳までは働き続けるであろう、という想定については、すでにいろいろなところで様々な方が議論されてますので多くを議論する必要は無いでしょう。(1) 日本に限らず先進国どこにいようと年金支給年齢は遅くなるばかり、(2) 健康であれば、それくらいまでは働けそう(実際、父は72歳ですが、ペースは落としつつも現役ですし)という点と、これが僕にとっては大事ですが、(3) 働かないと退屈、ということが背景にあります。(3)については、人によって考えが別れるところだと思いますが、僕は、毎日面白い問題に挑戦して、それなりに世の中なり誰かの役にたっている、という実感があることが自己満足として大事だと思ってます。

75歳を一旦のゴールにおくと、僕は23歳から働き始めましたのでざっくり75-23=52年くらいは働き続けるわけです。で、40歳がちょうど1/3が過ぎたところにあたります。ですから、今がちょうど、人生を3つに分けると序盤戦が終わったところ、そして、40歳から55-57歳くらいまでが中盤戦、そして、それ以降は終盤戦に挑む、ということになります。

序盤戦は、リクルートでしゃかりきになって働き、自分なりに何かのプロになることを目指して走っていた、という時期です。コンサルタントとして、周囲の同僚や先輩と差別化された強みを持つこと、顧客から信頼され先方からお声がかかる状態になること、そして、組織内でひとかどの人材として認知されること、この辺りがゴールでした。幸い、30代中盤から37歳ごろにかけて、それなりにこれらのゴールは達成できていた実感がありました。コンサルタントとして充実したお仕事をし、リクルート外からの魅力的なお誘いを頂戴する機会もあったりと、それなりに自分のプロフェッショナルとしての価値に自信が持てていた訳です。

ただし、中盤戦ということを考えると、このままずーっとコンサルタントでやっていくのか、というのは疑問ではありました。まず、序盤戦で培った知恵と経験が活かせるとはいえ、中盤戦では中年を過ぎて体力が落ちていくことは間違いない訳で、コンサルタントという働き方には多少の無理が来るだろうなあ、という予感がありました。その上で、終盤戦にどう働きたいだろうか?と考えてみると、「研究」というのが浮き上がりました。

というのも、もともと研究に携わりたい、という欲求が昔からあったのです。今考えると何だそれ、という話ですが、実は小学生の卒業作文には、「僕の家系はみんなハゲだ。だから僕は毛生え薬を研究して、それでノーベル賞を取る」という、というトンデモ野望を書いてました(笑)。また、リクルートの中でも、ワークス研究所に2年所属し、その後もコンサルティングの傍で研究や調査にはずっと携わってきており、個人的にはコンサルティングよりも研究のほうが楽しいかも、と感じていたのです。ここから、アカデミック(大学)へのキャリアチェンジは、常に頭の片隅にありました。

しかし、ここで問題になるのが、資格です。実際に大学でちゃんと教授になろうとしたらPhD(博士号)が必要なので、人生のどこかでPhDの取得に時間を投資する必要がある訳です。確かに、日本にはプロフェッショナルとしての経験をもとにPhDなしでビジネススクールや経営学部に教授として転身される人たちもいます(官僚やコンサル、金融出身者など)。が、海外の大学を見れば基本的にはPhDは必須条件な訳です。そして、世の中には大学の国際的なランキングがあり、トップクラスの大学は世界レベルで競争しあっている。そう考えれば、ゆくゆく、日本においてもPhDを持っていないとアカデミックな世界でポジションが得にくくなるのは自明のように思われました。

また、どうせ新しい分野にチャレンジするなら、海外の大学で教員としてのキャリアをスタートするくらいのことまで視野に入れたほうが面白いだろう、とも思ったのです。終盤戦を視野に入れているにせよ、まだ中盤戦は始まったばかり。そう考えると、ストレッチした挑戦をしない理由はありません。体力もまだまだあるわけだし。また、大きな高望みをして始めれば、うまくいかなくてもそれなりに落ち着くだろうし、うまくいけば上々だし、という考えです。そう考えると、世界的に評価の高い大学でPhDをとることが、第一ステップになります。

と、いう訳で、終盤戦に「教育と研究にじっくり携わる」ということを前提に、キャリアの中盤戦を始めるにあたって、「体力があるうちに、アカデミックキャリアへの入場券であるPhDをとる」ことと、「どうせやるならグローバルのステージでそれに挑戦してみる」ということに賭けてみるか、と思った訳です。

 


戦略論で考えるキャリア選択


こうした長期の人生プランの一部としてのキャリアを考えた一方で、もう一つ、考えていたのは、戦略としてこの選択はどれくらい筋がいいのだろうか?ということです。結論としては、賭けではあるものの、それなりに勝算があるだろう、と判断しました。

戦略論には「ポジショニング学派」と「リソース学派」という大きな2つの潮流がありますが、その観点で考えたわけです。ポジショニング学派は、マイケル・ポーターに代表されるような、「自分がエントリーする市場において、どう独自の価値があり、競合と差別化されたポジションを確保するのか」と考えるアプローチですね。それに対して、リソース学派は、「どのようにして競合が模倣できない、価値ある独自の資源を構築するか」という風に考えるアプローチです。これをキャリアに当てはめて、「人生の序盤戦で培ったリソース(経験や貯金)」を元に、「どんなリソースを足せば次の展開が見えるか」を、「市場でどう、独自のポジションを取るか」をにらみながら考えた、というわけです。

まず、アカデミック市場におけるポジショニングを考える上では、2012年の夏に行った、ある海外学会での経験が大きく影響しました。修士論文でやった研究をもとに、当時の指導教官(が、その後の博士課程の指導教官にもなるわけですが)だった、Dr. Hyun-Jung Leeと一緒に学会論文を書き、それをAcademy of International Businessの学会に応募したのです。これが無事採択されまして、幸いリクルートから仕事として学会に出張してきてよし、という寛大なサポートももらえましたのでワシントンDCに出張し、初の学会発表に挑んだのでした。その際に、自分の研究に対する他の研究者からの質問やコメントに返答したり、他の研究者の発表に質問やコメントをしたりするなかで、「結構通用するな」という実感がありました。自分の英語でも通用する、また、中身についても研究者同士の議論にちゃんと入っていける、ということです。

そこから、社会人人生の序盤戦で培った「日本での人事、組織に関する実務経験」というリソースに、「英語で研究し、授業ができる」というリソースを組み合わせれば、それなりに独自のポジションを取りに行けるのでは?と考えたわけです。

日本の大学全体は上述の通り、少子高齢化で大学生人数が減りますから、かなり厳しい市場です。国としての研究予算も先細りがちだし。一方で、ビジネススクールだけみると、企業向けの幹部(候補)教育のジャンルは大にぎわいです。幹部候補をグローバル競争の中で活躍できる人材にどう育てるか、というのは、重要なテーマになっており、海外の大学とのネットワークをもとに、国際的な教員チームでその課題に応えられる国内のビジネススクールに企業からのニーズが集まっているのです。リクルート在籍中に、某有名私大のビジネススクールでそういう案件を企画実行するポジションのお誘いをいただいたこともあり、ニーズを実感してました。

ただ、正直言って、国内の市場を超えた、海外の市場がどうなのか、というのは考えてませんでした。今から後知恵で考えると、新興国に目を向ければ、高等教育のニーズは拡大基調です(若者が多いのと、大学進学率が上がっているので)。一方、博士課程卒業者は増え続けているので、「拡大基調ではあるものの、競争が過酷」な市場だと言えそうです(これについては、過酷なアカポス(アカデミックポスト)市場の現状と、そこでの就職活動の実態で詳しく書きました)。まあ、こちらについては、「海外の一流大学でPhDとっておけば、何か道が開けるんじゃないか」くらいの妄想で突き進んだ、と言っていいでしょう。まあ、結果的には、現状だけ見ればうまくいっている感じですが・・・・

加えて、リソースという観点では、知り合いのつてをたどって、一ッ橋大学や慶応大学、早稲田大学の教員に何人かお会いし、実際問題、40歳手前から博士をやるって通用するのか、また、やるなら海外がいいのか日本がいいのかなどをヒアリングしました。

この過程で、実務家からPhDをとりアカデミックに転身をする過程にいた先達にお会いできたことは、今考えると、実にラッキーでした。早稲田大学ビジネススクールの池上教授(僕がお会いした当時は准教授で、一ッ橋で博士課程中でした)や、同志社大学の客員教授でフランス国立労働経済社会研究所客員研究員もやっておられる山内麻里さん(当時、慶応大学で博士取得された直後)などは、今でも研究やキャリア選択について時々お話しする機会があり、博士課程を始める前のタイミングでご縁が作れたのは、実に運が良かったな、と今、振り返ると思います。この方々にお会いして、なるほど、実際にやっている人もいるのね、というのが見えてきました。

また、日本と海外の大学どちらがいいか、という点については、「日本の大学はかなりフレキシブルにやれるので、働きながらPhDを取得可能」が、「海外大学ではそうはいかないが、アカデミックなトレーニングという面での質は高い」ということです。特に、データを集め、分析する、という部分のスキルに関しては、欧米の博士課程の訓練を受けたほうが有利だろう、ということでした。また、「実際に就職することを考えたら、卒業までに論文を学会誌に発表しておく」ことが重要である、という今考えると非常に重要なアドバイスももらいました。

これらの情報を元に、海外でのアカデミックキャリアも視野に、欧米のトップスクールの博士課程に応募する、そこできちっと訓練を受けて、論文もその間に発表する、という具体的な方針が定まりました(結果的に、博士進学前から論文執筆に取り組んで、無事博士課程2年目に、国際ジャーナルに論文を発表できたのは、その後の就職活動で重要なリソースになりました)。その上で、いろんな大学に出願し、結果的に古巣のLSEだけで合格がもらえたので、LSEに進学することにしたわけです(アメリカなどの他の応募は全滅でした)。

もちろん、会社を辞めて海外へ、というのは、資金面ではかなりタフな選択でした。幸い、リクルートでの持株を売却したお金や、早期退職金の資金が期待できたので、よし、これは一発賭けてみよう、という決意に至ったわけです(実際には、幸い、何社かのお客さんからお声がけをいただいて、個人でコンサルティングの仕事を一部続けることもできたので、それもかなり資金面での支えになりました)。

 

と、いうところで、長くなりましたが第1弾はここまでにします。第2弾では、なぜ中国交通大学にしたのか、という部分についてまとめておこうと思います。