経営・組織理論を考える(5)なぜ組織はお互いに似ているのか?

戦略論を勉強した方には、「企業は、他の企業と違うことをやらないといけない」というのはほ、おなじみの考え方だと思います。

マイケル・ポーターの3つの基本戦略で議論されているのは

  • 差別化 - 他社よりも高い価値の商品・サービスをプレミアム価格で提供する
  • コスト優位 - 他社よりも低いコストのオペレーションを行い、低価格で勝負する
  • 集中 - 独自の市場セグメントに集中する

の3つですが、これらはいずれも、「他社と同じことをやっていても儲からない」という発想が基礎になっています。

また、ジェイ・バーニーが発展させた資源ベースの戦略論の立場からは、ビジネス活動を通じて利益を得るためには、企業は

  • 独自の価値があり、
  • 希少で(=他社が持っていない)
  • 模倣困難な(他社がコピーできない)資源を、
  • 組織的に活用する

・・・ことが必要であると言うことになります。いずれも、「異なることをやる」のが戦略の基礎である、と言うことになります。

しかし、現実に存在する企業の組織のあり方を眺めてみると、まったく異なる光景が浮かび上がってきます。

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どの組織も実に「似ている」

組織構造は基本的に「ピラミッド構造」になっており、その分け方も機能別、事業別、地域別部門のいずれか、あるいはその合わせ技(マトリックス組織)くらいでありまして、この原則に合わない構造の企業を見ることはほとんどありません(コンサルティングなどの問題解決の専門家からなる組織はプロジェクト制なので少し例外ですが、それでもたいていの場合インダストリー×プラクティス、というマトリックス構造になっており、組織は階層化されています)

こうした公式の構造に加えて、組織の中で行われている活動の様子を見ても、頻繁に行う活動をルーティン化した業務プロセスが決まっており、それに伴うフォーマットやルールがあり、業務用の情報システムに落とし込まれている、というところは多くの企業で類似です。

もっとソフトな部分だと、例えば多くの企業にミッション、ビジョン、バリューのような理念的なものが定められていて、人事制度も等級制度、評価制度、報酬制度があって、研修を含む各種育成の仕組みがある、と言った部分もそっくりです

もちろん、中身を見ると企業の独自性があるのですが、一歩引いてみると、皆、似ているのです。世界中のビジネスパーソンが「異なることをやるのが大事だ」という戦略論の考え方を学んでいるはずなのに、組織同士はある意味、とてもよく似ている。

これは何故でしょうか?

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回答(1):「そういう構造が効率的だから」

この回答の理論的基盤は、ドイツ人社会学者マックス・ウェーバーによって提唱された「官僚制(bureaucracy)」の考え方にあります。

「官僚制」と言うと、どうもあまりいいイメージがありませんが、マックス・ウェーバーが主張したのは、「国王や有力貴族の恣意的な判断」や「身分」によって政府が運営されていた貴族制のシステムに比べると、「身分やコネクションにかかわらず登用された官僚がルールに基づいて政府を取り仕切る」官僚制は非常に効率が良い、と言うことです。ウェーバーが考える官僚制の条件は以下のようなものです。

  • 階層化構造
  • 公式な意思決定ライン
  • 組織的な分業 → 部門ごとの担当業務の明確化
  • 意思決定の権限をルールによる定義する(誰が何を決めていいか、を明文化)
  • 業務のルーティン化
  • 専門的なトレーニングの実施
  • 組織的な個人の能力の評価と、能力に応じた登用

こうした仕組みは大規模で複雑な業務を効率的、安定的に運営する上では非常に有効です。ルールによって個人の恣意が入る余地を制限し、なおかつ、専門分化によって専門性を高めることができます。また、下位階層で処理できない問題のみを順次上の階層に繰り上げていく、というルールによってそれぞれの階層が自分の取り扱うべき問題に集中できる、と言うわけです。

ですから、多くの企業がこういった考え方で組織を作っているのは合理的だ、と言えます。言い換えれば、組織づくりには原理原則があり、合理的に考える経営者はそれに基づいて組織づくりをする、それゆえに組織はお互いに似通っていく、というわけです。

一方、官僚制を徹底しすぎると、ルールと構造がどんどん重たくなっていき、環境がどんどん変化したり、自ら環境に働きかけて変化を起こしていく、といったダイナミックな組織活動には向かなくなります。「大企業病」というのはまさにこの問題を指した言葉ですね。

とはいえ、ある程度、組織が大きくなってくると、程度の差こそあれ官僚制的な仕組みを取り入れないと効率が悪くてしょうがない、と言うのも現実であります。そのため、官僚制をベースに起きつつ、その問題を解決するための様々な打ち手が探求されている、というのが、組織論の発展の歴史、とも言えるでしょう。

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回答(2):「効果的でない企業は淘汰されるから」

2つ目の回答は、マイケル・ハノンとジョン・フリーマンが生物学の進化論に刺激を受けて提唱した「組織生態系理論(organizational ecology)」に基づくものです。

彼らは、組織がお互いに似ている理由は、市場における淘汰が起きているからだ、と主張します。

  • 企業が、様々な構造を試したり、制度を導入したりすることによって、組織形態は多様化していく
  • それらの企業は、市場での競争を通じて淘汰のプレッシャーにさらされる。言いかえれば、相対的に効率的、効果的な企業が生き残り、そうではない企業は退場する(廃業したり、吸収合併されたり)
  • 多様な構造や制度のうち、もっとも効率的、効果的なものを備えた企業が生き残るので、結果的に生き残った企業を観察すると、似通っているように見える

というロジックです。

生物学には「収斂進化」という考え方があります。

  • イルカは哺乳類、サメは魚類で、生物学的には全く別々の経路をたどって進化したのにお互いに形がとても似ている。
  • コウモリは哺乳類、中生代の翼竜は爬虫類の仲間(ジュラシックパークとかで空を飛んでるあれです)なのに、骨の構造だけ見れば鳥と似てる。

こうした現象を、「生物は、生きている環境での生き残りに向いた形に進化していくので、同じような環境で生活している生物はお互いに形態が似ていく」というロジックで説明する考え方です。イルカとサメであれば、水の中で効果的に魚を食べて生きていこうとしたら体は流線型なのが効率的だし、コウモリ、翼竜、鳥であれば、空を飛び回ろうとしたら、軽い体で翼を大きく面がとれるようになっているほうが良い、ということになります。

マイケル・ハノンとジョン・フリーマンが提唱した上記のロジックは、これと非常に似ていますね。特定のビジネス環境で有利な組織のあり方はある程度決まっていて、それに当てはまる組織が生き残る、というわけです。

さらに、この理論の面白いところは、グローバル化や技術の変化によって産業構造が変化する際に、新たなプレイヤーが急激に勢力を伸ばす一方、その変化に適応できない企業が退場を余儀なくされるといった現象も説明できる点にあります。環境が変われば、それに適した企業のあり方も変わる、というわけですね。

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回答(3):「社会的プレッシャーがあるから」

 

この「淘汰」に基づく説明は、非常に面白いのですが、一つ弱点があります。それは、企業が自らを改革する(滅びる前に自らを作り変える)ということを、否定している点です。「組織には慣性があり、多くの改革努力が失敗する」ということを考えると、あながち否定できないところもあるわけですが、とはいえ、多少無理のある前提だと言わざるをえません。

一方で、1つ目の「官僚制」を基にした説明は、企業経営者が主体的に合理的な意思決定をする存在だ、ということが暗黙的な前提になっています。「効率的、効果的な構造や仕組みを経営者が導入する結果、企業がお互いに似ていく」というわけですから。

しかし、この前提は必ずしも正しくありません。多くの企業が「右へ倣え」で同じような仕組みを(本当にそれが効率的、効果的かどうか分からないのに)一斉に導入する、といった現象が存在するからです。

例えば、2000年代には多くの日本企業がいわゆる「成果主義」人事を導入しましたが、その時点では成果主義人事が日本でうまく効果的に機能するかについての評価は固まっておらず、様々な批判もありました。そんな中で、「これからは成果主義だ」と唱えた経営者を駆り立てたものはなんだったのでしょうか?

こうした点について、ウェーバーとはまったく異なる観点から説明を行ったのが、ポール・ディマジオと、ウォルター・パウエルらによる、「新制度主義(new institutionalism)」です。

制度と言うと、一般的には企業の中の人事制度などの仕組みを想定しますが、ここでいう「制度」とは、「社会で広く受け入れられ、当然のことだと考えられている慣行、ルール」のことを指しています。ディマジオ&パウエルの主張のポイントは、「こうした制度によって生じる社会的プレッシャーによって組織はお互いに似ていくのである」と主張しました。

  1. 成功している(高業績をあげている)企業で用いられている構造や制度は、それだけで「正しいものだ」と認知されやすくなる。そのため、他の企業がそうした企業の構造や制度を模倣するようになる
  2. ある慣行やルールが、一度、社会で広く受けいられると、「それは正当なものだ」という風に受け止められるようになる。それによって、「それを導入する」ことに対してお墨付きが得られ、逆に、「それを導入しない」ことを組織内で説明するのが難しくなる
  3. さらに、ある慣行やルールが、法律や業界標準などの形で公式なルールになると、企業はそれに応じた社内の構造や制度を整備せざるをえなくなる

1つ目の例としては、古くはGE、今で言えばGoogleで行われている人事の仕組みを事例として取り上げて、「わが社でも導入すべきだ」ということがあげられます。「すごい会社がやってる」→「うちもやろう」と考える、という訳です。

2つ目は、1つ目と似ていますが、社会的に広く受け入れられている、と言う点に違いがあります。一昔前のエントリーシートは、これに当たりますね。最初にソニーが導入した時には、全く過去に例がない新しい取り組みだったのですが、その後「当たり前」の仕組みになった結果、「その後の採用工程でどう使うかをあんまり考えずにとにかくエントリーシートを課す」企業が登場し、「面接に行ったら、明らかに面接官がエントリーシートを読んでない質問をしてくる」といった不満が応募者から出るようになりました。まさに、「ある仕組みが社会的な正当性を得ると、効果的かどうかを考えずに導入されるようになってしまう」というわかりやすい例と言えるでしょう。

こうした正当化のプロセスには、コンサルタントやビジネススクールのスター教授など、様々な「識者」が「これがベストプラクティスだ」「これからはこうだ」みたいな主張をすることが重要な役割を負っています(エントリーシートの流行には、リクルートを始めとした採用サービス各社が一役買いました)。流行を作り出すことによって、企業内の担当者がそれに乗っかるお墨付きを与える、というわけです(必ずしも、そういう意図があってやっているとは限らないのですが、結果的にそうなる、というわけです)

3つ目の例としては、コンプライアンスや個人情報保護などが当たりますね。日本でJ-SOX(内部統制に関する規制)が導入されて各社に内部統制の部門ができた、みたいなのは典型的な例です。これも、そもそも法律になるのは「世の中で受け入れられたこと」であることが多い、また、法案が作られるプロセスで、様々な「識者」が政治家に働きかけている、ということを考えれば、2つ目の延長線上にある現象だ、と考えることもできるでしょう。

僕は、1990年代に成果主義が流行った背景には少なからず1つ目と2つ目が関わっていると思います。当時は日本はバブル崩壊後で企業業績が非常に悪く、経営者の間に「日本的なやり方」への自信が失われていた時代です。その結果、アメリカ企業のやり方のほうが「正しい」のではないか、という思いが生まれ、そこに「先進的」な日本企業数社が成果主義導入に踏み切った、と言うニュースが流れたことで、「我が社も」と言う流れができた、と言う訳です。その過程で多くのビジネス機会を得たコンサルファームがたくさんあったことは言うまでもありません。

この、ディマジオとパウエルの主張の面白いところは、そもそも企業による合理的な判断には限界がある、ということを前提にしている点です。そもそも、経営者の手に入る情報は限られるし、世界は様々な存在が互いに影響を与え合う複雑な場である、それゆえに、「手に入る情報」をもとに最大限考えて判断するしかない。そんな中では、「高業績を上げている企業」がやっていることや、権威ある識者が薦めることが意思決定に影響を与えるのは自然なことだ、ともいえるわけです。

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ここから何を学ぶべきか。

1と2が示唆することは「広く見られる組織の構造や仕組みには、一定の合理性がある」ということです。それゆえに(1)多くの企業経営者がそれらを採用している、あるいは、(2)それらを採用した企業が生き残っている、というわけです。

一方、3が示唆することは、「広く見られる、みんなが受け入れている組織の構造や仕組みは、社会的に作り出されたものである」ということになります。本当にそれがどれくらい効果的、効率的かに関わらず、「みんながそれを受け入れる」ことで正当性が生まれ、それを受け入れるプレッシャーが生じるからです。

現実はおそらくこれらの理論の中間にあります。いずれもある程度正しいし、いずれも完全には世界を説明しきっていない、というわけです(社会科学の理論はたいていそんな感じです)。

変化が続く現代の社会において組織運営を行っている経営者や管理職の方々にとってのこれらの理論からの示唆は、「多くの企業が採用している組織のあり方には一定の合理性がある(1)」一方で、「環境が変化したら、それに合った組織のあり方や運営の仕方も変わる(2)」。しかし、「世の中で喧伝されている『これからはこれだ』が本当に自社にとって効果的、効率的かどうかはわからない(3)」ということですね。

「だからどうしろって言うのよ」というツッコミが聞こえてきますが、上でも述べたように、社会科学の理論はあくまでも社会の一側面を切り取って説明するもので、あらゆる場面に当てはまる普遍の法則ではありません。なので、自社の置かれた状況を分析し、判断をするための「思考の道具」として「今この場面に当てはまるのはどれなのか」という風に使っていただくのが良いかと思います。

 

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「適切な離職率の水準ってあるの?」という問いへの組織論研究からの(現時点での)回答。

昨今、労働市場の活況を受けて離職率が高まっている、という問題意識を日本の大企業の方からも聞くようになりました。

ただ、詳しく聞いてみると「働き盛りの層が何人か最近辞めた」といった話で、僕の感覚からすると「いやいや、全然それは離職率高いとは言わないです」という風になったりするのですが(リクルート→イギリス→中国のため、相場観が高止まりしてます)。とはいえ、「今までは全くと言っていいほど辞めなかった」という感覚をお持ちの人事の皆さんにとっては、危機感が湧く状態なのでしょう。

一方で、「離職率が低いのは、企業として新陳代謝が進んでいないことの表れである。むしろ、一定レベルの離職があったほうが良い」というような主張も存在します。ちょうど昨日、フェースブック経由でジーンクエストというバイオベンチャーの経営者の高橋さんのブログを拝見しました(以下、リンク先からの引用。強調は原文より)。

勤続年数の長さを誇る組織は、体の細胞の入れ替わりのなさを個人の体が誇っているようなもので、これまで話してきた非連続性の創出ができていないということになります。
特にベンチャーだと、成長する過程で幹部人材やメンバーの入れ替わりが起こることはよくありますが、生命の誕生から成長の過程では、そのステージによって必要な細胞が変わっていくことは自然なことで、逆に必要な細胞が入れ替わらないと成長することができません

このブログ記事は、生命論の観点から組織について考察していて、離職に関するところ以外にも色々と興味深いです。

しかし、離職率に関しては、最近の組織論研究からの知見に基づくと、

「会社にとって、離職率がある程度あったほうがいい」という主張は、
一般的な原則としては成り立たない

というのが、現時点の回答になります。

(ちなみに「一般的な原則としては」という部分が大切でして、これが当てはまらない状況は色々考えられます(追記:上記のブログの主題であるベンチャーはおそらくまさにそれにあたるかと)。スカッとしませんが、組織現象というのは大抵そうです)。

と、いうわけで、ここでは、まず、離職率と組織のパフォーマンスの関係に関する理論について紹介した上で、実証研究から何がわかっているか、について紹介して、最後に「一般的な原則」が当てはまらない状況について考察しようと思います。

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理論的な観点

離職が組織パフォーマンスに与える影響に関する研究には長い歴史があるのですが、大雑把にまとめてしまうと主張としては二つ。

一つは、「離職はパフォーマンスを下げる」というもの。例えば、

  • 人材が流出することで、その人材が持つスキルや知識、経験(=ヒューマンキャピタル)と、その人の社内外のネットワーク(=ソーシャルキャピタル)が失われる
  • それらが失われることで、組織の機能状況が低下し、パフォーマンスに悪影響が出る

という理論です。

組織の中で個人が機能するためには、汎用的な技術やスキルに加えて、その会社のルールや仕事のやり方を学習し、社内外の人脈をもっていることが必要です。そして、そうやって機能する状態になった人が抜けてしまうと、その穴をふさぐ労力を誰かが投じる必要があるわけです。それにともなって、一定の混乱が生じることは避けられない。そうした「穴が空く」頻度が高いほど、円滑な組織活動に与えるダメージは大きくなる、というわけです。

このロジックに対しては当然のことながら、「それって辞めるのが誰かによるよね」という反論がありえます。「組織内であんまり機能していない人材」がいなくなっても害は小さいのでは?さらに言えば、「いるだけで周りに害を及ぼす」ような人だっている。

こうした考えを元に提唱されたのが二つ目の理論的主張、「一定水準の離職はむしろ組織パフォーマンスを高める」というものです。この派の論者は、離職が生じることによって

  • 無駄な給与を払わなくて良くなる
  • 新しい人が代わりに加わることで、組織が活性化する
  • 組織にフィットしない人材を退社することができる

などのメリットがある、そして、

  • 離職率が低いうちは、これらのメリットが離職のデメリットを上回る。
  • そのため、ある程度の水準までであれば、離職率が上がることは組織パフォーマンスにプラスに働く

と主張します。もちろん、離職率が高くなりすぎると、デメリットがこれらのメリットを上回ってしまいます。そのため、このロジックに基づくと、離職率と組織パフォーマンスの関係は逆U字カーブを描くはずだ、ということになります。

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実証研究からの示唆

こうした議論を元に、実際のところどうなの?ということを確認するための実証研究がたくさん行われています。当然、研究によってサンプルや時期、環境が異なるため、結果は必ずしも一貫しません。一つ目の主張を支持する研究もあれば、二つ目の主張を支持する研究もあります。

ここでは、これらの結果を一つ一つご紹介する代わりに、2013年に発表された、Tae-Youn ParkとJason D. Shawによる104本の論文を元にしたメタアナリシスの結果をご紹介します。メタアナリシスとは、これら数多ある研究の結果を統計的に統合、再分析する手法で、そこから導き出される結果は、個別の研究の行われた状況を超えた、普遍的、横断的な傾向だ、と言えます。

また、一般的に離職と言えば自主的離職(個人が自分から辞める)ですが、この研究では、「組織による解雇」と「ダウンサイジングによる解雇」(組織による解雇に似ているが、解雇のあと、ポジションを埋めるための採用が行われない点が異なる)も広い意味での離職と見なして、これらについても分析を行っています。

この研究からの主なポイントをまとめると以下の5点。

  1. トータル離職率(上記3つの種類の離職のトータル)が高いほど、組織パフォーマンスは下がる傾向がある
  2. この傾向は、パフォーマンス指標の種類(従業員生産性、顧客満足度、財務業績等)にかかわらず一貫している。
  3. 離職の要因別にみると、「自主的離職」「ダウンサイジングよる解雇」はパフォーマンスにネガティブな影響がある一方、「組織による解雇」がパフォーマンスに与える影響はプラスでもマイナスでもない(統計的に有意ではない)
  4. トータル離職率、自主的離職率については、離職率の水準が高いほど、離職率と組織パフォーマンスとのマイナスの相関が大きくなる傾向が見られる(→加速度的にネガティブな影響が大きくなる)
  5. 離職率のパフォーマンスへのマイナスの影響は、総じて組織の規模が小さいほど大きい

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これらの分析結果で最も重要なポイントは、上記で述べた一つ目の理論的主張である「離職はパフォーマンスを下げる」が支持され、二つ目の「一定水準の離職はむしろ組織パフォーマンスを高める」は支持されなかった、ということです。これを言い換えると、冒頭で述べた通り、

「会社にとって、離職率がある程度あったほうがいい」という主張は、
一般的な原則としては成り立たない

ということになります。

上記で紹介したPark & Shaw論文は、相当な数の研究を束ねた再分析のため、ある種、これで離職率とパフォーマンスの関係をめぐる論争については一旦の決着がついた、と見ていいんじゃないかな、と僕は思っています(もちろん、今後さらにここを起点に新しい研究が行われるはずですから、さらなる発見が期待されるわけですが)。

ですから、「一定の人数が辞めたほうがいいのだ」「新陳代謝を促す人事制度上の仕組みがあったほうがいい」といったアドバイスを耳にしたら、「何を根拠に言ってます?」「それってどんな状況の場合の話ですか?」と確認してみるべきです。上記の5を考えると、小規模な組織の経営者や人事の方は特にそうですね。

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もう一つ興味深いのは「組織による解雇」とパフォーマンスとの関係がプラスではなかった、という点です。一般的に考えれば「組織による解雇」は「貢献度が低かったり、組織に害を与える人材を解雇し、代わりに、もっと組織活動に合致した人を採用する」ということですから、理屈上は、組織パフォーマンスに貢献しそうです。

しかし、メタアナリシスからは、組織による解雇は組織パフォーマンスに必ずしもプラスの影響を与えない、という結果になっています。これはなぜでしょうか?

考えられる要因としては、「必ずしも、解雇した人より優秀な人を採用できるとは限らない」「新たに採用した人が、組織にうまく馴染んで成果を上げてくれるとは限らない」などがあります。人事に関わっている方々には実感があると思いますが、いい人を惹きつけ、見極め、採用するのは難しい。そして、せっかく苦労して採用してしまった人も、活躍するとは限らない。「活躍していない人を解雇して、もっと活躍できそうな人でリプレースしよう」というのは、捕らぬ狸の皮算用かもしれない、ということです。

とは言え、解雇が組織パフォーマンスにマイナスの影響を持っているわけではないということからは、

個人に自発的に辞められるよりも、組織として合わない人に辞めていただくような働きかけをする方が、組織にとってはダメージが少ない

というのは重要な示唆だと言えるでしょう。

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「一般的な原則」を超えて

しかし、最後に一つ、重要な「ただし」があります。

上記でも繰り返し書きましたが、これらの結果は多くの状況をおしなべて俯瞰したときに得られる「一般的な傾向」です。組織論に限らず社会科学の研究は(物理などの自然科学と同じように)一般的、普遍的に通用する法則を見出そう、ということに関心があり、メタアナリシスはその最たるものです。

これを裏返すと、こうした傾向が当てはまらない「特殊な状況」というのも存在するかもしれない(というか、存在するだろう)、ということが言えます。

例えば、ベンチャー企業などでよくあるように、戦略的なピボットを行って、その結果「今までと断絶した活動を行う、そのためには今まで社内にあったスキルや知識、経験があんまり役に立たなくなる、逆に、全然違うスキルや知識、経験が必要になる」といった状況では、離職のパフォーマンスへの影響があろうがなかろうが、人を入れ替える必要性が一定数生じるはずです。いま、パフォーマンスをあげていない活動の遂行にダメージがあったところでそれは問題では無いわけですし。頭で紹介したブログからの引用にあった通り、経営のステージが変わる場合も、似たようなことがあるかもしれません。

そもそも、ベンチャー企業はおそらくあんまり「離職率とパフォーマンスの関係」を分析する研究の対象にならないと推測されますしね(新しい事業を生み出す段階の企業では、離職率以外にパフォーマンスに影響を与えそうな要因が山ほどあるので)。

また、個別の人のレベルで、「自身が組織に貢献しないだけでなく、周囲の人材に悪影響を与えるなど、組織に害のある人」というのも存在しますよね。そういう人は、解雇することによって一時的に混乱が生じたとしても、解雇したほうが良いのかもしれません。

このように、様々な「特殊な状況」が考えられるということも念頭に、参考にしていただけると幸いです。

参考文献:
Park, T., & Shaw, J. D. (2013). Turnover Rates and Organizational Performance: A Meta-Analysis. Journal of Applied Psychology, 98(2), 268-309.