世の中は交換で回っている。

私の専門は組織論、人材マネジメント論、国際経営論なわけですが、その中でも博士論文の研究は組織論の領域でやっています。

組織論というのは、正確に言うと組織行動論、英語で書くとOrganisational Behaviourでして、主に個人やチームの組織内における振る舞いについて研究する領域です。

その中でも私が特に研究しているテーマは、ざっくり言うと「なぜ組織において人は他の人を助けるのか」ということです。特に、「これまで関わったことのない、あまり良く知らない相手であっても助ける」という行為がなぜ、どういう条件があれば生じるのか、ということについて研究をしています。

で、この問いについて、「社会的交換理論 (social exchange theory)」という考え方を使ってアプローチをしてます。これは、組織論のみならず、経営学の中で非常に広く使われている理論の枠組みでして、単純に言うと、「人と人との関わりを、資源の交換、というふうに捉えて分析をする」というものです。これは実にパワフルな枠組みでして、個人と個人の間、あるいは個人と組織の間で起きる、幅広い事象がこの理論で説明できます。

と、いうわけで、この「交換」という枠組みについて、何回かブログを書いていこうと思います。そのうち、私の研究の中身についてもご紹介すると思います。

 


世の中は「交換」で回っている


 

さて、いきなり交換と言われてもわけがわかりませんから、いくつか例を挙げます。まずは、上司と部下の関係で考えてみましょう。基本になるのは、上司が面倒を見てくれたら、部下は上司のために頑張ろうと思う、という関係です。

上司が部下のためにできることは様々にあります。例えば、信頼し、期待をかける、チャレンジングな課題を設定する、部下の志向を踏まえて業務をアサインする、部下が業務に行き詰まったら手を差し伸べる、あえて厳しく向き合うことで壁を乗り越えるように促す、明確に方針を示す、部下が自分の考えを述べる機会を作る、などです。

過去の研究からは、

「上司は自分のことを理解してくれていて、自分に必要な機会を与えてくれる。また、必要な場面では助けてくれる」

と感じている部下は、総じて、上司のために一肌脱ごうとする、ということがわかっています。担当業務のパフォーマンスが上がるだけでなく、職場の仲間に情報共有をしたり、仲間が困っていたら助けるなど、上司が責任を持っているチームに貢献する行動をとるようになるのです。この傾向は様々な国で見つかっており、ほぼ世界共通ではないか、と考えられています。

同様の傾向は、組織と個人の間でも見られます。

「自分の組織は、自分が力を発揮できるよう、様々な支援を提供してくれている。また、組織は、必要に応じて自分のことを助けてくれる。」

と思っている人は、組織へのコミットメントが高く、離職意向が低下する傾向が低い傾向があります。また、担当業務のパフォーマンスが高いだけでなく、組織のために自分の仕事の範囲を超えて一歩踏み出した行動をとる、ということが知られています。例えば、「組織の社会からの評判に影響を与えそうな問題があったらそれを指摘する」とか、「組織について否定的な発言をする人を諌める」などですね。

興味深いのは、「上司との関係性」は上司に対する行動や、職場でのパフォーマンスに影響する一方で、「組織との関係性」は、組織のための貢献や、離職意向(の低下)に影響する、ということです。つまり、人間は「上司」「組織」というふうに相手を識別して、それぞれから受け取った恩に対して、相手にとってメリットがある行動をとることで報いる、という傾向がある、ということです。

さらに言えば、こうした関係は日常の同僚の間や、営業担当と顧客との間でもよく見られることです。

日常的に、自分にとって役立つ情報を共有してくれる人材は、同僚から信頼され、いざとなった時には、周りから助けが得られたりします。

また、営業担当と顧客の間の関係で考えると、顧客からの問いあわせに、いつも期待以上の答えを迅速に返している営業担当者や、顧客から言われたままの提案をするのではなく、顧客企業の状況を考えて、一歩先を行く提案を考えるようにしている営業担当者は、得てして顧客から支持され、結果的に大きなビジネスの機会を得やすくなったりします。

このように、世の中のさまざまな人と人、人と組織のつながりは、「交換」という枠組みで捉えると、非常によく説明がつくのです。

ここで重要な点は、交換しているのは必ずしも、経済的に価値のあるモノに限らない、ということです。また、何らかの具体的な行動だけでなく、態度や姿勢、配慮、敬意といったものも交換の対象になります。「人と人との社会的なつながりの中で価値がある」モノやコトが、幅ひろく交換の対象になるのです。そのため、この理論は「社会的交換理論」と呼ばれているのです。

もちろん、組織の例をあげましたが、交換が成り立つのは組織内の関係に限りません。恋人や夫婦、家族、地域での関わりなど、幅広い人間関係が交換で説明がつく、という研究が存在します。

次回は、この交換が破綻すると何が起きるか、について紹介します。

 

トランプ政権の減税案を国際ビジネスの観点で考えると、実はすごいのでは。

トランプ政権からかなり大胆な減税策が出ましたね。

米大統領は「レパトリ税」10%提案へ、パススルー減税も-当局者

Newspicksでもそれなりにコメントが盛り上がってます。173pickですからそこそこ注目を集めたニュースと言っていいかと思います。

もちろん、詳細がどうなるか、これが議会を通過するか、については未知数なわけで、現状で実際にどうなるか、確たることはなかなか言えません。ただ、これがなんなのか、ということを考えておくことは重要です。Newspicksのコメントでも書いたんですが、これは国際ビジネスの観点から意味を捉えると、かなりのインパクトがある政策であるように思われるのです。単に企業の税負担が減る、と言う話ではないのです。

国際経営のファイナンス面は僕は専門ではありませんが、僕の目から見て考えられることをこの機会にまとめておこうと思います。

端的に言えば、アメリカのグローバル企業(と、アメリカに金融面での統括拠点を持つ企業)にとっては経営上の自由度が大幅に上がる、と言うことだと考えられます。

いろいろ興味深い内容があるのですが、特に興味深いのはリパトリエーション税(他国で企業が上げた利益をアメリカに持ち込む際にかかる税金)の大幅減税(35%→10%)です。

多国籍企業の経営者の視点から見て、これが何を意味するのかというと、利益をグローバルに再投資しやすくなる、ということです。海外拠点で上がった利益をアメリカに持っていく際にとられる税金が大幅に減ることで、これまでだったら課税を避けるために海外拠点に留保していた利益を本社に移して、他の拠点に再投資したり、本社での活動に投資したりできるわけです。いわゆる、事業ポートフォリオ管理の観点から考えると、機動的に、アメリカをハブにして現在利益が上がっている拠点からこれから投資が必要な拠点に資源を移転できるのは、国際経営上、明らかにメリットがあると思われます。

Newspicksのコメントでは10%も取られるんだったら借金したほうが安いという話がありましたが、資金を有効に使っているか、と言う点で株主の厳しい評価を受けるアメリカの経営者はそういう発想はしにくいのではないでしょうか。手元現金を余らせていると、あっという間に自社株買いで株主に還元しろ、と言うプレッシャーが上がってくる環境のようですし。

さらに、財政という観点で見ると、世界各国で上がった利益をアメリカをハブにして他国に再投資する、という動きが増えれば、アメリカは自国内で創出されたのではない利益が自国を通り抜けることに対して課税できることになるわけで、税率は下がっても、実質的に税収はそれほど減らないかもしれないですね。

これを、大幅に税率を下げる→税収が減る、と言うふうに考えるのは短絡過ぎます。

これまではアメリカをハブに使ってこなかった他国の多国籍企業もアメリカをハブにするかもしれないわけで。お金の流れ自体が変わりうることまで想定して評価する必要がある、それくらいのインパクトのある政策ではないかと思います。

また、記事にもある通りアメリカに動かした利益の一部は、アメリカ国内での研究開発投資とかにも使われるでしょう。結果、グローバルの財務を統括するためだったり、研究開発のための知識労働者の雇用にもプラスの影響があるかもしれないですね。

と、いうことで、グローバル化した企業活動を念頭に考えればとても賢い税制のように見えます。

逆に、他の国の観点からいえば、アメリカに本社(や統括拠点)をおく企業が利益を持ち出してしまう(ことで、自国の税収が減る)わけで、それを防ぐために、他の国も税制を変えるプレッシャーにさらされることになるかもしれませんね。

また、これまで金融のハブとして得をしてきた国も動かざるをえないでしょう。実際、シンガポールを拠点に国際経営のアドバイザリーをやっている友人によると、シンガポールは間違いなく対抗して動くでしょう、とのことですので、当面、国際的な資金の流れをめぐる税制は要注目、になりそうです。

テクノロジーと教育の未来

先日から気になっていた、日本でのエドテック(Education + Tech)の取り組みの事例を友人がFacebookで共有していたので見たのですが。
これマジで面白いです。今の学生が羨ましい。
要するに、集合教育で教えても結局は個人ごとに引っかかるポイントは違い、そこを解決しないと学びにならないわけで。だとすれば、そこを把握した上で個別にフォローできるAIを使って、個人ごとに学べば、学習速度を加速できるんじゃないか、という話です。
1学年分の学習が32時間で終わるとすると、結構すごいですよね。数学の授業が一体、中高の時に何分あったのかはわかりませんが、記事上だと7倍の学習スピードって書いてありますから、200時間くらい使ってたってことになりますね。確かに授業と宿題を全部合わせたらそれくらいやってたかもしれません。
 
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(出典:ホウドウキョク https://www.houdoukyoku.jp/posts/9628)
じゃあ、全部AI任せでいいのか、というともちろんそうではないわけで。神野氏は「なぜ勉強をするのかなど子どもたちの悩みをケアすることは、いまのテクノロジーはできません。」と語っており、記事中でも「ティーチングはAI、心のケアは先生」というふうにキャッチが入ってます。
確かに、「意味形成」は、先日のポスト(データとサイエンスの話)で書いた「仮説形成」と並んで、AIが進化しても当面は人間に残される重要な役割になりそうです。意味は、感情や記憶と複雑に関連していて、対話や内省などを通じて作り上げられることが多いものなので、(今のAIのやれることを考えると)人間が関わった方がうまくいくことが多そうです。
ところで少し脱線しますが、HRテックの文脈で、組織のマネジメントについて「人間のマネジャーの判断はバイアスや思い込みに左右されて精度が悪いので、AIの判断を活用すべきだ」と言う議論がありますよね。確かにそうだな、と思う部分もある一方で、「仕事の価値」や「仕事の意味」を作り出す、という面でのマネジメントの仕事はなくなるどころか、ますます重要になるのは間違いないと思います。もちろんそういうことをやってないマネジャーが世の中に結構いる、というのは否定しませんが・・・(完全に余談ですが、上記のようなことを言う人は、きちんと意味や価値を語りあえる管理職に会ったことがない残念な社会人人生を送ってきたのでは?と邪推してしまったりします。ま、いらないお世話ですね)
さて本題に戻ります。この、心のケアは先生が、というくだりを読んでて、昔新卒で某アクセンチュア社(いや、当時はアンダーセンコンサルティングでしたね)を受けた時のことを思い出しました。グループディスカッションで、
ITが進化して個人がバーチャルで学べるようになった時に学校は必要か
みたいなお題が出たのです。1997年、20年近く前の話ですから、今考えてもいいお題です。
当時の僕は、「知育・徳育・体育」というフレームワークを提案して、「知育はITで結構できるけど、徳育は集団で過ごすこと、体育は実際に体を動かすことが必要だから、学校はそれでも必要なんじゃないか」みたいな意見を言った記憶があります。自分でも「これはいいアイデアだ」と思った記憶があるので、さぞかし感じ悪いドヤ顔をしてたことでしょう。
ただ、今考えてみると結構浅いです。
もちろん徳育と体育は重要です。特に上記のような「意味」を見出すための対話は、とても重要でしょう。が、「知育」の観点でそれと並んで大事なのは、学んだ知識を使って身の回りで起きている現象を理解したり、問題を解決をする方法を学ぶこと、つまり知識の活用方法を学ぶことではなかろうかと思います。結局のところ、生きていく上で重要なのは、学校で成績がいいことではなくて、そこで得た知識を使って、世界や社会を理解し、問題を解決していくことなので。そして、こういう応用とか解釈と言った部分は、複数の観点をぶつけ合うことが役に立つこともあるので(もちろん個人で考え抜くことも大事ですが)、学校のような、集団で学ぶ場の肝はこっちにあるのではないかと思うわけです。
この点はLSEの授業でも感じている問題点でして。正直言って、大学のレクチャーで知識を教える部分の価値は非常に低いです。というのも、結局のところ、リーディングの課題に指定されている論文を読んで、先生のスライドを後からみれば追いつけるからです。そういう意味で、生徒がパソコンでfacebookとかを見て授業をあんまり真面目に聞いていないのは全く責められません。むしろ、そういう受け身の授業携帯よりもはるかに価値が高いのは、
  • 結局この論文で行っていることを現実にあてはめるとどういうことなのか
  • この論文とこの論文のアイデアを組み合わせると何が言えるのか
  • ビジネスの現場でおきるXXX という現象を理解するにはどの理論が使えるか
  • この理論の前提にしていることは何で、どういう状況ではこの理論は通用するけど、
    どういう状況では通用しないのか

みたいな議論を同級生とガチでやることです。なので、できれば知識を学ぶ部分は個人が事前にやって、僕たちが生徒とかかわる時間は、議論を通じた「知識の活用」を演出することに時間を使うべきだと思ってます。そういう意味で、ケース学習やエッセー、グループワークみたいな、アウトプットをさせる課題の設計こそが、ティーチングデザインの本丸です。言い換えると、クラッシックな大部屋でのレクチャーという形態は、もはや終了しつつあるパラダイム、と言えるかもしれません。

ただ悩ましいのは、学生自体が大部屋での授業で教わるのに慣れてる(しかも、それで優秀だった学生がLSEに来る)ので、こういうスタイルに適応してもらうには、学生の期待値を調整して、訓練することが必要だ、ということでしょうか。実際、上記のような議論中心のスタイルが、マスターの生徒から散々な評価を受けていた(一部のビジネス経験の長い生徒からは好評だったのですが)という事例を目の当たりにしたこともありますし。

が、これは過渡期ゆえの問題であり、変化に取り組むか取り組まないか、でいうと後者のオプションはないでしょう。もうそうやって取り組んでる教員もたくさんいますしね。