先日、British Museum(大英博物館)でやっていた、Celt – Art and Identityという企画展に行ってきた。

皆さんは、”ケルト”についてどれくらいご存知だろうか?
展示によれば、最初はギリシャ人が自分たちの文化圏の外側の人々をΚελτοίと読んだのが、歴史上の初の記録らしい。フランスからドナウ川流域まで、かなり幅広い範囲の人たちがこの呼び名で呼ばれていた記録が残っており、明確に特定の民族集団を示す単語ではなかったようである。

ただし、文化の面で、ギリシャやローマに代表される地中海系の工芸品とは異なる系統の美意識を共通して持っていたようで、上の写真にもあるように、螺旋や円を強調した抽象性の強い様式が特徴的な工芸品が多数展示されていた。

この文化は、ローマ帝国の拡大による地中海文化のヨーロッパ全域への展開、また、その後のローマ帝国の崩壊などをへて、いろいろな文化と融合したりしていくのだが、ケルトという言葉自体は、一度完全に忘れられてしまう。

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しかし、面白いのはここからである。現代のイギリス周辺には、自分たちを「ケルト文化の継承者」として認識している人たちが一定数存在するのだ。アイルランド、スコットランド、マン島、(イングランド東部の)コーンウォール、(フランス北西部)のブリタニーなどに住んでいる人たちだ。

この人たちは、どうやって自分たちを「ケルト」だと認識するようになったのだろうか?

実は、この人たちは、遺伝的には共通の集団に属しているわけではなく、かなりバラバラな出自の遺伝集団であることがわかっている。そして、近代にある出来事が起きるまでは、それらの人たちを「ケルト文化群」と考える人もいなかったという。

しかし、これらの地域には、英語やフランス語とは違う、独自の言語が存在し、今でもかなりの人たちがその言語を使っている。そして、それらの言語の間にかなり共通性があることが近代になって言語学的に明らかになったのだ。

そして、それを明らかにした研究者が、ルネッサンス以降に再発見されたギリシャの文献をもとに、「ケルト語群」とこれらの言語を読んだことから、「ケルト」という民族意識の創造が始まる。

自分たちは、イングランド、フランスとは違う、独自の歴史を持つ集団なのだ、という自意識である。

心理学的に言えば、人は誰しも、自分について肯定的に考えたい、という欲求を持っている。そして、自分が属している集団が特別なのだ、価値があるのだ、と思うことは、そうした自己肯定感の礎になる。

ちょうどそれにタイミングを合わせるように、上述のような独自の美意識を持った工芸品がイングランドも含めた様々な場所で発掘され、その様式を模倣したアクセサリーなどが流行することで、「独自の文化を持っていた過去の民族集団がここにいたのだ」というロマンティックなイメージが「ケルト」という言葉に付加されていく。

そして、現在は、Celtic Nationsという言葉が存在する。

Wikipedia – Celtic Nations

ここでさすNationsという言葉は、実際に独立した国を必ずしも指すわけではなく(アイルランドはもちろん独立国だが)、上述の自分たちを「ケルト文化の継承者」と考えている人たちの住む地域を指している。

そして、それらの地域の人たちが集まって、「ケルトの文化」を祝うお祭りが様々に作り出され、実施されている。また、それらの地域間のラグビーリーグのような、スポーツのイベントも実施されている。それらの祭りに参加した人たちは、おそらく、ケルトの伝統を感じ、アイデンティティの一部として抱くようになるだろう。こうして、伝統は再創造され、継承されていく。

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この話は、民族集団としての自意識や、それを支える伝統は、実はかなり流動的なもので、社会的に創造され、維持されるものなのだ、ということを、実に分かりやすく示してくれる。

そういう意味で、今回の展示会は非常に良い機会だった。

我が身を振り返って考えれば、日本人、という自意識が本格的に確立されたのはおそらく明治維新前後だろう。もちろん、日本という国号自体は遥か昔に成立していたようだが、明治に入って標準語が作られ、新聞が広まり、共通の教育が行われるようになるまで、ほとんどの人は、「XX藩の人」あるいは「XX村の人」という自意識がアイデンティティの中核だったのではなかろうか。

日本という国自体は、世界で最も古い国として認識されているようだが、だからと言って、自分たちが今、伝統だと思っていることが、ずっと続いてきたとは限らない。また、人々がずっと、自分のことを日本人だと思って生きてきたわけでは、おそらくない。これからについても同じである。

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