中国と日本では「全てを語らない」コミュニケーションは共通だが、だからと言って、中国人と日本人の間でそれが通じるわけではない。

 

以前の書き込みで、日本企業における「全てを語らない」コミュニケーションの、海外展開における問題。という話を書きました。簡単に言うと、日本企業では、考えていることの「全てを語らない」コミュニケーションが一般的で、こういうコミュニケーションは、同じ組織で長い経験を積んだ、「当たり前」を共有した人たちが集まっている日本の職場では機能するものの、そうした共通の土台がない海外拠点の従業員には、それはほぼ通用しない、と言うお話でした。

その原稿でも軽く触れましたが、こうした「みなまで語らない」コミュニケーションは、日本人だけの特徴ではありません。私が現在、働いている中国にも似たようなところがあるようです。

実際、比較文化研究で、従来から東アジアの国々(日本や中国、韓国など)の特徴として、「全部を語らない」コミュニケーションスタイルはよく知られているのですが、改めて中国の大学に着任してみて、「本当にそうなんだ」と感じているところです。先週、中国に着任してから、勤務先の組織管理学部の教授たちと親睦を深めるために何回か個別にランチをとるなかで、「中国の組織の特徴」として異口同音に語られたのが、このポイントだったのです。

例えば、僕が所属する組織経営学部の学部長である周教授いわく、

「得てして中国人の間のコミュニケーションは、相手に配慮して、はっきり言わないのが良しとされがち。お互いに意図を探り合ってばかり、というのがよくある。」

ということです。この話は、

「だけど、うちの学部では、そんなことをしてたら研究の発展はないと思っている。なので、お互いに厳しい意見も含めて率直に言い合うことを重視してる。君も言いたいことがあったらストレートに言って欲しい」

という風に続くのですが、わざわざそれを口に出して説明する、ということは、普通にしていると「いいたいことがあってもはっきり言わない」コミュニケーションになりがちだ、ということでしょう。

この教授は50代の中盤ですが、もっと若手の中堅研究者たちに聞いても「はっきり言葉に出して要望されなくても、相手の言外の意図を察して行動しないといけない場面は、中国の組織ではよくある」という話が出てきましたので、年配者だけの傾向とは言えないようです。

そういえば、LSEで教えていた時も、中国人の学生はどちらかというとアメリカ、ヨーロッパの学生が授業の中でガンガン、ストレートに話す傾向があるのとは対照的に、遠慮がちで周りの雰囲気を見ながら発言をする傾向がありました。

 

ここからは、「中国人は、全部を語らないコミュニケーションへの適応力が高いのでは?」という仮説が成り立ちます。だとすれば、中国に赴任した日本人上司が「全部を語らない」日本流のマネジメントをしても、中国の現地従業員はそれをうまく理解して、対応してくれるのでは?ということです。

残念ながら、筆者が知る限り、全くそんなことはありません。むしろ、日本人が「全てを語らない」コミュニケーションをすることに対して、中国人部下はフラストレーションや不安を感じていて、そのことがマネジメント不全になっている、と言うケースは、そこかしこで耳にします。

日系企業の中国現地法人でインタビューをしてみると、

「日本人上司は、自分の考えていることを、全然はっきり口にしない。
そういう上司は信頼できない」

「何を期待されているのか、何をやれば評価されるのかが分からないので不安になる」

といったコメントが頻出するのです。逆に、日本人赴任者からも、

「日本と違って、あらゆることを言葉にして説明しないと、現地従業員に自分の意図が伝わらない。また、現地の従業員は、何でもかんでも言語化、数値化して、はっきり示して欲しい、と求めてくる。」

「日本のスタイルを変えられない赴任者は、たいてい成果が出ない。部下が付いてこないし、下手をすると辞めてしまう」

といったお話をよく伺います。

ここからは、中国人の間では「全てを語らない」コミュニケーションに慣れている人たちであっても、「日本人ー中国人」の間のコミュニケーションでは、その能力を発揮できない、ということがわかります。

前回の議論の通り、日本の組織での経験がない中国の現地従業員に、日本で共有されている「当たり前」を前提にした「全てを語らない」コミュニケーションは通じないのです。さらに言えば、育った社会環境や日々の生活の中で接してきた情報も異なっているわけで、様々な面で「日本人同士の間であれば言わなくても通じる」はずの共通認識が、「日本人と海外拠点の現地従業員」の間には成立しにくいのです。

逆に言えば、「全てを語らない」コミュニケーションが通用するのは、同じ社会、同じ組織、で過ごしたことが共通体験として存在し、「全てを語らない」でも「言外の意図」の推測が可能な特殊な環境だけだ、と考えるべきなのでしょう。

 

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投稿者: 吉川克彦(Katsuhiko Yoshikawa)

国際人事・組織論に関する研究者、コンサルタント。PhD in Management(経営学博士)。2017年8月より、上海交通大学安泰経管学院Assistant Professor。 主な研究分野は組織論、人材マネジメント論、国際経営論。研究者への転身前には、コンサルタントとして、様々な業界の日本企業の人事・組織変革を支援。 1974年兵庫県西宮市生まれ。1998年京都大学経済学部卒。同年リクルートに入社。人材、組織に関する研究、コンサルティング、サービス開発に 従事。2013年に同社を退社。2011年にLondon School of Economics and Political Science にてMSc. Management, Organisations and Governance(Distinction) および、PhD in Management (Organisational Behaviour and Employment Relations Track)を修了。 ご連絡はこちらまで。 katsuhiko78@gmail.com / k.yoshikawa@lse.ac.uk

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