最近、中国と日本の大学における博士課程(PhDコース)について色々と知ったり考える機会がありました。昨日まで出席していた国際学会(Academy of International Business)に来られていた日本の若手研究者と日本の研究環境や博士課程の学生の活動について色々話をしたのですが、それと、僕が所属する学部(安泰経済与管理学院の組織管理学部)や、北京大学のビジネススクール(光華管理学院)についての僕の知識を比較すると、一つの観測が浮き上がってきます。

それは、中国の中核大学の博士課程は急速に国際化しつつあるのに対して、日本の経営学部・ビジネススクールの博士課程は、国際化に関しては完全に周回遅れになっているのでは?ということです。ニュースメディアで「中国の大学に国際競争力で抜かれる」と言うトーンの議論を見ますが、経営学に関しては残念ながら「どうやって追いつくか」という話であります。そして、かなり学べることがあるとも思いますので、本稿ではそれをまとめようかと。

<2018-07-03追記>結果的にかなり長くなりましたので、結論の日本の大学への示唆をコピペしときます。

国際的に発信できる教員を集めて、後進を育成する体制が整えるには、次の二つが肝ではないか、と言う提言です。

  • 何はともあれ安定的な資金の確保が必要(それがないと国際的に発信できる研究者を雇用できないし、博士課程の学生が国際学会に出るのを支援するための予算もない)
  • 国際的に活動できる研究者を確保、育成する組織環境を作り出すには、制度面、風土面での改革が必須(大学教員の人事複線化など)

国際化すればいいってものじゃない、と言う意見もあろうかと思いますので、研究の国際化についての僕の意見を最初に述べておくと、「各国においてそれぞれの独自の研究がおこなわれていることには価値がある。でも、それを互いに発信しあい、学び合うことで知が深まることにも価値がある。」ということです。日本には日本の独自の社会環境があり、ビジネスのあり方があるのでそれに関する知見を深めることはとても重要です。ただ、それを世界の他の人が知らなかったら、日本で行われている研究の、世界の「経営の知」に対する影響力は小さい。海外の文献から学ぶだけじゃなくて、海外の研究者に「日本あるいは日本企業という、ある種得意なサンプル」あるいは「日本的なものの考え方」から得られた知見を学ぶ機会を提供してあげないのは勿体無い、と思うわけです。

なので、博士課程において「国際的な学術的な会話に参加できる研究者を育てられているか」というのは、日本の大学について語る上で重要な観点だと僕は考えます。

ここで言っている「国際的な学術的な会話に参加できる」というのはつまり、北米を中心にした研究の世界のお作法にそって発信する、と言うことにです。北米の研究のヘゲモニー(覇権)は社会的現実として存在するので、まずは相手のルールで会話をしないとそもそも土俵に登れない。なので、まずはそこでの土俵に立って、相手がわかるような言い方で「いやいや、北米じゃないものの見方だって研究的に面白いのよ」と言えばいいんじゃない、というのが僕のスタンスです。

で、これまでにいろいろな国の研究者と話した中から僕が見るところ、博士過程の国際化を考える上での大きくポイントは2つ。

  1. 博士課程に在籍している学生の研究アウトプット
  2. 博士過程を終えた学生がどこに就職するか

1つ目は要するに、博士課程の学生が有力な国際学術誌に論文を発表してるか、ということです。個人で書くというよりも、指導教官や他の大学の研究者との協業で行うのが一般的ですが。「論文を発表している」ということは、一定の研究や協業のスキル、また、研究者としてのネットワークを構築できているということを間接的に示しています。

論文を発表するには数年かかることも珍しくないので、博士課程の4年間なり6年間に成果をあげるというのはかなり厳しい目標です。特にトップランクの学術誌に掲載されるというのは、かなりな狭き門であります。ですから、「所属学生がそれを実現できる」=「所属学生を難しい成果の達成に向けて組織的に後押しする環境が整っている」ということで、博士課程の国際的な競争力の指標になるわけです。

ちなみに、日本の大学の経営学の博士課程の学生が国際的な有力学術誌に論文を発表した、と言う話はついぞ聞きませんが、中国の大学(特に北京大学ですね)の博士課程からは、そうした例が出始めています。

2つ目は、卒業生がどんな大学に就職するか、という話です。以前にも書きましたが博士過程を終えた後のアカデミックポストの就職は世界的に大変な激戦でありまして、そこで卒業生が「国際的に研究競争力の高い大学に就職できるかどうか」というのは、博士課程の質を見る上で重要な観点になります。

この話が1つ目と密接に関わるのは、結局、1の成果を上げている人材は、採用市場でも競争力があるからです。研究に強い大学は、研究で成果を上げられる研究者を採用したいので、当たり前です。

この分野では、北米(アメリカおよびカナダ)の研究大学の競争力がかなり強力です。北米でトレーニングを受けた博士がいろんなところに就職している(日本でも、アメリカなどで博士をとって日本の大学に戻られている研究者は結構いますよね)反面、それ以外の地域、例えばヨーロッパやアジアで博士過程を卒業して、北米に就職したというケースは限られている。

僕は、これは好ましい状況ではないと思っています。なぜならば、北米でトレーニングされた研究者が世界中に就職する、ということはつまり、北米の研究のスタイル、物の見方を世界中に輸出している、ということに他ならないからです。そう考えると、アジア圏の大学が上記の二つ(アウトプットと就職)の点で、国際的な競争力をつけた方が、世界の知は前進するはずです。

中国のトップ大学の最近の状況

こうした中で、中国は北京大学を中心に成果を上げつつあります。上述の通り、博士課程在籍中に世界的な学術誌に論文を発表する学生が出てきており、その結果として、彼らが北米やイギリスのリサーチ大学から採用されるようになってきているのです。(とはいえ、北京大学の光華ビジネススクールがやはり一歩抜けていて、上海交通大学や他の中核大学はそれに追いつこうと努力している、という状況のようですが・・・)

こうした成果を上げるに向けて中国の中核大学がやっている努力を整理すると、

  • トップ学術誌にガンガン論文を発表できるベテラン、中堅、若手研究者を揃えている。そういう人から、指導を受けることで、博士課程の学生に国際的に通用する技術や構えが身につく。
  • 国内外から優秀な研究者や、学術誌のエディター(投稿された論文の審査プロセスを管理し、掲載の判断をする人たち)を招いて、博士学生が彼らから学べる機会を作る。
  • 早い段階から、世界的な学術誌に論文を発表することを目標にした意識付けをし、国際学会に出て行く機会を作り、英語で発表する訓練をする

1つ目に関しては、過去10年ほどの間に、中国の中核大学の経営学部・ビジネススクールが、すでに活躍しているベテラン中国人研究者を引っ張ってくる、あるいは、新たに博士課程を卒業した有力な中国からの留学生を採用するということに取り組んできた成果と言えるでしょう(中国人に限って採用しているわけではないと思いますが、言葉のことと、採用のしやすさを考えると、中国人に偏りがち、という話)。

もちろん、成果をあげている(あるいはあげそうな)人材を引っ張ってくるにはそれに見合う処遇が必要ですから、給与水準をかなり引き上げています(北米やシンガポールの水準にはかないませんが)。そしてさらに、彼らに国際的な学術誌での論文発表に向けた強力な動機付けを行う仕組みを設けています(ボーナスや昇進への反映、成果が出ないと大学に残れないなど)。

ただし、「国際的な学術誌に論文を発表する」ことと、「社会にとって意義がある研究成果をあげること」は同じではありません。が、国際的な論文の発表、というところに徹底的に振り切る、思い切りの良さが、中国の中核大学の特徴です(僕の同僚の間でも、そこまでやるのはどうなの?という疑問の声も聞きます。それだけ徹底してる、ということです)。

そして、こうした激しいことをやると、変革が始まる前の時代に採用された教授陣にとってはたまったものではありません。また、全員が研究ばかりをやっていたら大学における教育は回りません。そこで行われているのが人事の複線化です。人材を「研究トラック」と「教育トラック」という二つのトラックに分けて、過去の仕組みで採用されて、国際的に研究をやっていくのは厳しい、という人には「教育トラック」で授業を質的・量的に担っていくことを期待し、新たに採用した国際研究人材には「研究トラック」として研究に集中してもらう(=授業の担当数を減らす)、というような管理が行われています。

僕は研究トラックにあたるわけですが、教育トラックの人たちはすごい量の授業を担当しておられ、「いやこりゃありがたいわ」と正直感服するわけです。色々あると思いますが、この辺りの「両方に厳しく求めることで、納得感を醸成する」バランス感は、人事的には好きですね。

2つ目に関しては、中国人の研究者が北米を始め、様々な大学で一線級で活躍していたり、トップクラスの学術誌のエディターをやっていたりするので、彼らを盛んに招いて博士課程向けのセミナーを実施しています。うちの学部でも、結構お招きしてますね。来ている研究者に聞くと、帰国((里帰り?)に合わせて複数の大学を訪問して回る、というパターンが多いようです。

3つ目は、北京大学が中国の大学のビジネススクールの中でも一歩抜きん出ているようです。先日、大きな中国国内の経営学会があったのですが、北京大学の学生は多くがそこでも英語で発表しており、普段からの意識付け、トレーニングが徹底しているようです。

これに関しては、正直言って上海交通大学はまだまだです。組織管理学部のリサーチセミナーではこれまでは中国語で発表するのが普通で、中国の国内学会では発表をするものの、国際学会まではなかなか手が出ない、という学生が多い様子。対策として博士課程のうちに半年とか1年、海外の大学に留学させて意識付けをしたりしてますね。また、昨年、僕(=中国語のわからない外人)が加入したことで、僕が参加している限り、研究セミナーは強制的に英語でやることになり、多少は雰囲気が変わってきつつあるようです。(我がことながら)外人効果ですね。

日本の大学への示唆

以上から得られる示唆は、

  • 何はともあれ安定的な資金の確保が必要(それがないと国際的に発信できる研究者を雇用できないし、博士課程の学生が国際学会に出るのを支援するための予算もない)
  • 国際的に活動できる研究者を確保、育成する組織環境を作り出すには、制度面、風土面での改革が必須(大学教員の人事複線化など)

ということではなかろうかと。

最近学会でお会いした日本の研究者によれば、グローバルCOEなどの資金を使って博士学生を海外の学会などに送る取り組みが過去に一部の大学で行われていた、とか、研究者が持っている研究資金を使って個人的に博士学生に資金提供している、といった取り組みが散発的に行われているようですが、安定的に資金な資金の確保とは程遠いようです。ちなみに、LSEの場合は、学会で発表する論文があることを前提に、博士学生から旅費の補助を出す仕組みがあり、このおかげであんまりお金を気にせずに、在籍していた4年間、毎年、複数の国際学会に出席することができました(もちろん、論文を書いて、審査を突破することは必要ですが、それが通ればいける、というのは動機付けになりますよね)。

文科省などからの資金を得る、あるいは大学として寄付を募る、という話もありますが、それとは別に、「MBAやExecutive MBA、企業向けの研修などを通じて収入を確保 → 研究者に投資 → 国際的なランキングがアップ → MBAや研修での収入が得やすくなる → さらなる投資」というポジティブサイクルを回すのが、北米や中国のビジネススクールの基本的な勝ちパターンであり、このサイクルを作り出す動きができるかどうかが重要だと思われます(ただし、日本の場合、MBAに対する期待値が企業で低いのが悩ましいところですが)。

日本の場合、海外で活躍している一線級の教授陣を引っ張ってこようという動きもあるようですが、大幅に給与が安く、複線化なども行われていない日本の大学の現状を考えると、給与の向上やインセンティブシステムの再構築、既存の教員の処遇などにドラスティックな動きができない限り、大きな成果には繋がりにくそうです。

また、こうした人事面の改革に加えて、教員および博士課程学生の間に「国際学会や学術誌で世界に向けて発表することが当たり前だ」という風土を作ることが決定的に重要だと思われます。そういう雰囲気がない限り、博士課程の学生がわざわざ海外に行って、慣れない英語で発表して、ということに尻込みするのは当たり前かと。これまた、私の所属先の例を見てもなかなかハードルが高そうでありますが・・・・まずは先立つものはお金と、その雰囲気を引っ張る人の確保、と言うことかもしれませんね。

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